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ONE PIECEと中央省庁を考える

皆様、こんばんは。
note、こんばんは。

ここに戻ってくるのがだいぶ遅くなってしまいました。
去年の4月に会社に入ってからあっという間に1年と数ヶ月が経っていました。
荒れ狂う嵐の海に乗り出してから、ようやく船酔いもしなくなってきた、そんな感じですかね(知らんがな)。

最近、ONE PIECEを観ています。
かなり面白くないですか?コレ。
中学生の時に一度読むのをやめていたのですが、大人になってから観てもまあおもしろいこと。

海賊王を目指すルフィがその道中に様々な国や地域に立ち寄り、仲間とともにストーリーを紡いでいく。
至る所に散見される偽りの平和、欺罔、大衆的誤謬。

国の持つ、これらの"根幹的課題"をルフィたち麦わらの一味が解決(破壊)していく。
"正義"を背負った海軍が、これまでずっと解決できてこなかった(しようともしてこなかった)課題をいとも簡単に。

ONE PIECEを観ていて想起されたのが、オルテガの「大衆の反逆」です。
大衆と体制側、他所者の描き方が、上手いこと上手いこと。
作中にも、"今の体制をぶっ壊す無法者たち"といったセリフがでてきます。

立場のある体制側、失うものは何もない他所者。
様々な利害関係に縛り付けられる体制側と、何者にも縛られない自由な他所者。
思想が現状ありきのものに凝り固まってしまう体制側と、あるべき姿を柔軟に思考する他所者。

日本の政策形成過程においても、この構造は同様で、体制側の人間である中央省庁においては、多様な利害関係者の意見に板挟みにされ、長く勤めることで個人が、組織が思考の柔軟性を失い、失敗を絶対に許さない今の日本の大衆に監視され、大きな変革をすることも難しい。

他所者が現体制をぶち壊して初めて、偽りに満ちた世界であったことにようやく気がつく大衆。
変革に伴う痛みと、掴み取る理想がトレードオフだという事にすら気がつかない、思考が及ばない大衆。

つまり国の制度、政策が大きく変わるには、大衆が変化するか、他所者が破壊するかしかないのではないだろうか。
いかんせん大衆が変わるのは難しい。なぜならそれが大衆というものだから。

より時代にあった制度にしていく使命を背負っている中央省庁が、その本当の仕事を日本というこの国でするには、"ルフィ率いる麦わらの一味"の出現を待つしかないのだろうか...

"ひとつなぎの大秘宝"を現代日本で言うところの、「今もこれからも、全世代が幸せな人生をおくること」だとすると、日本を憂う若者たちが、中央省庁からも、それ以外からも麦わらの一味になることを願って。ぼくも願わくばその一味に。

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