下戸のガンさんと酒豪の嫁

高瀬 甚太

 酒が呑めない下戸のくせに、えびす亭に足しげく通う岩田修二、通称ガンさんをみて、えびす亭の客たちが大笑いする。何がおかしいのかというと、酒を口にした後のガンさんの顔が面白い。苦いのか酸っぱいのか、まずいのか、酒を口にした後、ガンさんは思い切り顔を歪めて「ぷはーっ」とやる。その表情としぐさがとてもおかしいのだ。
 「ガンさん、酒が苦手やのに何でこの店に来るんや?」
 商社に勤める江木さんが訊ねたことがある。すると、ガンさんは、
 「この店で私は、酒に強くならないとダメなんです」
 と真面目な顔で答えた。江木さんは、ガンさんのその時の様子があまりにも真剣だったので、冷やかし半分に言った。
 「ガンさん、もしかしたら奥さんが大酒呑みで、奥さんと一緒に晩酌をやりたくて呑んでるのと違いますのんか?」
 江木さんの言葉が当たらずとも遠からずといった感じだったのか、ガンさんは、
 「……」
 無言で頷くと、顔をしかめながらビールを一気呑みした。もちろん下戸のガンさんのことだ。その後、トイレに入ってゲロゲロ上げてしまった。
 えびす亭にはさまざまな客が来る。だが、下戸で酒が好きではないガンさんのような存在は稀有だ。えびす亭のマスターも、ガンさんに向かって、
 「ガンさん。下戸はどんなに頑張っても酒呑みにはなれまへんで。体を壊すだけやからええ加減にあきらめはったらどうですか?」
 と忠告したことがある。ガンさんは、
「そうですよね。下戸は強くなれません」
とその時はわかったような口ぶりで応対するのだが、翌日になると、そんなことなど忘れたかのようにえびす亭にやって来て、
 「マスター、小ビール一本」
 とやる。そして顔を思い切り歪めて呑んで、ゲロを吐く。
 
 ガンさんは昼間、北浜の証券会社に勤めている。勤続二十五年の表彰を受けたというから五〇歳前後の年のようだ。真面目を絵に描いたような人で、実直さが顔全体に現れている。ただ、出世には縁のないような顔をしている。いかにも要領が悪く、真面目だけが取り柄、ガンさんはそんな人だった。
 えびす亭で酒に挑戦し始めたのは今年に入ってからのことだ。ガンさんは晩婚で、結婚したのが二年前だというから、その年でよく結婚できたな、というのが正直な感想だった。
 奥さんのことを尋ねると、ガンさんはいつも笑ってごまかす。ガンさんは自分のことを話すのが苦手な人だった。
 ガンさんに詳しい人の話を総合すると、ガンさんの奥さんはガンさんより二〇歳下の二九歳。そんな若い女性が何を好き好んでガンさんと――。誰もが不思議に思うのだが、ガンさんの奥さんを知っている人は、口を揃えて美人だと絶賛する。いよいよもって不思議でならない。
 「ガンさんの奥さんはめっちゃ美人らしいですね?」
 マスターがガンさんに問いかけると、ガンさんは照れもせず、真面目な顔で「はい」と返事をする。
 「そんなにべっぴんさんなんですか?」
 「はい」
 「じゃあ、楽しいでっしゃろなあ、毎日が」
 「はい」
 実直なガンさんが「はい」と答えるからよけいに真実味があった。
 「そんなきれいな奥さんとどこで出会いましたんや?」
 「……」
 出会いの話になるとガンさんは途端に口ごもる。マスターもそれ以上聞けなくなって質問を変える。
 「奥さん、酒は呑まれますのか?」
 「はい」
 「日本酒党ですか? それともビール一辺倒?」
 「……」
 「焼酎派でっか?」
 「……」
 「もしかしたらなんでもいける口とか……?」
 「はい」
 「いくら呑むといっても若い女性ですから一日ビール一本、その程度でっしゃろ?」
 「……」
 「もしかしたらもっと呑むんでっか?」
 「はい」
 「どのぐらい呑むんでっしゃろ……? 日本酒だったら五合、焼酎だったら水割りでグラス三杯、ビールが三本、そんなところですかね?」
 「……」
 「もしかしたらもっともっと呑むんでっか!」
 「はい」
 マスターがガンさんから聞いた、ガンさんの奥さんの酒豪ぶりは尾ひれを付けて店全体に行きわたった。
 「ガンさん、いっぺん、えびす亭につれておいでえな」
 えびす亭でも一、二を争う酒豪たちが、好奇の目でガンさんに言ったことがある。
 ガンさんは静かに首を振って、
「だめです」と答えた。
 
 ほとんど毎日のようにえびす亭に顔を出すガンさんだったが、一向に酒が強くならない。いろいろな方法を試してみるのだが、やはり何をもってしてもガンさんの下戸は治りそうになかった。
 えびす亭に時々顔をみせる客の一人に老松さんという人がいた。七〇をはるかに超えている人だったが、矍鑠として姿勢も良ければ歩き方も颯爽としていて、とても七〇歳を超えているようには見えなかった。
 その老松さんとガンさんがえびす亭で隣り合わせになった。ガンさんが薬を飲むようにして顔を歪めながら呑んでいるのを見て、老松さんが怒った。
 「そんなに嫌な酒だったら呑むな! 酒の神様に失礼や」
 老松さんはいつも酒を一滴も無駄にせず丁寧に呑む人で、何を呑んでもおいしそうに呑む人だ。そんな老松さんだったから、ガンさんの呑み方を見て怒りを禁じえなかったのだろう。
 怒られたガンさんは、老松さんを見て言った。
 「酒に強くなりたいんです。教えてくれませんか?」と。
 老松さんは「えっ」という顔をしてガンさんを見た。ガンさんの顔は真剣そのものだった。
 「なんで酒に強うなりたいんや。理由があるやろ、言うてみい。ほなら教えたるわ」
 ガンさんは少し戸惑った様子をみせたが、やがて意を決したように話し始めた。

 「女房の名前は久子と言います。久子と知り合ったのは三年前のことです。忘年会で北新地の店に同僚たち数人と入りました。居酒屋を少し高級にしたような店で、店内は明るくてとてもきれいでした。私以外は全員酔っぱらっていて、私だけがウーロン茶を口にして手持ち無沙汰に料理を食べていました。そんな私を見て、店で働いていた女性が声をかけてきました。
 『酒は呑まれないのですか?』と。
 私は『はい、下戸です』と答えました。
 『私、お酒が大好きなんですよ。お酒がなかったら死んだ方がマシです』
 笑って言うんです。その笑顔がとてもかわいくて、思わず見惚れてしまいました。
 女性は自分の名前は『久子』だと教えてくれました。私も『岩田修二』と名乗りました。
 ただ、それだけのことでした。なのに私はその女性の笑顔が忘れられなくて、何度か、一人でその店に通うようになりました。
 これまで恋愛は数えるほどしかしたことがありません。一人は会社の女の子で、一人は同級生でしたが、うまくいきませんでした。二人は口を揃えて、
 『退屈な人』
 と私を評しました。見合いも数回しました。全滅でした。やはり、彼女たちは、私のことを一緒に暮らしても楽しくない、退屈な人だと言いました。
 久子に恋をした私は、多分、これが最後の恋かも知れない。そう思いました。でも、二十六歳の彼女と四十六歳の私、親子ほど離れた恋に未来なんかあるはずがありません。だけど、たとえ片思いであっても嬉しくて、胸がドキドキすることが嬉しくて、私、その店に通いつめました。もちろん、気持ちを打ち明ける勇気などありません。ただ、ぼんやりと彼女を眺めているだけでした。
 ある夜、店を出ようとして勘定を払っていると、レジを打っていた彼女が、突然、私に言うんです。
 『サリーで待ってて。必ず待っていてね』と。
 驚きました。喜んでいいのかどうか、わからないまま、『サリー』という喫茶店に向かいました。『サリー』は深夜遅くまで開いている喫茶店です。店の中はホステスやホステスと待ち合わせをする客でにぎわっていました。
 コーヒーが届き、酸味の聞いたサントスをゆっくり味わいながら飲んでいると、しばらくして久子がやってきました。
 久子は私の前に座ると、チョコレートパフェを注文しました。
 『仕事はもう終わったの?』
 と聞くと、久子は、
 『今日は早く帰らせてもらったの』
 と答えました。
 『何か用があったのと違うの?』
 尋ねると、久子は首を大きく振って、
 『おじさんと話がしたかったの』
 と言うのです。私は思わず、人差し指で自分を指さして、『私と?』と言いました。
 『そうよ。おじさんと話したかった』
 信じられませんでした。何か相談でもあるのか、と思って尋ねると、
 『相談なんかないわ。おじさんと話がしたかった。それだけのこと』
 自慢ではありませんが、私は決してハンサムな男ではありません。背丈も普通なら足だって長くはありません。外見だけ見たら、疲れた中年のおっちゃんといったところでしょう。そんな私に……。嘘でも嬉しかった。
 その日、お腹が空いたという彼女を連れて、ラーメンを食べに行きました。私は醤油ラーメンと餃子、彼女は醤油ラーメンと餃子二人前、それにビールを三本呑みました。
 何を話したか、記憶にないほど私は有頂天になっていました。こんないい日はもう二度とないだろう、そう思いました。駅まで来て、彼女と別れようとして手を振ると、彼女が言いました。
 『今日、私、すごく楽しかったわ。おじさん、また連れて行ってくれる?』
 信じられない思いでいた私は、呆然とその場に立ち尽くしていました。彼女に問われるまま、私の携帯のアドレスとメールアドレスを教えた私は、『いつでもいいから遠慮なく連絡してください』。そう言って別れました。
 三日目に彼女から電話がかかってきました。
 『今夜とか大丈夫?』
 と言うのです。
「もちろん大丈夫だよ」
と答えると、彼女は場所と時間を指定して、『待っているから』、と一方的に言って電話を切りました。
 信じられない思いで一杯でした。まさか電話がかかってくるとは……。前回、初めて一緒に呑んだ時、『楽しかった。また連れて行ってくれる?』とは言っていたけれど、多分、それはおべんちゃらだろうぐらいに考えていた私は、一体どうなっているのだろう、首をかしげながらも嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。
 その夜、私は彼女とミナミの居酒屋に入りました。そこで三、四時間過ごしたのですが、その間に彼女はビールを六本、焼酎の水割りを七杯、ワインを三杯、日本酒を三合呑みました。呆れるほどの酒豪です。しかも酔ったそぶりをまるで見せませんでした。
 その時、私は、彼女は酒が呑みたくて、酒をご馳走してくれる私を誘っているのだと悟りました。そうでなければ私など誘うはずがありません。彼女ほどの器量でしかも若ければ、きっと引く手あまたです。それがなぜ、と思っていた私は少し気分が楽になりました。彼女と数時間、話ができて楽しい時間が過ごせるなら酒代など大した出費ではありませんでしたから――。
 その後も、三日に一度、四日に一度の割合で会い、彼女と一緒に酒を呑む日が続きました。
 彼女は酒を呑みながら私にさまざまなことを語ってくれました。自分が酒を好きになったのは、父親が無類の酒好きで、子供の頃から晩酌に付き合わされて呑んだことが始まりだと、楽しそうに話しました。父親とは気が合って、よく一緒に呑みに行ったけれど、母とはあまり気が合わず、父が亡くなってからは疎遠になっていると語り、私に父親の写真を見せてくれました。
 『亡くなったのは二年前。亡くなる前、会社を辞めて一か月間、そばにいて介護したわ。いよいよ危なくなった時、お父ちゃんが言うの。久子、酒が呑めないのが寂しいよって。お父ちゃん、私が呑ませてあげる。そう言って私、少しだけ口に日本酒を含んで、父親に口移しで呑ませてあげた。お父ちゃん、すごく……、本当にすごく嬉しい顔をして、久子、おいしかった。ありがとう……。それが父親の最期の言葉だったわ』
 久子は懐かしそうに語り、人前も構わず泣きじゃくった。
 三か月ほど経った時のことです。それまで私たちは一週間に平均して二度の割合で呑みに行っていました。恐ろしいぐらいの頻度です。それだけに三か月も経てば、かなり親交も深まったと思います。
 その夜、いつになく彼女の酒を呑むピッチが速く、二時間ほどしか経っていないのに、すでにビール十本、焼酎五杯を上げていました。彼女の激しい呑みっぷりをみて心配になった私は、
 『今日はこのぐらいにしといた方がいいよ』
 とストップをかけました。久子は、
 『じゃあ、後ビール一本だけね』
 と言って、結局、ビールを三本も続けざまに呑んでしまいました。
 それがいけなかったのだと思います。店の外へ出て、賑やかな道頓堀を歩き始めたところで、急に変調をきたしたのです。今にも吐きそうな苦悶の表情を浮かべた彼女をみて、こんな場所で彼女にゲロを吐かせるわけにはいかない。そう思った私は、彼女の手を引っ張って、近くに見えたラブホテルに飛び込みました。
 部屋のトイレに入った彼女は、そこでゲーゲーとしばらくお腹の中のものを吐き出していたようですが、三〇分経ってもなかなか出てきません。心配してトイレを覗くと、素っ裸の彼女が便器を抱えるようにして倒れていました。服が汚れてはいけないとでも思ったのでしょう。そばにきちんと畳んだ服が置かれていました。
 『大丈夫か?』
 声をかけても返答がありません。彼女はしっかり寝入っていました。体を触ると冷たい。これはいけないと思った私は、お湯を入れ、彼女を抱いて湯船に入れ、温まるまでそのままでいました。きめ細かなピンク色に染まった彼女の美しい体を抱きながら、私は、湧き上がってくる欲望を抑えるのに必死でした。
 素裸のまま彼女をベッドに横たわらせ、布団をかぶせ、温かくしたところでベッドから離れ、ソファに移動しました。
 ラブホテルの室内は通常のホテルの室内とは大きな隔たりがあります。その部屋にいるだけで欲情する、そんな雰囲気に満ちていました。ソファに横たわり、電気を消してそろそろ眠ろうかと思った時、突然、ベッドに横たわっていた彼女が『寒い……』と声を上げました。私は急いで彼女のそばに行き、『大丈夫か?』と尋ねました。すると彼女は、『寒い、寒い』を連発して震えています。その様子に驚いた私は、彼女のそばに横たわり、静かに彼女を抱いてやりました。すると、彼女が、
 『岩田さんの服が冷たい……』
 と言います。私は慌てて服を脱ぎ、下着姿になりました。それを見た彼女が私を蹴とばして言うのです。
『私だけ素っ裸で岩田さんは下着を着けているなんてずるいわ』
私は彼女の機嫌を損ねないように、
 『下着を脱ぐとやばいから……』
 と言い訳をしました。素っ裸で抱き合って我慢できるはずがない。この時、私はすでに自分を見失う一歩手前まで来ていました。
 彼女の蹴りを何度も受けて、仕方なく私は素っ裸になり、彼女と抱き合いました。こうなったらもう制御不能です。でも、彼女は、『抱き合うだけよ。何もしないでね』と冷たい言葉を放って私の欲望を無理やり抑え付けました。結局、私は朝まで彼女を抱いたまま、そのままの状態で過ごしました。
 それが契機になったのか、私たちの仲は一気に進展しました。そして結婚を考えるようになったのです。
 結婚するについて、彼女から条件が三つありました。
 一つは、浮気をしない。一つは、一週間に一度はデートをする。もう一つが一緒に晩酌をするというものでした。
 二つの条件は何でもないことでした。浮気しようなんて気持ちはこれっぽちもありませんでしたし、デートをしたいのはこちらの方でしたから。ただ、三つ目が問題でした。
 単純に一杯付き合うだけでしたら何とかなるのですが、彼女の場合、一杯では寂しがるんです。何とかしようと思ってもこればっかりはどうしようもありません。それで鍛えるために会社の帰り、ここへ寄って……、でもダメですね。一向に強くなりません」
 老松さんはあきれたような顔で話を聞いていたが、それでも酒の飲めないガンさんのことを不憫に思ったのか、ガンさんの悩みに真剣に答えた。
 「酒を呑み続けることで酒の味に慣れるということがある。しかし、酒が強い、弱いは遺伝子が影響しているから、酒に弱い遺伝子を持つ人はどんなに頑張っても強くなることはないようや。
酒を呑み続けていると、脳が錯覚を起こして酒が呑めるようになったと感じることもあるらしい。だが、結論として、あなたが酒を呑めるようになることは多分、難しいやろと思う。本来、日本人は酒の呑めない体質の人が多くて、呑める体質の人は全体の二割に満たないと言われているぐらいやからあまり気にせんことや。酒豪の奥さんと晩酌を一緒に楽しみたければ、無理して酒に付き合うよりも、話に付き合ってあげることが一番やないか」
老松さんの言葉は思いやりに満ちていた。ガンさんは老松さんの話を聞いて、やっぱりそうなのかと思った。数か月、えびす亭に通って、未だにこのザマだ。これ以上頑張ってもやっぱり無理なのだろう。久子が寂しがるだろうなあ……、そう思いながら、グラスに残ったビールを眺めていた。
「ガンさん。奥さんにこれまで頑張ったこと、これ以上どうしようもないことを正直に打ち明けてみたらどないや。ガンさんを好きになる人や。きっとわかってくれると思う」
マスターに言われて、静かに頷いたガンさんはうなだれた様子で帰って行った。
その後、しばらくガンさんはえびす亭に姿を現さなかった。ガンさんが姿を見せたのはそれから二週間ほど経った金曜日の夜のことだ。
「ガンさん、どないしてたんや? 心配しとったやで」
老松さんはガンさんを見ると、そうやってすぐさま声をかけた。
ガンさんは、老松さんに、
「老松さん、その節はご高説ありがとうございました」
と言って、丁寧に頭を下げた。
「ガンさん、小ビール一本でっか?」
マスターが聞いた。
「いえ、オレンジジュース一本、お願いします」
ガンさんが小さな声で言うと、老松さんもマスターも思わず驚いた顔をしてガンさんを見た。
「酒の練習はやめたんか?」
老松さんが聞いた。
「ええ、きっぱりやめました。実はあの後、女房に話したんです。おまえと一緒に晩酌を付き合いたくて、量が呑めるようになりたいと思って、えびす亭で修行してたんだよ。だけど、やっぱり私には難しかった。酒は付き合えないけど、話には付き合う。それでもええかって」
「それで奥さん、どない言うたんや?」
老松さんとマスターが同時に聞いた。
「そう言ったら、突然、女房が泣き出して……」
「えっ、泣いたんか?!」
「ええ、泣いて言うんです。酒は好きだけど、私、それ以上にあなたが好きやねん。あなたが酒をやめろって言うたら、私、頑張ってやめてもええよって。私は、それはあかん。呑みすぎて体を壊してもあかんけど、酒をやめる必要は一切ない。これからも晩酌は続けていいよって。そしたら久子のやつ、ありがとうって言って、もうこれからは無理して呑まなくてええからね、と言ってくれたんですわ」
「あほらし……。のろけ話やんか、まったく、あほらしゅうてかなわんわ。そやけど、まあ、よかったわ。それにしてもガンさんの嫁さん、ええ女やなあ。わしもいっぺん、会うてみたい」
老松さんがそう言うと、マスターや周りの客も、
「ほんまやなあ。一度、拝んでみたいわ」
と口を揃えて言った。するとガンさん、
「もうすぐ来ますさかい、ここで待ち合わせしてるんです。マスター、酒の準備、よろしくお願いします」
と笑って言った。
入口のガラス戸をしばらく見ていたガンさん、
「ほらきた!」
と声を上げた。
客たちが一斉にガラス戸を見た。ガラガラと戸の開く音がして、かわいい女の子が顔を覗かせた。ガンさんの嫁、二〇歳下の久子さんだった。
<了>


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