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【書肆じんたろ店主の毒になる話】アフガニスタン、たんたんたん

アフガニスタンと日本の間

アフガニスタンと日本の距離は6,272kmらしい。
物理的な距離はそういうこと。でも、精神的な距離はかなり遠い。私にはアフガニスタン人の知り合いはいないし、アフガニスタンについてさして詳しいわけでもない。
でも気になるのは、この国が今も内戦状態であり、今日も難民として国外に出る人が多いということ。それは、シリアだって同じじゃないかと言われればその通り。でも、ここはひとまず今話題のアフガニスタンのこととを考える。

今回はアメリカ軍撤退が始まると、あまりにも早く、一気にタリバンが全土を制圧したので、日本でのアプガニスタン関連出版が間に合わなかったみたい。書店には読むべき本がない。そこでとりあえず、ゴソゴソしていたら見つかったこの三冊でアフガニンタンについて淡々と端的に考えたい。

内戦と難民流出はどうして続くのか?

アフガニスタンを見てまず思うのは、どうして戦争が続くのかということと、難民はどうして生まれるのかということ。
東大作『内戦と和平-現代戦争をどう終わらせるか』(中公新書)を読むと、今の世界がよくわかる。
この本では、イエメン、南スーダン、アフガニスタン、シリア、イラク、カンボジア、東ティモールなどをNHKのディレクターとして内戦取材に関り、その後、国連の政務官などを務め、研究者になり、その地域の平和構築に関わる体験が書かれている。
東氏によると、軍事紛争は4つのタイプに分類できるらしい。

①国家間の戦争
②純粋な内戦
③内戦をきっかけに始まったものの、特に外国の部隊が軍事的に介入し国際化したもの
④植民地からの独立戦争

現在、国家と国家の間の戦争は減り、95%は国内で起きる内戦になっている。
内戦は国家間の戦争より終結が難しいらしい。
それは、相手を壊滅するまで戦おうと考えているケースが多いこと、相手に対する「不信」や「恐怖」があり判断が難しくなること、相互不信のあるなかで国家を一つにして一つの軍隊にまとめるのが難しいことなどが要因にある。

内戦後の平和構築を誰が行うのかという問題も難しい。
当事者の国か、占領した大国か、国連かということになるが、軍事大国のアメリカが単独で手掛けて成功した例は、日本、西ドイツ、パナマ、グレナダの四つしかないらしい。
国連は、紛争予防、和平交渉、平和構築の三つの段階で関与しているが、国連にすべてを任せてうまくいかなかったり、関係国が交渉しているアリバイとして国連の特使を形だけ立てるケースもあるようだ。

アフガニスタンではどうだったのか?
20年前、9・11テロの首謀者であるビンラディンを支援しているという理由でタリバンを掃討しようとアメリカが公然と介入し、その後、武装解除や平和構築に国連が携わった。日本もPKOやボランティアで協力した。
しかし、アメリカの介入前の20年前にタリバンはアフガニスタンの約9割を支配していたのだ。
アメリカの後ろ盾で政権に就いたカルザイは、北部同盟という少数部族の集まりで、もともと支配基盤はなかった。
その後、タリバンは力を盛り返した。タリバンは地域の部族の利益を考えた統治を行っていたので今回もその方法で支配しているのだろう。
イスラム原理主義をどこまで徹底させているのは不明のところがある。
オバマ政権当時からアメリカはタリバンとの交渉もしていた。トランプ時代にリーダーとの交渉をトランプが始め、一気に進むかと思ったが、トランプは突然態度を変えた。アメリカの世論が見放すとおもったからのようだ。
そしてまた和平交渉は振り出しに戻っていた。アフガン政府、タリバン、タリバンから分裂したIS勢力の三つ巴の状態のようだ。

この本は、バイデン大統領が生まれる前に書かれている。
しかし、今のアフガニスタンを予想はできる。今回のようなことが起きても何の不思議もない状態だったのだ。

アフガニスタンに日本がどうかかわるべきか?
それは国民の関心次第だろう。
自衛隊がPKOで関わるのは一つの手段にすぎない。

タリバンは何者なのか?

田中宇『タリバン』(光文社新書)という本が20年前の2001年に出版されている。
9・11同時多発テロ事件があって、その後、アメリカがアフガニスタン空爆から内政に干渉するようになった。その直後に出版された。
書いてあることはアフガニスタンの現代史と1979年以降にできたタリバンの歴史と内情の報告。
元共同通信の記者だった著者は現地でタリバンに同行取材もしている。
1979年以降のアフガニスタンの歴史はタリバンの成立、統治、反撃という歴史に重なる。
1970年当時アフガニスタンには国王が存在し、また、ソ連が援助した社会主義政党PDPAがあった。
1973年にクーデターが起き、PDPAと反国王派が連立の政権を作った。政権はソ連ともアメリカとも等距離外交で臨んだが、それを快く思わなかったソ連が、PDPAにクーデターを起こさせた。
ソ連としてはイスラム教国家より近代国家を目指そうとしたのだろう。
1979年のソ連の侵攻はそういう背景がある。ソ連は政権党PDPAの要請で侵攻したことにしている。
これにアメリカが反発したのは同然で、日本を含め、モスクワオリンピックのボイコットにまでなった。
その後、イスラムの国である隣国のパキスタンとソ連に対抗するアメリカは反ソ連のゲリラに武器供与などを行った。アフガニスタンを追われ、パキスタン国境に難民として逃れてきていた東部地域のバシュートと呼ばれる部族も多かった。そこで若者が神学校に通い、そうしてできたのがタリバンだ。タリバンは「学生」を意味する。神学校の学生という意味なのだ。だから戒律に厳しい。
1989年にペレストロイカの過程でソ連は撤退する。
その後、反ソゲリラ活動を戦ったムジャヒディンと呼ばれる聖戦士たちの間で内戦が起きる。
タリバンや北部同盟などに外国も支援した。
パキスタンとアメリカが支援していたのがタリバンで、当時アメリカはタリバンのイスラム原理主義を批判していなかった。タリバンはイスラム教に基づく国家を作ろうとしていた。アメリカとも国交を結ぶ構想だった。ウサマ・ビンラディンをかくまったのは、あくまで客人としてだった。
そして、9・11テロが起きて、アメリカの介入が始まった。

タリバンもよくわからないところがある。
20年前と違うのは、イスラム国=ISがあの後できたことだ。
ビンラディンはもともとサウジアラビアの大富豪の一族でサウジアラビアの王室にも影響力を持っていた。対イラク戦をサウジアラビア王室に拒否されてから、独自の戦いに向かった。
ISが唱えるグローバル・ジハードと共通するものもあるのだと思うが、違うところもあるように思う。
タリバンは、ISができる前から存在するが、今ではISとも対立しているらしい。
タリバンは国境の難民で結成されたので、農村やましてや都市部のイスラム文化・風習と違うところもあるようだ。
女性に対する権利やジャーナリズムに対する考え方もほかのイスラム諸国とも違うところもある。
イスラム法に基づく統治をすると言っているが、その内容はよくわからない。

この20年前の本には、アメリカがタリバンと戦争をするのはアメリカにとって不幸にしかならないという趣旨のことを書いてある。アフガニスタンはその前の20年間も戦争状態だった。アフガニスタンにとって戦争が長引くだけのこと。しかし、アメリカが介入すれば市民も死ぬ。そしてアメリカは抜けられない泥沼に入ることになる。
そして、その通りになった。

今、アフガニスタンで起きていることはそう不思議なことではないのかもしれない。

イスラム教は理解できるのか?

こうやって考えると、日本に住む者はイスラムについてあまりにも知らないことが多い。
中田考・内藤正典『イスラームとの講和 文明の共存をめざして』(集英社新書)は、イスラム研究者の内藤正典教授と日本人イスラム教徒の中田考氏の対談を本にしたもの。
この二人は2012年に同志社大学でアフガニスタンの関係者を呼んで会議を行っている。
集まったのはタリバン政権時代のパキスタン大使、カルザイ政権の国防相、反政府組織の代表。
それで講和について話し合ったとか。
なんで国内で戦っている当事者同士を会わせるなんてことができるのか?
それは、中田氏がイスラム世界に通じていて、日本とイスラム世界との通訳のような役割を果たしているからだろう。
中田氏はISに行きたい日本人の若者を手伝ったと言うことで警察の厄介になって、「やばい人」として有名になった。
しかし、この本を読むと、アフガニスタンの問題、タリバンの成立、ISがどうやってできたかもよくわかる。その背後にあるイスラームというものを感じる。
世界、とくにヨーロッパでモスリム排斥運動が起きる背景、グローバル資本主義の浸透とグローバルジハードが続く意味もわかる。
イスラム教は一神教だと言われるが、統治においてもイスラム法によってカリフがその地域を治める。異教徒を追い出すことがジハードなので、サウジアラビアに米軍が駐留することも排撃対象だし、アフガニスタンの米軍も同じという理屈なのだ。タリバンが勢力を盛り返したのもわかる。
この本を読んでいるとそういうことがわかるので、いつのまにか「あっち」の論理になってしまう。
「やばい人」がやばいと思えなくなる。
モスリム的発想になれば、西欧型の自由、平等、人権、民主主義などの普遍主義がいかに一地域の価値観を別の地域に押しつけているのか疑問になる。
この本はいろんな常識を覆す。
排除の論理で進めるのは終わりのない戦いになる。
講和について考えさせられる。



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