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80年代、フュージョンの波が押し寄せてきた


 はじめに

 70年代にジャズとロックの融合と言われながらも、どこか軸足をジャズにおいていたクロスオーバーは、やがてラテン、R&BやFUNKの要素もとりいれ80年代にはフュージョンと呼ばれるようになった。今回はこのフュージョンの話をしよう。

1.日本人フュージョン・ジャズ・プレーヤーといえば

 日本のフュージョン・ジャズ・プレーヤーといえば、真っ先に名前があがるのはサックスプレーヤーの渡辺貞夫だろうが、私が聴いていたのは同じサックスプレーヤーでもMALTA。

 MALTAは、1976年バークリー音楽大学卒業後そのままアメリカにとどまり音楽活動、1983年にアルバムMALTAで日本デビューした。このアルバムは、これがデビュー作とは思えない高い完成度をもっていた。それは下に載せたYoutubeで聴くことができる。

2.TVから流れてきたフュージョン・サウンド

 フュージョン・サウンドを広めたのは、TVの影響が大きかったように思う。
 
 たとえばT-SQUAREのTRUTHなどは、音が出たとたんにF1中継を想いだすし、カシオペアはマクセル、高中正義はパイオニア、渡辺香津美はLoD、それぞれオーディオメーカーのCM曲に採用されていた。

 もちろん海外勢のフュージョンもTVに採用されていた。たとえばイギリス発の女性ボーカルが入ったフュージョンバンドのシャカタク、そのヒット曲ナイトバーズはたびたび聴いた覚えがある。

3.フュージョン拒否症のオジサン達

 ところでベテランのジャズファンの中にはフュージョンに拒否反応を示す人がいる。本格的ジャズファンにとっては、エレクトリックサウンドは受け入れられないものらしい。そのわりにはフュージョンのプレーヤーの動静に詳しくて、誰それはこうだと言うのが面白い。まあ音楽にかぎらず、新しいことに対して抵抗感を示すことはよくある。

4.まとめ

 最近はフュージョンという言葉を、あまり聞かない。グラミー賞にもフュージョンを冠する賞はなくなり、いまはコンテンポラリーとされているらしい。しかし80年代は、フュージョンは時代の最先端をいく音楽だったことはいまも記憶に残っている。

 それにしても80年代フュージョン・アルバムの選択肢はたくさんあったはずだが、なぜ1stアルバムを出してまもないMALTAを選んだのだろうか?いまとなっては、その選択をほめてあげたいが、なぜそれを選んだか謎だ。

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