土に生きる女
第三回
真知子の想像以上に工房での生活は厳しく辛いものだった。自分はなぜこの仕事を選んだのか、後悔したことも一度や二度ではなかった。陶芸の基礎さえ知らず、子供のころの憧れだけでやってきた陶芸の世界、やはり自分には向いていないのだろうかと何度も自問自答した。当初は陶芸の仕事ではなく、家政婦のような扱いを受け、ごはんを作り、掃除をし、家屋の清掃に明け暮れる日を過ごした。いつになったら陶芸が学べるのか、不安に駆られながらも与えられた仕事を真知子は懸命にこなした。
半年がたった頃、ようやく窯を焚く仕事を与えられ、その半年後に今度は土を運ぶ仕事を与えられた。どのような仕事を与えられても真知子は腐ることなく黙々とこなし、そのうち、工房で働く陶芸家たちのアシストをする役目を担うようになった。
二年を経て、ようやく真知子は陶芸の基礎の段階に行きついた。
土を触り、自然の中で作業をすることにようやく慣れてきた頃、真知子は自分の思いが決して一時の思いつきではなかったことを知った。ずっと眠っていた自分の内なる才能が芽生えてくるのを真知子は日々感じるようになっていた。
泰山は真知子に対して決して容赦をしなかった。むしろ従弟の娘であるからこそ、余計に厳しく接した。どうせ長続きしないだろう、泰山は最初のうちそう思っていた。だが、その反面、そう思いながらも、泰山は真知子の陶芸に対する真摯な態度に、秘かに期待するところもあった。
結婚に敗れたことがきっかけになったとはいえ、ずっと自分の生き方、自分の思いと真正面から直面せず、安(あん)穏(のん)と寄生(やどり)木(ぎ)のように、学生時代は父母に、結婚してからは夫に寄りかかって生きてきた真知子にとって陶芸は真実の生き方を教えてくれる一つの道筋のようなものに思えた。それだけに真知子は一心不乱に陶芸に取り組み、その姿勢を見失うことはなかった。
それからさらに三年の月日が流れ、真知子の初めての作品が世に出ることになった。それまで泰山は、真知子の作品をことごとく没にし、作り上げる作品の未熟さを罵倒して真知子の目の前で叩き割っていた。
真知子はなぜ自分の作品が認められないのか、その理由がわからず苦悶したあげく、ようやく一つのことに気付かされた。
自分の創る作品は、確かに外見こそ立派でそつのないものだが、個性が乏しく、主張がない。そのことに気付いたのだ。
魂を入れる。それは考えてできるものではなかった。自身が無になって、何の意図もなく、何の計算もたくらみもなく、土に向かう。真知子はそれだけを心掛けるようになった。
土を見つめるうちに真知子の中で一つの形が浮かび上がってくるようになった。これまで常に他人の作品を意識しながら制作していたものが、そうではなくなってきたのだ。
無我の境地で土と向かい合い、土を無心で触っているうちに、真知子の心に土の声が聞こえてくるようになった。それは多分真知子の錯覚だったのだろうが、真知子はそれを土の声として捉え、真剣に土と語り合うようになった。やがて真知子の中に土の良さを生かした形が自然と浮かび上がってくるようになった。その時、真知子は陶芸は手先でなく心で創るのだということを悟った。
ようやく真知子は自身の納得のいく作品を創り上げることができた。創り上げたその作品は真知子に感動を与え、喜びを与えた。
おそるおそる泰山に作品を見せると、泰山はその作品を手に取り、じっと眺め、今度の展覧会に出品しよう、と真知子に言った。
真知子は半信半疑の面持ちで泰山に尋ねた。自分の作品が認められたことが信じられなかったからだ。泰山はただ一言、「この焼き物は真知子にしか作れないものだ」と言い、真知子のこれまでの労をねぎらった。
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