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旅するバナナ

テレビから懐かしい歌声が流れている。90年頃の歌が懐メロとして流れるようになったのだと、しみじみ思う。

思えば遠くへ来たもんだと歌ったのは海援隊だった。

月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり、と芭蕉は言った。

「芭蕉」って、バナナの近縁種のことらしい。

バナナって身近に感じるけどほぼ100%輸入だ。海を越えた旅路の果てにスーパーに並んでいる。

我ながら強引な導入だ。


バナナに「人生は旅だよ」と言われると、そうかなと思う。

フィリピンや台湾、エクアドルからはるばる旅してやってきたのだから。確かに君の人生、いやバナナ生は旅だろうね。

バナナは生産地で青いまま収穫され、輸出されている。輸送の間に腐らせるわけにはいかないから。かといって、何時までも青いままでは美味しく食べられない。

輸入されたバナナがそのままスーパーに運ばれることはない。青いままやってきたバナナは「追熟」という技術で食べ頃に調整される。貯蔵庫内の温度や湿度、さらに二酸化炭素を緻密に調整することで、バナナの状態が変化する。温度などの条件をしくじっただけで、おいしさに大きな違いが出るらしく、かなり高度な技術のようだ。この作業がないと、美味しいバナナは食べられないのである。

バナナひとつにも、いろんな技術、ノウハウがあるものだ。

そんなことを知ったきっかけは『バナナと日本人』だった。

追熟の話だけでなく、気軽に美味しくいただいているバナナが、多国籍企業や植民地政策といった重たい歴史と切り離すことのできない存在だということを思い知らされる。バナナのラベルでよく見る企業名、日本の関わりなど、おそらく今の流通も当時の延長線上にあることは、容易に想像できる。

普段の食卓の裏側に思いを馳せるには絶好の書であった。

生産、流通、小売りに携わる全ての人に、心から感謝したくなる、そして世の中のあり方まで考えさせられる良書であります。