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蟲魂2 -ガザミ(後編)-

             *
 備中国、川嶋の庄。
 その歳、備中国を旱魃が襲い町や村は大飢饉となった。

「大刀自様。この先の村は飢饉で村人が死に絶えたそうに御座います。間もなく日が沈む刻限となります。近頃、この辺りに野盗の輩も横行しております故、お一人での出立は見合わせれては如何で御座いましょう」
 旅籠の主は、草鞋の紐を結んでいる大刀自の出立を止めようと懸命に説得した。
 紐を結び終えた大刀自は振り向き、心配顔の主人へにこやかに言った。
「このような婆を誰が襲いましょう。暗くならぬ内に村を出るつもりです。隣りの宿場へ参るか、こちらに戻るかはその時次第。戻りましたなら御厄介になろうと存じます故、何卒お頼み申し上げます」
 大刀自は旅籠を出た。
             *
 村に近づくに連れて腐臭が濃くなる。
 腐肉の臭に誘われたのか、飛び交う蠅や小虫の類も増えていった。
             *
 年に一度訪れる伊予守の閖舞屋敷で過ごしていた大刀自の許へ、川嶋の庄の飢饉と壊滅的な状況を伝える手紙が届いたのはひと月前のことだった。
 …大蛟の隠れ子孫たちが絶える…
 嫌な予感が大刀自の脳裏を過る。
 手紙を受け取った翌日、大刀自は川嶋の庄へと向かう。
             *
 死滅した村。
 放棄された死肉。
 食い厭きられた屍。
 飽食、厭食、獣の美食。
 獣たちから見向きもされなくなった屍は、死の姿のまま朽ちてゆく。
 そんな姿の死体の方が多かった。
 葬られることもなく家の内外に放置された屍に蛆や蠅、肉を漁る虫が集る。
 …生き残った者は居らぬのか…
血眼になって探す大刀自の前に野盗が現れた。
「…」
 野党は十人ほどか。
 頭目らしき男が口を開いた。
「身なりの良さそうな婆さん。金と身ぐるみ置いて行け。命は勘弁してやる」
 怯むことなく、大刀自は言った。
「ふん。誰に申して居る」
「威勢が良いなぁ。ちぇっ、ちぇっ、ちぇ。気が変わった」
 頭目はニヤリと笑うと続けて言う。
「婆さんを殺せ。但し、着物を汚すなよ。売値が安くなるからな」
「十人ですか?」
「あん?」
「あなたを含めて、お仲間は十人かと尋ねているのです」
「そうだよ。十人。でも婆さんを殺すなら、一人で充分だな」
 大刀自は両掌を前に突き出し、開いた。
「何の真似だ?」
 頭目と仲間、嘲笑。
「婆さん。掌に乗っかってる玉みたいな物は何だ?」
 大刀自は、気の抜けた顔つきで笑うと答えた。
「助っ人ですよ」
 十個の玉が飛び散った。
「面白い手品を見せてくれてありがとうよ。殺れ」
 野党たちは殺気を感じる。
「えっ?」
 一人一人の足元に転がる玉に虫たちが群がる。
 それは次第に大きくなり、等身大の人型となって彼らの隣に立った。
「な、何だ。これは?」
 人型は彼らと重なる。
 呻き声。
 断末魔の叫び声。
 悲鳴。
 野盗たちの姿が消えた。
 大刀自が再び両掌を開く。
四散した玉たちがそこに戻ると、姿を消した。
 その後、大刀自の右手に大ぶりの蠅が止まった。
「満足出来ましたか。腐肉を食べ飽きたようだったので、生きた肉を与えました」
 ジッとしているその蠅に大刀自は続けて言った。
「生き残った者の所へ案内しなさい」
 大刀自は期待していなかったが蠅は翅を震わせ飛び立った。
 そして、彼女を先導した。
             *
 そこは、庄屋らしき者の屋敷だった。
 中に入ると、奥座敷で死んだ母親に寄り添ったままうつ伏せて倒れている少年がいた。
 …五、六歳の子のようだが…
 抱き起して鼻に手を当てると、まだ息があった。
 …もう長くはもつまい…
 男子の額に手を当て、大刀自は意外な顔つきとなった。
 …何と純真な幼心。しかも母への想いが強い…
 大刀自は、虫の息の少年の顔をジッと見つめた。
             *
 さり気なく、徳兵衛は道安に尋ねた。
「道安先生と大刀自様の縁は深いので御座いますか?」
「縁が深いと聞くかね。ふっふっふ。深いであろうよ。許嫁であった」
「えっ?」
「月影の里が消えて無くなる事件が泣ければ、儂は大刀自と夫婦になっていたよ」
 予想外のことに徳兵衛は言葉を失った。
 道安は、自分と大刀自の経緯を語り始めた。
「大蛟とは、備中国の川嶋近在を支配していた一族なのじゃよ。戦に負け、淵に追いつめられて悉く殺戮された。それを大蛟に擬えて作られて話が日本書紀に残された。一族郎党全てが抹殺されたように書かれておるが、実際には違う。生き残りの者たちは川嶋近くの山谷の奥深くに隠棲し、別の一派が川嶋を落ち延びて日向の庄に辿り着いた。両者の間では長く交流を絶やさなかったのだよ」
「千年にも亘って?」
「そうだ。日向の庄で対立があり、月生、月影という二つの里が出来た以降も、我らは日向の庄だけでなく、どちらの里とも密かに交誼を重ねた。儂の家は代々医者をしていたから月影の里との縁が深かった。親同士が決めた相手であったが、二人の間で互いに惹かれ合い生涯の伴侶となることを誓い合っておった」
「それが、あの一件で全てが流れた?」
 道安は深く頷くと続けた。
「あの時儂は長崎に留学中でな、事実を知ったのは一年後だったよ。親や親戚たちが、事件のことを耳にすれば出奔し月影の里へ向かうことを懸念したのじゃろう。まぁ、一年も経てばその心配も薄れると思ったのだろうが、儂は聞いた翌日に長崎を出奔して月影の里へ向かった。何も見つからなかった。それ以来、飢饉で村が滅んだその日まで故郷の土を踏むことは無かったよ」
「放浪はその時から?」
「左様。日の本を北から南。旅をして回り、医術や本草の研鑽を積んだ」
「日向の庄へも?」
「勿論。長逗留するのは江戸か閖舞、日向の庄と決めていたからな」
「横嶋の方付きの医師にはどのような縁で?」
「大刀自殿よ」
「えっ?」
「横嶋の方が嫁ぐ少し前、お方様が心を患われてな。大刀自殿が医師を探しておったのさ。当時の儂は江戸で名が知らておってな、しかも心の病に強いと評判であった。その噂を聞いて大刀自殿が訪ねていらしたのだ」
「奇遇で御座いますな」
「まぁな。だが、最初は分らなかった。面差しが似ているとは思ったが、死んだと諦めていたから。だが、向こうは直ぐに分ったらしい」
「どうして本人だと気づかれたので御座いますか?」
「匂い袋よ」
「匂い袋?」
「あの芳香は大刀自の家代々に伝わる匂いでな。それで確信致した」
 徳兵衛、道安をジッと見つめる。
「聞きたそうじゃな」
「何のことで御座いますか?」
「儂と大刀自との関係よ」
「お差し支えなければ…」
「男女の仲とならなかったばかりか、二人の間で何一つ起きなかった」
「恋仲であられましたのに?」
「長い年月がお互いを変えてしまったよ。どちらも埋めようない程深く、広くにな。故に儂は横嶋の方の医師を引き受けられたのだ」
「でも結局、道安先生はお辞めになられた。理由は何だったので御座いますか?」
「流産の折り、横嶋の方様の腹でのたうち暴れ回る蝤蠐を見たからね。しかもそれが、大刀自以外の人間によってなされる蠱術だと知ってしまったからだ。身の危険を感じて、儂は出奔した」
「姿を隠されたのは用心してのことで御座いましたか?」
「それもあるが、単に気侭に過ごしてみたくなった気持ちが大きい。気の向くまま各地を放浪して歩いた。そして風の便りで、故郷の村が飢饉により里人が死に絶えたと知った。二度と戻らぬと心に決めていたのだがな、もうこの世に自分の知っている故郷が消えて無くなると思うと心が妙に急いてな。見納めておこうと、その地へ向かった」
「ひょっとして、そこで大刀自様と再会されたのですか?」
 道安は頷きながら言った。
「その時、六歳くらいの男の子を連れていたよ」
             *
「あなたは…」
「道安先生」
「どうしてここへ?」
「あなた様こそ。あぁ、忘れておりました。ここは故郷でいらっしゃいましたね」
「随分と昔に棄てた故郷だがね」
「飢饉の噂を聞いて?」
 道安、頷く。
「自ら捨て、二度と足を踏み入れぬと決めていたのだがな。気持ちが変わり申した」
 道安は、里人が死滅した村を見渡した。
「この村もこれまでのようだな」
「村は無くなりましょうか?」
「残るさ。新たに入植する里人が来て再興されるであろう。だがその村は我らと縁も所縁もない場所となろうよ」
「古きは終り、新しきが始るのですね」
「ところで、その子は?」
「古き世の生き残りに御座います」
「生き残った者はその子一人かね?」
 大刀自、頷く。
「どこの子かね?」
「あなた様の御本家。恐らく跡取りの子で御座いましょう」
「兄上の孫か曾孫であろうか?」
「さぁ。そこまでは存じませぬ。ただ餓死した母の傍らで死に掛けておりました。母への思慕が強く離れずに居たのでありましょう。私が見つけました時は虫の息で…」
 しゃがんで子供の頭を撫でた道安、怪訝な表情で大刀自を見上げた。
「心に大きな虚ろがあるようだが?」
「母親の死のせいで御座いましょう」
 道安は立ち上がり、彼女の顔をジッと見つめて言った。
「心を抜いたね」
「…」
「お互い旧知の仲ではないか。まして洞の様子を見れば、それが自然と空いたものかどうかは直ぐにわかる。そうだろう?」
 大刀自は大きく溜息を漏らすと、観念したように話し始めた。
「あなた様の目は誤魔化せませんね。御仰せの通り、私がこの子の心を抜き取りました」
「どうして、そんなことを?」
「楽にしなせてやりたかったからに御座います」
 何かを言い掛けた道安だったが、大刀自の様子を伺った。
「虫の息で御座いましたから。死の瀬戸際まで母を求める幼心が不憫でならなかったのです。だから叶わぬ思慕から解放して、楽に死を迎えさせてやりたかったのです。ですが、この子は強い心の持ち主だったようです。安らかに逝くはずが…」
「息を吹き返した」
 大刀自、頷く。
「ガサミ色の蟲魂でした」
「その蟲魂をどうしたのだね?」
「母親の亡骸と一緒に燃やしました」

 道安は本家の焼け跡を呆然と見つめた。
 そんな彼の手を傍らの童が握った。
 道安と彼の目と目が合い、二人は互いの顔を見つめ合う。
 そして、道安は言った。
「この子は私が預るとしよう」
「お育てになられるのですか?」
 道安は首を左右に振って否定して言った。
「日向の庄へ連れて行く。庫裡三郎(くりさぶろう)の家に跡取りが居らぬ。心に塞がらぬ洞を持つこの子なら、あの家を継げるだろう」
「結局。大蛟の子孫は皆、日向の庄に落ち延びることになるのですね」
「この子にとっては、それが一番だろう」
 道安は少年の前でしゃがみ、彼の顔を見ながら尋ねた。
「おじさんと一緒に行くかね?」
 童、頷く。
「名前は何だい?」
 童、首を左右に振る。
「では名付けてやろう。そうだな…」
 道安は童の足元の草の葉にしがみついている蝉の抜け殻を見た。
 それは風に草の葉と共に揺られながらも、地に落ちることはなかった。
「蛻吉としよう」
「ぜいきち?」
「蛻吉の心の洞は蝉の抜け殻のようだからね」
 道安は蛻吉の頭を撫でた。
「いいかい。今日からお前は蛻吉だよ」
 そう言って立ち上がった道安は蛻吉の肩を抱き、夕陽に染まる本家の焼け跡を見つめた。
             *
「えっ。蛻吉は庫裡三郎さんが人買いから買ったのではないのですか?」
「蛻吉の素性が知れぬよう、そういう事にしたのさ。蛻吉には過去のしがらみに囚われることなく育って欲しかった。だから彼の養父となった庫裡三郎さんと図って、蛻吉は飢饉で生き残るため親が人買いへ売った子供。わたしは蛻吉を買い取った人買い。そういう記憶を庫裡三郎さんが蛻吉の心に植え付けたのさ」
「なるほど」
「何か腑に落ちたといった顔だが?」
「蛻吉が子供の頃の思い出を聞くと、何か辻褄の合わないところが御座いましてね。少し妙だなと思っておりました」
「庫裡三郎さんの腕だよ。ワザとそんな記憶として植え付けたんだ。子供の頃の記憶なんてあやふやでちぐはぐな部分が多いだろう。その方が本人も疑わないからね。全て蛻吉のためを思ってのことだ。それに抜き取られた蛻吉の童心は、もうこの世から消えたと信じて疑わなかったから。それが最善だと私も庫裡三郎さんも判断した」
「それは、自分の記憶に疑いを持ってしまったら、蛻吉がそれを探すとお考えになったからでしょうか?」
 道安、頷く。
「過去のしがらみに囚われたくないとはその事でしたか」
「左様。だが日向の庄へ蛻吉を送り届けた後、儂は大刀自を心底から疑う事となる」
 道安、険しい表情で語り続ける。
「江戸に戻って程なくして、儂は横嶋の連枝の家から密かに往診を頼まれた。奥座敷に通されて診たのはその家の三男であった。歳は蛻吉よりも二つ、三つ上でな。穏やかな少年であったが、どこなく虚ろな風情を感じられた。直感の通り、その子は数年前から時折虚ろになるとの事だった。普段は温厚で、聡明な子供なのだが、何の前触れもなく突然虚ろが襲うと。その頃、その子に両家への嗣養子がまとまったのだが唯一の懸念がその虚ろで、
心配した両親が密かな往診を儂に求めたのだった」
「それでお見立ては如何で御座いました?」
「心に、蛻吉と同様の洞があった」
「蛻吉と同じ心の洞?」
「左様。蛻吉ほど大きな物では無かったがな。故に、時が経てば洞は小さくなり、虚ろの病も自然と治まる感じであったので、両親へはそう伝えたのだがな」
「洞が気になられたのですね」
「心の洞抜きと、我らの間で言われている施術でな。徳兵衛殿も承知の通り、技に優れた者が行わなければ心を抜かれた者は死ぬ。生き残ったとしても気がふれる。だから、そうならぬように洞抜きできる者はそう多くない。儂が知る限り、儂の他には庫裡三郎と大刀自と数人ほどじゃ。洞抜きはな施術を行う者の癖が出る。だから洞の様子を見れば、同じ者が行ったかどうかは容易に判る。その少年と会う前に儂は蛻吉の洞を見ていたから、少年の洞を見て直ぐに判った。彼の洞抜きの施術を行った者が誰かとな」
「大刀自様?」
 道安、大きく頷いて見せる。
「大刀自様が何故そのような事を?」
「さぁな。儂にもよく解からぬ。ただ、その少年の養子先を聞いて震撼した」
「まさか…」
「先の伊予守の家さ。その少年とは、御前の養子。つまり今の日向守殿だよ」
            *
「逃げられちまったな」
 蛻吉は頭を掻きながら言った。
「すっかり濡れちゃったわね」
 あさり、苦笑い。
「乱水霞を振るうといつもこうです。返り血を浴びなくて済むのですが…」
 申し訳なさそうな顔つきて刀を鞘にしまいながら伊織は言った。
「やれやれ。あいつを千年振りに見たわよ」
 青斬りが姿を現す。
「あ、青斬りさん。出てらしたんですか?」
「当り前じゃない。あさりのことが心配で鞘の中になんか収まってられないわよ」
 伊織に構わずさっさとあさりの傍に駆け寄ると、青斬りは手拭いを渡しながら言った。
「こんなに濡れちゃって。早く吹かないとね。風邪ひくから…」
「うん」
 青斬りに甲斐甲斐しく世話をされるあさり、素直に嬉しそう。
 自身もずぶ濡れなのに放置されている伊織、がっくり。
「ところで蛻吉。大刀自様と御前を早く見つけないとヤバくない?」
 蛻吉、少し上の空で頷く。
「血魍魎の蟲魂も大刀自様に取られちゃったし」
「あぁ。あの蟲魂ね。久し振りに見たわ」
 青斬り、しれっと言う。
 そんな彼女を蛻吉たちは、それぞれに複雑な面持ちで見た。
「血魍魎の蟲魂って一体何なんだ?」
 蛻吉の問いに青斬りは答えた。
「あれは、蘇りと不死を叶える蟲魂なのよ」
「蘇りと不死を叶えるって、何だよ?」
「うーん。どう話したら解ってもらえるかしら」
 青斬り、ちょっと困り顔。
「良いから話せよ」
「蛻吉は、告げ口虫を介して徳兵衛から川嶋の大蛟の話を聞いて知ってるわよね」
「縣守とかが、淵で暴れてた大蛟を退治した話だろ?」
「そう。大蛟は備中を支配し大和に対抗していた一族郎党で、縣守は大和の朝廷から派遣された討伐軍の大将の事だって言っていたでしょう」
「そう言えば、そんな話だったな。大蛟は敵の象徴だって」
「そうね。だから大蛟なんて居なかったって思ったでしょう?」
「あぁ」
「大蛟は居たのよ。作り話でも何でもなくて。そして、備中を支配していた一族郎党たちは大蛟を神と崇め、その力を背景に備中を支配していたのよ。朝廷の連中も初めは大蛟なんて信じていなかったけど、それが真実と判ると恐怖した。それで連中ったら、太古の神々に救いを求めた。神託が通じて縣守となる男が選ばれ、それと同時に神剣が下された。男は笠の何とかっておじさん。下された神剣が、あたしってわけ」
 青斬り、どや顔。
「神様から何とかして来いって言われちゃったから、渋々ね。早いとこ済ませて帰ろうと思っていたから、笠のおじさんに色々と知恵を授けてね。あーぁ、思い出してきた。あの笠おじさん、使えないの。何も考えて無いし。野心とか無いのが取り柄なくらい。野心何て持たれるとかえって厄介だから選ばれたんじゃないかって思うくらい。だって考えてみてよ。あたし、仮にも神から下された神剣よ。それなりに力があるわけ。野心の満々の若造に持たせたら騒ぎが大きくなるじゃない。神様連中も揉めたくなかったけど、大蛟は暴れ回って、見逃せないくらい手を焼いてたから適当に退治して一件落着狙い。これでもね、あたしって切れ者の知恵者なのよ。瓢箪の知恵つけてやって退治したわけよ。そこまでは
良かったんだけど予想外の展開になっちゃったのよ」
「予想外?」
「笠おじさんの心に野心が芽生えたのよ」
「…」
「おじさんとあたしはボロボロになるまで戦って何とか大蛟と眷属を倒したんだけど、虫の息だった一匹が笠おじさんの心に入り込んだの。彼の野心を喰らって、生まれ出た蟲魂が血魍魎の蟲魂。そいつったら、あたしに近づいて来たかと思うと、力を奪い始めた。最後の力を振り絞って抵抗し、淵の底へ逃れたのよ」
「笠の縣守は、その後も生きて淵の守り神みたいな存在となったって話だぜ」
「あたしもね、一応神様の端くれなんですけど。蘇りと不死なんてお手の物よ」
「血魍魎の蟲魂が死んだ縣守を蘇らせた?」
「その場は見ていないから推測だけど、きっと血魍魎の蟲魂に喰らわれたのね」
「ふーん。それで青斬り姐さんは、その後どうなったんだ?」
「落ち延びる連中の一人が、淵の底に沈んだあたしを持ち出したのよ。それで日向の庄へ移り。閖舞へ落ち延びる際に持ち出された。結局、後に月生の里に住むことになる追討の連中の手に渡り、神滝に納まったわけ」
「それじゃあ、四百年前に月生と月影を和解させた神様って、ひょっとして…」
 伊織、真顔で尋ねる。
「あたしに決まってるじゃない」
 青斬り再び、どや顔。
「御影斎の奴、ちょっとイイ男に見えたのよ。あぁ、あれが間違いの元だったけど…」
 伊織とあさり、脱力。
「そう言えば、大刀自様から横嶋の家の由来を聞かされたことがあります。今でこそ横嶋家は武家ですけど、元は朝廷に仕えていた家だと。本貫は備中国」
「笠の県守の末裔ってこと?」
 あさりの問いに伊織は答えた。
「そこまでは判りませんが可能性は高いかも知れません」
「そうだとして、御前や大刀自はどうして血魍魎の蟲魂を欲しがるんだ?」
「何かを蘇らせようとしているのかしら?」
 あさり、髪の毛を拭きながら尋ねる。
「魂胆は分らないけど、展開としては千年前と同じ。大蛟から八匹の蛟が生まれ、横嶋の方の身体を喰らって血魍魎の蟲魂が生まれた。ここで登場してないのは縣守だけど」
 青斬りの言葉に全員の顔がハッとする。
「御前が、縣守ってことかよ…」
「大刀自様。何を考えてらっしゃるのか?」
 伊織、不安顔。
「早く二人を探し出さないと」
 威勢の良いあさりに青斬りが異を唱える。
「あさり。危ない真似は止めて、早くここを出ましょう」
「ダメよ。大変なことになりそうじゃない。早く止めないと」
「でも…」
「青斬り。心配?」
「うん。あさりに何かあったらと思うと、あたし…」
 青斬り、涙目。
 …泣く刀って初めて見たぜ…
 そう思いながらニヤケを堪える蛻吉。
 …やっぱり僕の事なんか眼中に無いんだ…
 拗ねる伊織。
 …あさりも心配だけど、あの時みたいにボロボロになりたくないし…
 本音は複雑な青斬り。
「大丈夫。みんなで力を合わせて悪だくみを阻止しましょう」
 意気盛んなあさりを、三人は引き気味に眺める。
「まぁ。兎に角、戦うかどうかは別として。連中に会って見ない事には始まらねぇーぜ」
「そうね。でも蛻吉、探すのに手があるの?」
 蛻吉、小脇に抱えている徳兵衛の喫煙具の手箱の引き出しを開けた。
 つがい蜈蚣の雄が外に出てきた。
「こいつに案内させるさ」
 そう言った蛻吉は、大刀自から貰った匂い袋を出すとつがい蜈蚣に匂いを嗅がせた。
「さっき大刀自を呼び止めた時に奴の打掛にこいつの雌を放っといたんだ」
「抜け目ない…」
 あさり、呆れ顔。
「俺は徳兵衛と違って詰めがきっちりしているんでね」
 蛻吉、どや顔。
「ところで、その匂い袋は?」
 青斬り、ちょっと物欲しげ。
「ここに来る前に大刀自に会ったろ。あの時に渡されたんだ。さっき、黒打掛をまとった大刀自に遭遇した時にも同じ香りがした。きっと、この匂いが俺たちの居場所を連中に伝えていたんだろうよ。それを逆手に取って奴らの居場所を探り当てる」
 蛻吉は、雄のつがい蜈蚣を床に放した。
「俺たちを早く案内しないと、お前の恋女房が危ないぜ」
 蛻吉、ニヤリ。
「蛻吉さん。鬼だ…」
 伊織の言葉をよそに蜈蚣は一目散で進み始める。
             *
 徳兵衛はふと、兄の治兵衛の顔を思い浮かべた。
 …日向守様の穏やかさは兄と同じ、童心を抜かれたことによるものなのか…
 湯呑を茶托に戻すと、道安は言った。
「日向守殿の蟲魂だか、抜かれた後どうなったのだろうね」
 徳兵衛は、自分の顔を意味ありげに見つめる道安の言葉に不安を覚えた。
「抜かれた蟲魂はねぇ、元居た身体を求めるのだそうだ」
「元居た身体を求める?」
 蛻吉から離れようとしないガザミが、徳兵衛の脳裏を過る。
「もし抜かれた蟲魂が元居た身体に戻ったら、何が起きるのでしょうか?」
「治兵衛さんのことが気にかかるのかね?」
 徳兵衛、曖昧な笑み。
「戻った後にどうなるかを知る者は居ないだろうよ。古い文書に記録も無いしな。普通、洞抜きで得た蟲魂は燃すか土に埋めて二度と世に出ないよう処分してしまう。それが元の身体に戻らないようにね。古来より、それだけは守られてきたところから察する良からぬことが起きるからなのだろうよ。だから、残さぬよう戒めたのかもしれん」
「日向守様や蛻吉の童心の蟲魂を、大刀自様が作法通り処分されたとお思いですか?」
「そう信じたいが洞抜きされた幼き自分の日向守殿を見てより今に至るまで、大刀自殿に対する疑いが晴れずに過ごして参った」
「…」
「確かめる気など無かった。儂だけが知る疑念。それに今の日向守殿は温厚にして家中の皆から慕われ、尊敬を集めているという。今更、真実を知ったところで何になろう。墓場まで持っていく積りじゃったよ。だがな、御前の乱心や徳兵衛殿の来訪で気が変わった。疑念を明るみにせよと、天から命じられておるような気がした」
 道安はスッキリした顔つきで更に言った。
「放浪と言えば聞こえが良いが、逃げ続けた生涯であったよ。逃げ切れると思っていたのだがな。ここに来て、どうも焼きが回ったようじゃ」
 杖を手に立ち上がり、道安は徳兵衛に言った。
「徳兵衛殿。疑念の真相を解明するため大刀自殿を尋ねに参ると致そうか」
 躊躇い、腰が重く立とうとしない徳兵衛に道安は言った。
「どうかされたかな?」
「大刀自様は、お会いになられましょうか?」
「心配かね?」
「はい」
 治兵衛の童心の蟲魂を持つ徳兵衛にとって、大刀自から語られる言葉は己と兄との未来を暗示する気がしてならなかった。
語られる内容によっては、墓場まで持って行くと心に決めた治兵衛に関する秘密について最も聞きたくない結末を覚悟しなければならない気がしていた。
「会うさ」
「…」
「会わずには居られまい」
 道安は、穏やかに微笑みながら続けた。
「あの人もまた、心の重しを取り除いて旅立ちたいと思っておろうからな」
             *
「あら。この部屋って…」
 つがい蜈蚣の雄が蛻吉たちを導いた部屋に入るなり、あさりは呟いた。
「あさりさん。この部屋は?」
「御前の居室。でも、この部屋には御前が信用した者しか入れないの。御家中でも、ご用人と一部の人しか入った事が無いんじゃないかしら」
「あさり。あんたは入ったことあるの?」
 青斬り、ちょっとヤキモチ気味の声。
「あるわよ」
「えっ…」
「ちょっと、青斬り。変な想像してるでしょう?」
「してないわよ」
「そんなんじゃないわよ。珍しい蟲魂を届けた時、この部屋に招かれただけよ」
「だから、そんなんじゃないって」
「気が気じゃないみたいだな。青斬り」
「蛻吉。何よ。あんたまで」
「安心しろ。俺も珍しい蟲魂を届けた時、ここで酒とか振る舞ってもらったぜ」
「ええっ。御前って、両刀使いだったの?」
「おいッ、青斬り。いい加減にしろっ」
 蛻吉とあさりの声が重なった。
「まぁ、まぁ。御前の色恋の趣味は置いといて。何でこの部屋なんですかね。どこと言って変わった様子があるようにも思えませんが」
 首をひねる伊織に蛻吉が答えた。
「伊織様。どうもそうでもなさそうですぜ」
「えっ?」
「つがい蜈蚣の雄を見てくだんせぇ。さっきから床の間の上をグルグル回ってまさぁ」
「あっ。そう言われてみればそうですね」
 床の間でしゃがんで忙しく動き回る蜈蚣を捕まえようとするあさりを蛻吉は止めた。
「あさり。止めといた方が好いぜ。そいつ、気が立ってるから噛みつかれるぞ」
「えっ?」
 振り向いたあさりの表情に激痛が走る。
「いっ、痛いッ」
 彼女は慌てて手を引っ込めた。
「あ、あさりッ」
 青斬り、超心配顔。
「だから言わんこっちゃねぇ。薬、塗っとけよ」
「もう。この子、どうしてこんなに気が立ってのよ?」
「恋女房が近くに居るってことさ。匂い袋の香りと共に雌の臭いも強まってるぜ。青斬り、済まねえが、あさりを頼むわ」
 そう言ってあさりを青斬りに預けると、蛻吉は床の間を調べ始めた。
「蛻吉さん。隠し扉ですか?」
「多分。間違いねぇーでしょう」
「私も探しますよ」
 伊織も書院棚を探り始めた。
             *
 奥女中に支えられて現れた大刀自は、白地に揺れる水面を錦糸の刺繍であしらわれた打掛を見に纏って現れた。
 そして着座するなり、徳兵衛へ話し掛けた。
「泉州屋殿。久しゅう御座いますね」
「ご無沙汰しております。大刀自様もご壮健で何よりに存じます」
「足腰が弱くなりました。歩くことはおろか、立座りにも助けが必要で難渋しております。さて今日の用向きは?」
「実は、大刀自様にお引き合わせしたい方をお連れ致しました。
 それまで平伏していた道安が顔を上げた。
「道安先生…」
「ご無沙汰であった。大刀自殿」
             *
 二人が昔語りを始めたので、徳兵衛は告げ口虫を介して蛻吉に話し掛けた。

『蛻吉。無事かい?』
『ああ無事ですよ。お前も無事みたいだな?』
『お陰様で』
『けっ。ほざいてろ』
『今、何処に居るんだい?』
『御前の居間に来てる。あさりや伊織様、青斬りさんも一緒だ』
『そうかい。おや。ガザミは?』
『居るよ。俺の洞の中で昼寝の真っ最中だよ』
『おやおや。それでお前さんたち、御前の居間で何をしているんだい?』
『隠し扉を探してる』
『隠し扉?』
『血魍魎の蟲魂。出来上がっちまったぜ』
『そうかい。困ったねぇ。それで血魍魎の蟲魂は手に入れたのかい?』
『いいや。寸でのところで現れた大刀自に持って行かれちまったよ』
『大刀自様?』
 心の内でそう呟き、徳兵衛は道安と談笑する大刀自を見つめた。
『ああ。大刀自だ。鬼みたいな形相で血魍魎の蟲魂を手に入れると、高笑いしながら姿を消しちまった。後を追って、御前の居間に辿り着いたってわけよ』
『だけど、大刀自様なら道安先生と和やかに語り合っているよ』
『えっ。道安先生と大刀自の野郎、知り合いなのか?』
『そうだよ。二人に経緯は話すと長くなるから、今は止めておくよ。しかし変だねぇ、立ち居振る舞いも一人で儘ならないんだよ。根津屋敷と日向守様のお屋敷を行き来できるとは思えないよ』
『あれは、確かに大刀自だったぜ。それがよ。黒地に揺れる水面を赤い錦繍であしらった打掛を着ちまってよ。この世の者とは思えない迫力だったぜ』
『黒地。赤い錦繍。打掛姿の大刀自様。別人なのかねぇ…』
『何ぶつくさ言ってんだよ』
『いや。気にしないでおくれ』

「蛻吉さん。ここ、ちょっと見てみて下さい」
 伊織、床柱の一画を示しながら蛻吉を呼ぶ。

『伊織様が何かを見つけたらしい。また後にしてくれ』
『分ったよ。気をつけておくれ』

 蛻吉との会話は、そこで途切れた。
 徳兵衛は少し眉間に皺を寄せて、大刀自の和やかな顔を見つめた。
             *
「伊織様。どうされました?」
「柱。ここを触っていたら突然開きましてね。中に釣り下がりがあるんですよ」
 指摘された場所を見るなり、蛻吉は柱の内側に吊り下げられた紐を引き下ろした。
 歯車が噛み合うような音。
 床の間の一部の壁が横に動き、隠し部屋の入口が現れた。
             *
「ところで大刀自殿。私に預けた心に洞を持った少年を覚えているかね?」
「はい。覚えております。あれからもう、四十年近く経ちましたか。あの童は息災ですか?」
「息災だよ。日向の庄へ連れて行き、今では腕の良い蟲魂取りになったよ」
「それは良かった」
 道安、含み笑い。
「如何なされました?」
「もう、惚けるのは止めようじゃないか」
「惚ける?」
「大刀自殿は、ここであの時の童と再会しているだろ?」
「何のことに御座いますか?」
「あの時の童、長じて今では蛻吉と呼ばれている」
「蛻吉殿が、あの時の童?」
「洞抜きをされた者同士は惹き合うと言うじゃないか。日向守殿と蛻吉。どちらも、あんたによって洞抜きされた子供たち。そうだろう?」
 大刀自、何も語らず道安を見つめる。
「死に掛けてた蛻吉を不憫に思って洞抜きしたのは解かるよ。数少なくなった大蛟の子孫を救いたかった気持ちあったろうからな。でも日向守殿の洞抜きの方は、どう考えてみても合点がいかぬ。今日は是非、そのことを聞きたいと思って参ったのだよ」
 大刀自、何も答えようとしない。
「もう、いつお迎えが来てもおかしくない歳ではないか。この世に思いを残して旅立つこともあるまい」
 徳兵衛は、話す事も答えることも拒み続ける大刀自に尋ねた。
「蛻吉に大刀自様はご自愛の匂い袋をお渡し成られました。あれは根津屋敷で蛻吉とガザミが出会えるようにと考えての事で御座いましょう?」
 大刀自、徳兵衛へ強い視線を向ける。
「蛻吉から洞抜いた蟲魂を燃やしたと言って嘘をついた大刀自殿のことだ。幼い日向守から洞抜いた蟲魂も手元に残したのだろう。二つの蟲魂を何に使ったのかね?」
「どちらも、古からの作法通り燃やしました」
「じゃあ。蛻吉の洞へ自由に出入りできるガザミは…」
 珍しく息巻いて話す徳兵衛を制しながら道安は言った。
「御前。いいや、春之助を助ける為に洞抜きをしたのかね?」
            *
 地下に降り、奥へと続く地下道を蛻吉たちは進んだ。
 突き当りに閉じられた引き木戸。
「どうやら、この先らしいな」
「何だか薄気味悪いところですね」
「伊織っち。大丈夫よ。あたしが付いてるから」
 伊織を庇うように立つ、あさり。
「そんな危ない真似、あさりにさせられないわよ」
 青斬りは、伊織の背中をド突いてあさりの前に行かせた。
「ちぇッ。お前ら煩いよ」
 三人を睨むと蛻吉は伊織に言った。
「この戸。内側から鍵が掛かってようなんで。伊織様、スパッと切っちまってもらえませんかね?」
 伊織、頷くと言った。
「青斬りさん。戻って」
 腰の刀を指さす伊織に不貞腐れた顔を浮かべながらも、青斬りの姿は消えた。
「伊織様。今度は、どの奥義を使われるんで?」
「蛻吉さん。そろそろ、呼ぶ時の『様』付けは止めませんか」
「ああ。そうでしたね。つい口癖で。言い慣れちまって」
「治しましょう」
「そうですかい」
「蛻吉さんの方が歳上なんですから」
「じゃあ。言い直しますよ」
「伊織ヨォ。今度は、どんな奥義使うんだ?」
「使いません」
「えっ?」
「使うまでも無いです」
 伊織、静かに刀を構える。
 刹那、彼は戸を一刀両断した。
 開かれた戸口の先に広がる大広間の光景に三人は息を呑んだ。
 蛻吉は、漏らすように言った。
「ここは、御前の蟲魂部屋…」


(終編へ続く)
(次回アップ予定:2021.9.25)


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