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植物への感謝のしるし、なのですか!?

朝ドラで主人公が、太陽のエネルギーを実感して感激するシーンがあった。

どんなに小さい場所でも良いから、太陽の光の下でじかに土を触り、植物を育てみつめることは、何か根源的なものが呼び起こされる感覚がある。

作物を栽培する人におそらく共通する感覚は、自然に対する感謝の念だ。

種をまくのは人間だが、芽が出るのは種そのものの生命力である。播いた種が土から芽を出したときはいつも感動する。

芽が出た後も、植物が育つのは土と太陽と水と空気のお陰であり、人間はその環境を幾ばくか整えてやることしか出来ない。植物を育てる人は、人間の力ではいかんともしがたいものを感じる。そこには根源的な贈与がある。

自然の恵みを感じたときに、目に見えないものに対する感謝の気持ちが出てくるのは当然だと思う。


科学技術の発達していない時代は、そういう気持ちはなおさら強かったろう。儀式、祭り、祈り。神話のなかにやたらと食べものの話が出てくるところも、その人間性の根源的なところに関連があるのだろう。


そういった視点から土偶の存在理由を展開するところが見事である。

竹倉史人著『土偶を読む』

もう、感激。すごい。

前フリ長くてすみません。この本、面白い!

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