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品種改良の夢

自己紹介のようなものです。実家はお米の栽培北限に近い米農家でした。自分の家のお米がみるみるおいしくなっていった経験をしました。品種改良ってすごい技術だと感動し、自分もそういう仕事がしてみたいと、農家を継がずに農業試験場に就職しました。今は小麦の新しい品種を作っています。実家は数年前に離農しました。

子供の頃は当然、毎日自分の家で採れたお米を食べていました。が、いつの頃からか、自分の家のご飯が「おいしくない」ことに気がつきました。少しでもおいしく食べるために、とかくお茶漬け(熱い番茶をかけるだけ)にしていた記憶があります。

農家だったので、両親とも朝から晩まで田んぼに出ており、ご飯は朝にたくさん炊いて、それを1日3食かけて食べます。ガス炊飯器だったのですが、保温機能はなく、当然電子レンジもない頃でしたので、冷たいご飯が当たり前でした。加えて、当時北海道で作っていたお米(品種)そのものが、粘り気がなく美味しくなかったんです。

それが、小学高学年のある日、急にお米がおいしくなったことに気づきました。作っていた品種が当時の最新品種「ゆきひかり」に変わったところでした。品種改良ってすごいな、そういう仕事をしてみたいと思った初めての体験だったと思います。ただ、この頃はまだ、農家を継ぐんだろうなと漠然と思っていたはずです。中学の時の将来の夢に「1億稼ぐ農家」って書いていましたから。

その後、高校を卒業する頃だと思いますが、「きらら397」が出てきて、さらに驚きました。自分の家のお米が、さらにおいしくなったのをハッキリ実感しました。

前後して、農学系の大学に入りました。農家を継ぐにしても勉強はしておいた方がいい、とその当時は偉そうに言っていたような記憶があります。大学受験は見事に落ちました。このまま実家を継ぐのかなと思いながら、予備校の資料を眺めていた3月下旬に補欠合格の連絡があり、急いで手続きをました。今考えると実家を継ぐ強い意志は当時からあまり持っていなかった気がします。

大学では、それまでのいろいろを忘れて、勉強もせずバカなことをやったり紆余曲折がありました。それでも2回目の4年生で「植物育種学」を再履修した直後、実家に帰って短稈(茎が短いこと、倒れにくいので栽培しやすい)でビシッと穂が揃った田んぼを見て、品種改良への憧れを思い出したんです。最終的には実家を継ぐのとは違う立場で地元の農業に貢献したい気持ちが強くなっていきました。恩師の勧めもあり道職員を受験し、農業試験場に運良く就職できました。

農業試験場に入ってもすぐには品種改良の担当にはなかなかなれませんでした。希望を出し続けて10数年、ようやく品種改良の研究室に配属されました。

小さい頃の「夢」を追いかけて叶えたように読めるかもしれませんが、たぶん記憶が改ざんされかなり美化されているところがあると思います。そもそも夢が叶った実感は全くなくって、やりたいと宣言してしまったので成果を出さなくてはというプレッシャーの方を強く感じます。悲観ではなく、やってやるとは思っていますが。新しい品種を作って、それが普及して、農家の暮らしが良くなったり、使ってくれる食品産業が発展したり、おいしい食品がいつも消費者に届くようになったりして、世の中に貢献するところまでいければ、それこそが本望でごさいます。

農家を継がなかったことは、しばらく心の中で引っかかっていました。ところが、父はあっさりしたもので、数年前に家屋以外の土地をささっと売却してしまいました。引き取り手があるうちに、片付けてしまいたかっただけかもしれません。

振り返ると、父から農家を継げと明確に言われたことはありませんでした。いろんな思いはあったと思うんですが、今思うと無言で背中を押してもらったようにも感じます。それからはあまり迷わなくなったので。


偉そうなことを書きましたが、自分ひとりでできることはなんてちっぽけなのかと、つねづね感じています。本当にいろんな人の助けを借りながら、麦とたわむれています。

今ここにいることに感謝しながら、まだまだ夢は大きく、頑張ろう。



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