公園内連続ショック死事件

高瀬 甚太
 
 闇を貫くように黒い影が走った。その瞬間、うめき声のようなものが聞こえ、やがてそれは降り始めた雨音に瞬時にかき消された。
 
 雨上がりの朝の爽やかな空気に誘われて早起きをした、極楽出版編集長の井森公平は、街の中心にある公園を通り抜けて駅までの長い道のりを歩いていた。
 木々の葉が繁茂し、季節の花が咲き乱れるこの公園は、井森の散歩コースの一つになっている。公園を通り過ぎようとしたその瞬間、井森は、公園の入り口付近に異様な人込みがあることに気付き、人垣をかき分けてそっと覗いた。
 ロープを張られたその中心に警官が数名いた。しばらくして数台のパトカーが駆けつけ、その中から中年の刑事が姿を現した。旧知の原野警部だった。警部は人混みをかき分けるようにして輪の中心に立った。
 警部の足元に一人の男性が倒れていた。見たところ老人のようであった。鑑識官が数人駆けつけ、倒れている男性の身元と死因を調べている。その遺体の様子からみて、殺人事件とみて間違いないように思えた。
 人垣の中にいる井森に気付いた原野警部が井森に声をかけた。その時、すでに現地調査はほぼ終了していたようだ。
 「こんなに早くどうしたんだ? 編集長」
 原野警部は殺人事件の捜査の後とは思えないような軽い口調で井森に聞いた。
 「雨上がりの爽やかな空気に誘われて散歩に出た」
 と井森は話し、「殺人事件ですか?」と逆に質問をした。
 「詳しいことは話せないが、あんたのことだ。少しぐらい話してもいいだろう。まだ、殺しかどうかはわからないが、死亡推定時刻は午前5時、仏さんの死因は心臓麻痺、犬を連れて散歩中にショック状態に陥ったか、何らかの外的ショックを受けたかのどちらかだ。特に外傷はない」
 原野警部は、コートの脇からタバコを取り出し、火を点けると、大きく煙を吸い込んだ。
 「午前5時と言うと、まだ暗いですよね。そんな時間に散歩をしますか?」
 「結構、多いようだ。年寄りは早く目が覚めるというからな。老人にありがちな心臓麻痺による死として片付けるところだが、そうもいかない事情があってな。今、慎重に調べているところだ」
 「そうもいかない事情というのは何ですか?」
 「実はこのところ、こうした事件がこの近辺で多発している。隣町でも同様の事件が起きたばかりだ。その前にもこの街の外れの公園で起きている。短期間に集中して同様の事件が起きるのはあまりにもおかしいだろ? それに時間もすべて午前5時前後だ」
 確かにおかしい。一件だけなら事故死として片付けられるだろうが、同様の条件で頻発するととても偶然とは思えない。
 原野警部はそれだけ言うと、救急車の後を追うようにしてパトカーに乗り、公園を去った。
 老人が倒れていた場所と周囲を好奇心の旺盛な井森はそれとなく探ってみた。公園の入り口近くとあって周辺は比較的見晴らしのいい場所になっている。公園の近くには二階建ての住宅が数棟あり、後は平屋の家が数軒続くだけ。寂しい場所であった。
 老人の倒れていた位置を思い出してみた。確か、入り口に背を向けるような姿勢で倒れていたはずだ。
 井森は老人が入り口付近に背を向けた状態を想定して、もう一度周囲を見回した。目の前に見えるのは生い茂る木々と公園を突き抜ける散歩道だ。それ以外何もないように見えた。
 しかし、老人が心臓麻痺を起こすような外的ショックがあったとしたら、この位置から見えるところに何かがあったはずだ。井森は、老人が何らかの外的ショックを受けたと仮定して、再び、その位置に立った。
 推理は知能の動作だが、事件を解き明かすには綿密な調査と勘が必要だ。井森は神経を研ぎ澄ませ感性を集中した。目には見えにくいものでも、精神を集中させると見えてくる場合がある。しばらくそのままでいると、井森の心臓の奥深く、ざわめくような音が聞こえてきた。
 そのざわめきが止むと、瞑った目に一瞬の光が宿った。心眼というべきか、何かが見えたのだ。その時、井森はあることに気が付いた。
 
 数日後、原野警部と共に井森は、事件現場を散策した。
 原野警部に、「私が事件の謎を解いてみせます」と井森が豪語した時、警部は笑うばかりで井森の言葉を信じようとはしなかった。だが、井森の真剣な表情に突き動かされ、それなら話だけでも聞いてみようかとなった。原野警部は、多忙な時間の合間を縫って井森が指定した現場に急行した。
 三つの事件現場を歩いてみて、井森の確信はさらに深まった。三つの事件に共通したものの中に真実がある。それを井森は原野警部に説明することにした。
 三つの事件現場に共通していたのは、一つは公園であること。一つは時間が夜の明けきらない午前5時前後であること。事件の前後に雨が降っていたこと。木々に囲まれた場所であったこと、いずれの場合も犬の散歩中で、心臓麻痺で亡くなっていること、この六つである。
 三人の老人はそれぞれ心臓に欠陥を持っていなかったから、心臓麻痺で亡くなるには何らかの大きな外因性ショックが与えられたと考えるほうが自然である。
 また、三つの公園に共通することは、いずれの公園も異様に静かであったこと、街灯がほとんどなかったということだ。
 「警部、老人が倒れていた現場に立ってもらえませんか」
 警部は素直にその位置に立った。
 「目の前に見えるものに注目してください」
 警部は現場に立ったまま、前方に視線を向けた。
 「何が見えますか?」
 井森が尋ねると、警部は、
 「木だよ。それしかない」
 と井森に向かって言った。
 「では、その木に注目してください。何か見えませんか?」
 警部はしばらく注視したが、
 「別に……。やっぱり木しか見えないが」
 と投げ出すような口調で言った。井森が何をしようとしているか、原野警部にはまるで見当がつかなかった。
 「警部、申し訳ない。もう少しだけ木に注目してください。何かが見えて来るはずです」
 警部は大きく頷くと、再び鬱蒼とした木々に注目した。その瞬間、警部は、
 「あっ……!」
 と声を上げた。
 「そうです。見えたでしょ。それが真犯人です」
 正面に見える木々の中に、よく見ると黒い影が見えた。さらに注視すると、それがカラスたちであることがわかった。深い木々に混じって、その樹木の中に身を隠すようにしてカラスたちが潜んでいたのだ。
 「カラスが犯人? いったいどういうことだね」
 原野警部は納得のいかない表情を浮かべて井森に聞いた。
 「毎年、この時期(五月)はカラスの繁殖期になっていて、カラスはつがいで巣を作ります。そのため、この時期、カラスは非常に神経質になっていて、人を襲うことも稀ではありません。ただ、カラスは非常に知能が発達していますから、自分の身に危険が及ぶ昼間はよほどのことがない限りあまりそうした行動を起こしません。
 早朝、しかも夜の明けない時間帯に犬の散歩をする老人たちは、当然のことながら公園をよく利用します。犬の吐く息、声、匂い、しかも暗がりです。カラスたちはそんな犬たちに身の危険を感じたのでしょう。カラスは巣を守るために犬を散歩させる老人たちを襲い、老人は、突如、襲ってきた黒い影に驚いて、心臓麻痺を起こした。これがこの事件の真相ではないかと私は推察しています」
 原野警部は、少し、考えた後、
 「せっかくの編集長の意見だ。署に帰って検討してみるよ」
 と言って立ち去った。
 三日ほどして新聞の三面記事の下段に、『カラス、人を襲ってショック死させる!』の見出しで、頻発して起きた老人の心臓麻痺事件の顛末が記されていた。
〈了〉

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