いっぽんの孤独な管(くだ);『食べることと出すこと』頭木弘樹著
完治することのない難病と宣告されたら、どんな気持ちになるだろうか。
この本は、壮絶な闘病体験をもつ著者が、体と心の痛みと孤独について、自己の救いとなった文学作品の言葉とともに綴っている。
「管(くだ)としての私」という文を書いてから、この本は必ず読まなければと思っていた。
読んだら、想像以上にすごかった。
ごく普通の大学生だった著者が、突然、指定難病の潰瘍性大腸炎に罹患し、長く苦しむ。その治療は、食べることの著しい制限と、排泄の苦しみを伴った。生きることの基本的な生理現象に強い制約が課せられ、精神的にも追い詰められていく。
よくこの本を記してくれたと、感謝したい。
そして、その体験を通じて深く心に刻まれるのは、難病を患った制限の多い生活を強いられる著者とまわりの関係だ。
うまく食べられない人間は、人間関係もうまくいかなくなる。
排泄は隠蔽され、当人以外、誰も知ることはない。(中略)ただ、いったん何か問題が起きると、ひどく孤独なことになる。
精神的な傷も、肉体的な痛みも、それは当人にしかわからない。
文中で、特別仲が良いわけではない人と、互いに同じ痛みを経験していたことを知り、涙を流す場面がある。ほんとうの痛み、つらさは、経験した者しか分かち合うことができない。
いくら想像しても経験していない自分にはわからない。想像だけで軽々に口にできないと、改めて強烈に感じさせられた。
そして、通読してから「はじめに」の言葉に戻ると、まったく印象が違ってみえて、しばらく動けなかった。
「ご飯を腹いっぱい食べて、そして、うんちを腹いっぱい出して」
どんな思いでこの本が綴られたのか。
重たい本に感じられたかもしれないが、全編にわたってやわらかく、ユーモアを含んだ文体で、読みやすい本である。
「あとがき」では、経験を言葉にする戸惑いと、書籍するまでの経緯が書かれている。とても丁寧で誠実な文章であった。
おすすめ。