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趣味は「読書」ですって言える自信が消えかけています

こんなにも知らないことがたくさんあるのかと思う。

50年くらい生きた程度では知らないことがありすぎる。知ってるつもりで全然わかっていなかったと愕然とすることもある。

知っていたから何ができるというわけでもないけど、知った後の世界は知る前とは全く違うもののように見えることがある。

実体験がなくても、そういう経験や感情、知識に触れることのできる本は、本当にありがたい存在だ。


読めばすぐに何かが得られるとは限らない。「これが良いよ」と勧められても、さっぱりピンとこないことだってある。

同じ本を読んでも、読者によって感じ方やグッとくるポイントがこんなにも違うのかと驚くことだってある。


『ローマ人の物語』を読んでいる人が身近にいて、嬉しくなっていろいろ話そうと思ったけど、全く噛み合わなかった。

私は、国とか指導者とか多様性を受け入れながら発展を続けた仕組みだとか、やたら小難しいことを読んだ気分になっていた。

一方、その人の方は、登場人物に感情移入してストーリーを読む「キャラ読み」をしていたのである。

へぇ、そんな読み方ができるのかと驚くとともに、ひとつの本から導かれる答えはひとつではないんだと強く気付かされた体験だった。


以前は全く理解できなかった本が、時を経てすごく面白く読めることもある。そういうときは、ようやく自分がその本を理解できるレベルというか、経験値を積めたのかと思う。別の本を読んだことで、理解度が深まることも少なくない。


本をたくさん読んだから偉いとは思わないし、昔読んでおけば良かったとも思わない。ただ、いま読みたいものを読めば、それで良いし、読めなかったら積んでおけば良い。

いま読んでわからないのは、いま読むべきじゃなかった本だと思うようにしている。積んでおけば、いつかわかるようになるかもしれない。

わかるようになる日は来ないかもしれないけど、それはそれでいい。


何が言いたいかというと、山のような積み本の言い訳です。私のペースだと2〜3年は全く買わなくても読み続けられそうだ。


環境の変化があってここしばらく本が読めなかったけど、ボチボチ読めるようになってきた。しかし悪いことに、目移りしてつまみ食いするように読んだから、読みかけの本が10冊以上もあることにさっき気づいた。これではいつまで経っても読了に至らないぞ。


読みたい本はたくさんある。先週も昨日も書店で買い込んだし、明日から立て続けに通販本が届く。

はい。

いまの趣味は「読書」ではなく、「本を買って積むこと」です。

、、、それでいいのだ。


時間をつくってローマ人のような長編に挑みたい。いつか。