母と子が刻む彫刻の謎

高瀬 甚太
 
 兵庫県北部の山間にある、小さな村に井森がやって来たのは決して偶然ではなかった。
 大阪から車で約2時間の距離にあるその場所は、道路が整備されていて標識も整っていて迷うことはなかった。
 目的の集落に入った井森はまず村役場に向かい、鷹羽秋声の住まいを尋ねた。鷹羽秋声は有名人だ。もちろん職員も知っていて、すぐにその住まいを教えてくれた。
 冬場にはかなりの積雪があるのだろう。どの家も頑丈な造りになっていて、雪に対する備えが万全のように見えた。しかし、過疎地のしかも山村のせいか人の気配がまったくしない。まるで無人の地のように思えたほどだ。車を停め、歩き始めて数分、誰にも出会うことなく鷹羽秋声の住居に辿り着いた。
 鷹羽秋声の住む家屋はごく普通の民家で、高名な彫刻家の住まいといった様子を一切感じさせなかった。
 二度のノックでドアが開き、最初に顔を覗かせたのは鷹羽秋声ではなく、八十過ぎの老婆だった。
 「井森さんですか?」
 井森を見るなり老婆が聞いた。
 「はい、そうです。鷹羽先生はいらっしゃいますか?」
 老婆は会釈をして、
 「どうぞ、お入りください。先生がお待ちです」と暖かく井森を迎え入れた。
 外観と違い、室内は見事な工房の設えになっていた。完成品を置き並べた玄関口を通り、奥へ進むと、新鮮な木材の匂いが鼻をついた。
 鷹羽秋声は現代彫刻の旗手として、近年その名を轟かせている新進気鋭の彫刻家であった。かなりの偏屈者であるという噂で、世俗と隔絶した世界で黙々と制作に勤しんでいる。そんな記事を目にしたことがあった。
 応接室のような部屋に案内された井森は、そこで彼を待った。
 静寂の中で時間が過ぎる。鷹羽秋声は完成間近の作品があり、しばらく待っていてほしいと老婆から伝えられていた。
 洋風に設計された応接室には飾り物が何もなく、婦人の肖像画が一枚、壁に掛けられているだけだ。
 ――ある出版の企画で、本の表紙に彫刻を用いたらどうだろうと関係者から意見をもらったことがあった。当初は乗り気ではなかったが、鷹羽秋声の彫刻を掲載した写真集を見せられて気が変わった。鷹羽秋声の彫刻なら企画本のイメージに相応しいかも知れない。そう思わせるものを感じた。しかし、肝心の鷹羽秋声に連絡を取るのに少々手こずった。連絡先が皆目わからないのだ。散々、探し回ったあげく、ようやく彼の作品を販売する画廊を探し当て、そこの主人に連絡先を教えてもらい、ようやくこの日、鷹羽秋声のもとを訪れることができた。
 鷹羽秋声が現れたのは、40分ほど経った後のことだ。私の前に現れた鷹羽秋声は、意外にも若く、幼く見えた。どう見ても三十を超えているようには見えなかった。
 「はじめまして井森です」
 と挨拶をすると、彼もまた丁寧な挨拶を返した。傲慢な芸術家といったイメージを持っていただけにその丁寧な対応に驚かされた。
 鷹羽秋声は、年齢を含めてすべてが不詳になっていた。普段なら、そうしたことにあまり関心を持たない井森だが、彼の場合はなぜかそのことが気になった。それで、一通り、本の企画と鷹羽秋声の作品を表紙に掲載したい旨の相談をした後、雑談を持ちかけた。
 「失礼を承知で言わせていただければ、作品と作者のイメージがどうしても合致しません。これまでそんなことを言われたことはありませんか」
 鷹羽秋声は苦笑し、少し時間を置いて答えた。
 「初めてです。皆さん、本当は胸の内でそう思っているのかも知れませんが、単刀直入に言われたのは初めてで、少し動揺しています。しかし、そう思われるのも無理はありませんね。実は私の作品は、私だけの制作でありません。母との合作なんです。だからそう思われたのかも知れません」
 「お母さんとの合作なんですか――」
 少々驚いたが、彼は平然として「そうです。すべて母との合作です」と改めて言った。
 「では、今も工房でお母さんと一緒に制作されておられるのですか?」と問うと、
 彼は即座に「いえ、母は三年前に亡くなりました」と言う。
 「では、どうして……」
 それでは合作などできるわけがない。井森が首を傾げていると、
 「母は私の中に生きています。今も、これからもずっと」
 鷹羽秋声は自らの胸を押さえ、壁に飾られた婦人の肖像画を凝視した。
 「こんなことを他人に話すのは初めてのことです。どうしてこのような気分になったのか自分でもわかりませんが……。多分、今日が母の命日で、そのことも多少、影響しているのかも知れません。あなたに問いかけられて、何となく話してみたくなりました……」
 鷹羽秋声は婦人の肖像画を眺めながら静かに語り始めた。
 「父は彫刻家としては一流でしたが、人としては最低の男でした。傲慢で自分勝手で、他人を思いやらず、酒を飲むと暴力を振るい、いつも母を苦しめていました。私は、そんな父を見て育ちました。父はなぜか私にだけはやさしく、幼い頃から彫刻のイロハを私に伝えてきました。きっと自分の後継ぎにと考えていたのでしょう。母も元々は彫刻家で、もしかしたら父よりも優れていたと思うのですが、父と結婚をして、その才能を父によって封じ込められました。きっと母の才能が怖かったのでしょう。
 父は十年前に脳溢血で呆気なくこの世を去りました。私はその時、まだ十八歳で、将来、彫刻の道に進むかどうか決めかねていました。
 母は父の死後、彫刻を再開しました。母の作品は愛に溢れ、慈しみに満ちた、とても優れたものでした。私がこの道を進むと決めたのも母の作品に触れたせいだと思います。 荒々しく、人を寄せ付けない唯我独尊の父の作風とは違い、心に染みる母の作品群は常に私を感動させました。ところが母は、その作品群を自分の作品とはせず、私の名前で次々と発表したのです。
私は母に、どうして自分の作品として世に出さないのか、不審に思い尋ねました。すると母は、それが私のあなたに対する愛なのですよ、と言い、迷う私に一緒にこの道を歩もうよ、と言いました。
 真に彫刻の道に目覚めたのは、おそらくこの時が初めだったと思います。父に教えられた彫刻の世界は、食って行くため、生活をして行くためのものでしかありませんでした。それだけのものなら十八歳の私には、彫刻にこだわらなくても他に生きる道がありました。だが、母が導いてくれた彫刻の世界は、他には類のないものでした。母と一緒に彫刻をし、そこで私は初めて彫刻が楽しいと思える瞬間に出会うことができたのです。
 母は亡くなりましたが、いつしか私は、母が彫ったものと同じような傾向の作品を作ることが出来るようになりました。母の愛が、魂が、今でも私の心の中に宿っている、その証拠だと思います」
 鷹羽秋声はその話をする間も、ずっと壁に飾られた婦人の肖像画に魅入っていた。井森は、その時、目の前にいる鷹羽秋声が、時折、壁に飾られた肖像画の婦人と入れ替わるような錯覚を覚えて、薄気味の悪いものを感じていた。
 「今、お聞きした話は私の胸の中に収めておきます。一切、他言はしませんので安心してください」
 鷹羽秋声が話し終わった後、井森はそう断って席を立った。家の戸口に立ち、
 「では、表紙の件、なにとぞよろしくお願いします」
 と言って出ようとすると、
 「お疲れ様でした。こちらこそよろしくお願いします」
 と鷹羽秋声の声にダブルようにして女性の声が被さった。見ると、鷹羽秋声一人しかいない。老婆にしては若い声だったな、と思いながら鷹羽秋声宅を離れた。
 
 三カ月ほどして、本が発行された。表紙はもちろん鷹羽秋声の彫刻によるものだ。菩薩を描いた表紙の彫刻が話題になり、本は思いの外売れた。
 鷹羽秋声はその後も謎の彫刻家としてますます人気になり、至る所で個展が開催されるなどして、今もなおその人気は衰えを知らない。
〈了〉

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