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琉球展に行って沖縄の終戦記念日を考えた

琉球展に行ってきた

東京国立博物館特別展『琉球』に行ってきた。

沖縄出身の彼と出会うまで、深海恐怖症・パリピを連想するもの全て怖い=海辺はムリ・完全なる山派・高い国内旅行なら海外に行きたい等々の理由から、人生で一度も沖縄県に興味を持ったことがないと言っても過言ではなかったわたし。
焼肉も寿司もぜんぜんお好みでないものだから、わたしってほんとに日本人かしら?なんて思うほど。

それが彼と付き合って初めて、6月23日には沖縄の終戦記念日という日があるということや、沖縄の人の中には戦争経験者でなくても本土の人間に対し嫌悪を抱いている人がいること等々を知り、今年は一人旅をして戦跡や平和記念公園を回ったりした。そして6/23はバッチリ記憶した。

しかしだ。

わたしの彼はあちこちで定期的に開催される沖縄物産展やイベントやケンミンショー(沖縄は観光地として有名で人気があって裏ましい通り越して憎らしい、わたしは地味な本州の観光地出身なのだ)を目にするたび郷愁で目をキラキラさせ、わたしの実家より遠いのにわたしより頻繁に実家に帰り、上京してから長いのに田舎から出てきた友達としか遊ばず、外食すれば野菜嫌いなわたしにゴーヤを食べてみろと言い、帰る度にたんなふぁくるーというモソモソした食感の菓子を与えてくる。もうめっちゃ沖縄(というか地元、という意味で)が好き、わたしと出会ってなければとっくに田舎に戻って子ども時代とおんなじメンバーでつるんで青年団とかやってそうなそんなヤツなの。

それなのに、琉球の時代について全く知らない。

わたしは、タコライスやチキンやステーキやルートビアはアメリカの文化だと思っているので、別に沖縄で味わわなくていいと思っている。海外に行っても外国人向けでなくローカルなものを食べたり飲んだりしたいの。
沖縄の人はアメリカに統治される前はどんな暮らしをしていたの?
どんな着物をどういう風に着ていたの?
何を食べて生活していたの?

そういうことが彼は何もわからない。
沖縄旅行が好き、という人からも、琉球文化(わたしがここで言うのは戦前)について聞くことはほとんどない。

こんなにみんなに愛されていて、こんなにみんなに無視されている(のに根底に太く流れつづけている)文化の正体ってどんなもんだろう?
みたいな疑問が湧いてきて、どこかで告知を見るや行くことを決めて彼に話し、彼も興味を持ってくれたのだが、東京での閉会1週間前に思い出して急遽行ってきた。


日曜日だったこともあり会場はそこそこ混んでいて、次に行きたいところもあったので、動かない展示品の前は素通りしてパッパと見て回ったので詳細は書けないが感じたことを少し。
(前置きこんだけ長くて感じたことは"""""少し""""")
 
 
ガラスビーズを貼り付けたボトルがめちゃくちゃキレイ!!!
(たぶん、見に行った人は「最初の感想そこ⁉︎」ってポイント)

ネットで見た時からこれはぜったいに生で見る!と一目惚れ、生で見たらやっぱり一番素敵だった。
沖縄といえば紅型の色合いのイメージが強く、わたしはあれがあまり好みではないのだけど、よく見たら同じような濃いめの赤に黄土色に近い黄色、その他原色のビーズで王家の紋章や縁取りをしたボトルが展示されていた。昔おばあちゃん家にあった木のビーズのカーテン(赤や緑の混じった)みたいにコロコロでわくわく。手仕事の粒不揃いなビーズの形がたまらんかった!
紅型と同じような色合いなのに、立体になるとこんなに違うイメージ(アンデスや中国の山岳民族の工芸品みたい)になるのかと驚き。

驚きといえば、同じような着物でも全然わたしの知っている"キモノ"と違うこと。
そもそも袖の脇が開いていない(開いてるものもあったが和風の仕立てだと書かれていた)。
それどころか脇の外側にマチが縫い付けてある。(そのマチを外側につけたところで脇の空間は広くならないが、一体何のために⁉︎)あと表地とは全く違うキレイな裏地が襟にまでついていて、展示のためか襟ぐりを返してあるのだが、これは暑い地域のため半襟や襦袢でオシャレできないのをカバーしていたのでは⁉︎と想像した。
国宝の紅型の着物に至っては、染めの模様のキレイさもさることながら、生地は涼しげなスケスケで、なのに織りで模様が描かれていた。あんなん、どうやって作るん…
(紅型の染めの型紙にも驚き。ぜひ見てみてほしい。)
 
あとね、沖縄の反物(?)って紅型だけじゃないの。地域によって全然ちがうの。紅型がダントツ華やかできっと王族が着るものだったから有名なだけだと思う。
突出した一部を見て知ったような気になってると痛感。

工芸品は全体的に、想像してた通り中国・韓国とか大陸系に近い印象。
だって本州より台湾に近いもの。
けど中国、日本、韓国のみならずマレーシアやインドネシアのほうまで交易をしていて(曖昧)、中継貿易で栄えていたとは知らなかった。あんなに小さな島々を一つの国として成立させるのも一筋縄ではいかなかろうが、あんな小さな島が大国ときちんと交易ができていたのはすごいことなんではなかろうか。
タイやベトナムの陶磁器の展示を見ると、当時の(日本ではない)沖縄とベトナム・タイってぜんぜん結びつきが想像できねぇな、なんて思ったりして。


グッズ売り場では、ちんすこう・さーたーあんだぎー・たんなふぁくるー(これ結構沖縄行ったことある人でも知らない人多いのでは?個人的には前者2つよりおいしい)等わたしの苦手な"口の中モソモソする系菓子"が大好きな彼が、琉球菓子を紹介する書籍を購入。
驚くことに、中に記された菓子のほとんどが

『『『『モソモソしそう』』』』

違いがわからん(笑)

だが、沖縄のお菓子として有名なちんすこう、さーたーあんだぎーのほかにも見たことも聞いたこともないものがたくさん。
わたしたちって、沖縄のことなんにも知らないんじゃない?



沖縄の抱えるさまざまな問題、葛藤。
その背景には、観光地としての沖縄の一部しか見ていないわたしたちの意識の問題、そこ頼みの沖縄の怠慢があるのではないかと思う。

一部の沖縄の人は未だ日本国に対して嫌悪を抱き、本州(沖縄以外の日本?)の人間に良いイメージを持っていないという。
そんなこと、当時の日本人全員がイケイケだったわけではないし戦争を経験していないわたしたちに言われても、というのがわたしの正直なところではある。であるが、今までわたしたち日本人がどれだけ自分事として、同じ日本人が受けてきた仕打ち、もしかしたら自分が同じ仕打ちを受けたかもしれないと沖縄のことを考えてきただろうか、とも思う。みんな、たまの休みに遊びに行くのに都合よく見てるだけじゃないのかと。


これを書いているうちに深夜回ってもう6月23日。

今日は沖縄慰霊の日です。

日本はこの後2ヶ月戦うわけだけれども、自分たちの土地を侵され本当の意味で全てを、命をも供出させられた沖縄の人たちには、アメリカに占領されて日本軍が去ったこの日が記念日なんです。その意味を、わたしたちはもう少し考えなければいけないんだろうと、最近まで何も知らなかったわたしは思うんです。

その上で、特別扱いじゃなく、沖縄を楽しむことができるようになれば。

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