笑え、笑え、落語の寵児

 一

 深夜の淀川大橋を人はどんな思いで渡るのか。木村房江は時々考えることがある。
 そんな時、いつも思い出すのは二十年前の十二月のことだ。房江は三十歳で息子の隆弘は三歳だった。幼い隆弘の手を引っ張って、みぞれ交じりの冷たい雪の降る大橋を歩いていた。
 歩けども歩けども橋を渡りきれない。あの人が気付いて追いかけてくるのでは、それを気にしながら急ぎ足で歩いた。そのうち、隆弘が、もう歩けない、と言って座り込んだ。歩かなきゃだめよ、パパが追いかけてくるよ。そう言って何度も叱咤したが、隆弘は座り込んだまま動こうとしなかった。仕方なく背中におんぶして深夜二時を過ぎた橋の上を歩き続けた。いつになったら橋を渡りきれるのだろう。そう思いながら歩いているうちに隆弘の寝息が聞こえてきた。寝息を聞いているとわけもなく涙が出て来た。ハンカチで何度か涙を拭っているうちに、房子はようやく大橋を渡り終えた。

 「ママさん、息子さん、今度、独演会をするんだってね。チケット買わせてもらうよ」
 常連の田川さんがママに声をかけた。
 「田川さん、おおきに。よろしゅう頼んますわ。なんせ初めての独演会でっしゃろ、人が集まるかどうか、心配で心配で」
 「大丈夫、大丈夫。息子さんは上方落語界に彗星のごとく現れた脅威の新人やから」
 田川が店に貼ってあるポスターを指さして言った。
 カウンター十席の小さな喫茶店を房江が開業したのは十五年前のことになる。息子を育てながら、朝も昼も夜も休みなく働き続け、貯めたお金で得たのがこの店だった。
 居ぬきで購入した喫茶店だったが、場所がよくなかったことと、店が狭いことで前の経営者が安く売りに出していたものを房江が購入した。
 開業して最初の二年間は苦戦したが、そのうち店を取り巻く環境が変わったことで店の経営は好転した。それまで工場街だったものが、区画整理と環境問題の絡みで工場は郊外へ転出し、その跡地にビルが建築され、一大オフィス街になった途端に房江の店は繁盛し始めた。
 サラリーマン、ОLを当て込んで多くのレストラン、喫茶店が何軒も進出してきたが、房江の店は微動だにしなかった。房江の入れるコーヒーの味と香り、モーニングサービスの贅沢さ、ランチの豪華さで他を圧倒していた。
 「そんなに大儲けしなくてもいいのよ。息子と二人、食べていければそれで十分」
 房江のそんな思いが客にもいい形で伝わり、朝から夕方まで店は繁盛し続けた。
 隆弘が幼かった頃の房江の楽しみは、休日に二人で街へ出て、カフェで一緒に過ごすことだった。隆弘はパフェを食べ、房江はコーヒーを飲んで、街行く人や街並みを眺めながら二人で話す。穏やかな二人だけの時間が房江にとってとても貴重なものだった。

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