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『ポーツマスにて』

司馬遼太郎がポーツマスを訪れた際の小編『ポーツマスにて』。今読んでいる『明治国家のこと』(関川夏央編、ちくま文庫)に収録されおり、感銘を受けたので忘れないうちに印象を書いておこうかと。新潮文庫の『アメリカ素描』に収録されているようなので、ファンの方はご存じかも。元々は1985年に読売新聞に寄稿した文章だそう。


日露戦争を終結したポーツマス条約の舞台となった地を、司馬遼太郎が訪れる。

「坂の上の雲」という作品を書いたときの余熱がなお残っていて、この町に入ることは、自分がかつて書いた作品の世界に戻ってゆくような気分だった。

ポーツマスは、日露戦争を終結するための講和条約を結んだ地で、日本側の主役は小村寿太郎である。そのことに思いをはせながら、訪れた先は図書館だった。

私は、日本においてもよく知らない町に来たときは、図書館に寄る。

徹底的に調べる人だったのだなぁと思う。

最初に見つけた「ライブラリー」がレストランだったという、ちょっと楽しいエピソードも交えながら、本物の図書館に。

カウンターの司書に、

「1905年のポーツマス条約をご存じですか」

と訪ねると、日露の件をすぐに理解してもらい、地図をもらったり、地元の歴史家を紹介されたり、至れり尽くせり。また、地元の歴史家のつてで、なんと実際に小村寿太郎が会議の際に使用した椅子をみせてもらい、しっかり腰掛けている。うらやましい。

そんな出来事を挟みながら、このポーツマス条約の前後で日本の空気が変わっていったことを論じていく。

司馬遼太郎自身が、なぜ日本はあの戦争に突き進んでしまったのかを大きなテーマにしていた、というのを読んだ記憶がある。明治を美化しすぎとの批判を読んだこともある。そういう前提も少し頭に入れつつ、しかし、司馬遼太郎の言葉は真実の一面を照らしていると思う。

ポーツマス条約に反対した「群衆」は、国家的利己主義という多分に「観念的」なもので大興奮を発した。
中世では個々の人間が激情に支配されたが、近代にあっては個々のなかではむしろそういう感情が閉塞し、どういうわけか集団になったときに爆発する。中世の激情が集団の中でよみがえるといっていい。

1985年の文章だが、なんだか、いま書かれたもののように感じてしまう。

彼らの錯覚は、無知からきていた。
錯覚に理性をゆだねることの方が甘美だったのである。

ひとつひとつの言葉がグサリ。人間の本質は変わらないんだなぁと。でも、正しい情報を選択し、自分で判断している人たちは、現代ほど多くなっているのではないかとも、思ったりする。

このエッセイの最後、小村寿太郎がポーツマスのあるニューハンプシャー州に寄付金を贈り、それが現在まで「日本慈善基金」として続いていると書いてあって、ちょっと感動した。基金の成り立ちから経緯も詳しく書かれている。

『坂の上の雲』に親しんだものにとって、とても感銘を受けるエッセイでした。しばらくぶりに司馬作品が読みたいモードになりそう。



余談であるが(司馬遼太郎風にかいてみる)、図書館に行きつけて、司書の力を借りて一次資料を調べていく姿勢なんて、最近の本でも強調されていた。ツイッター界隈では有名なベストセラー、『読みたいことを、書けばいい。』。

この本のすごいところは、いろいろな大家が書かれているエッセンスを抽出して、体系化して、シンプルに示してくれているところ。「書くために読むと良い本」に紹介されている本は、実は「引用文献」でもあったりするようです。