なぜ私たちは悪い習慣をやめられないのか?

 昨日、 WARS重症化を防ぐために
 『断三つ』(断煙・断薬・断夜更かし)
 をお勧めした。
 そんなの3つとも最初からしない、と言う人はコロナが重症化するリスクは低いから心配しなくていい。
 逆に、やめられない、「やめよう」とすら思えない、と言う人もいるだろう。 
 私たち人間は、悪い習慣を止める・断つというのはなかなか難しい。
 タバコ、アルコール、薬物、砂糖、糖質、夜更かし、パチンコ、テレビ、ゲーム、SNS、悪い姿勢、悪い人間関係、悪い政治...。
 
 たとえそれが破滅的であっても、いや破滅的であればこそやめ難い。
 なぜか?


1 ヒトはドーパミンを求める社会性生物


 第一に、ヒトはドーパミンをはじめとした快楽物質を強く求めて生きる生き物だからである。(正確には快楽物質はドーパミンだけではないが、ここでは依存に関連深いドーパミンを代表として扱う。)
 ドーパミンは神経伝達物質として、多くの脊椎動物(魚類から哺乳類まで)と無脊椎動物(ナマコ、クラゲ、昆虫など)が共有している。
 これは地球上の生物進化の初期段階でドーパミンを獲得した動物だけが生き残り、ドーパミンなしの動物は絶滅したことを意味している。
 特に、ヒトやサルなどの霊長類、そしてアリ・ハチ・シロアリなどの社会性昆虫(の女王アリ・女王バチ)だけは脳のドーパミン濃度が高い。
 私たちはドーパミンがあってこそ生きられ、ドーパミンの濃度を高く保ってこそ社会的な人間たり得るのである。
 つまりドーパミン刺激なしでは生きていけない。(厳密には生存はできるがつまらない)
 良い習慣であれ、悪い習慣であれ、ドーパミンを得られる刺激を求めることはやめられないのだ。


2 良い習慣と悪い習慣は何が違うか?
 
 ドーパミンを欲するのは誰もやめられない。
 違うのは、何でドーパミンを得るか?だけだ。
 「良い」ことでドーパミンを得る人もいれば、「悪い」ことでドーパミンを得る人もいる。
 ん?「良い」?「悪い」?その違いはなんだろう?
 
 ドーパミンは元々、細菌が出す「撹乱物質を引き受ける」ために進化したという説がある。


 夏井氏によると、細菌に撹乱(コントロール)されないために、ドーパミン神経が撹乱物質を引き受けたのだと言う。
 ところが、植物たちはそのドーパミンを使って動物を操る方法を発明した。
 虫たちに蜜を与えて受粉を手伝わせ、ヒトにデンプンその他を与えて栽培させたのだ。
 依存性薬物とは、タバコ、アルコール、麻薬(麻、ケシ)、覚醒剤、でんぷん、砂糖、いずれも基本的に植物由来だ。
 ヒトは本来、栄養としては依存薬物も糖質も必要ないのにドーパミンを求めて植物を栽培し、その刺激に依存することで植物の奴隷となっていると夏井氏は言う。
 さらにヒトや社会性昆虫では、ドーパミンを社会的階層づけにも利用した。
 アリやハチでは女王「だけ」脳のドーパミンが高く維持される。
 ヒトやサルでは群の中で優位な立場の個体ほどドーパミンが高く保たれる。
 ドーパミンが高く保たれた個体は、依存症になりにくい。


 植物がくれる撹乱物質は一時的にドーパミンを上げてくれるに過ぎない。
 それはすぐに急降下し、さらなるドーパミン渇望を引き起こす。(だからこそ動物は操られる)
 一方、群れの中の立場、人からの注目・称賛・脚光はそれが続く限りドーパミンを高く保ってくれる。
 常に高いドーパミンがあれば、一時的な撹乱物質を求める必要性は低くなる。
 
 大雑把に言うと、
 「良い」習慣とは、社会的立場を高めることで持続的なドーパミン分泌につながる習慣
 「悪い」習慣とは、一時的に快楽(ドーパミン)を得られるけれど、社会的立場を低下させ長期的にはドーパミンを低下させる習慣
 と言える。
 一時的にも長期的にもドーパミンを低下させる(不快なだけの)ことはそもそも習慣化されない。
 すると、悪い習慣に依存しやすい個体とは、社会的立場が低くドーパミンが分泌されにくい個体、あるいは以前は高かった社会的立場が低下してしまい相対的にドーパミンが下がった個体と言える。
 貧民街などで薬物が流行りやすい理由から、一世を風靡した人気者が薬物依存などに陥りやすい理由まで、わかっていただけるのではないだろうか?
 特に一時的に高い注目や称賛を浴びた人のドーパミン神経系は耐性ができて、少しの注目や称賛ではドーパミンを感じられなくなりやすいと考えられる。
 するとずっとドーパミンが低下した状態で、あの時の興奮を夢見るという不幸な状態になりやすい。
 それからこれは私の論理的な仮説だが、安定してドーパミンが高い状態は脳の発達を促して社会性を向上させ、逆にドーパミンが低く不安定な状態は脳の発達を妨げ社会性を低下させると考えられる。


3 長期的にドーパミンを高める方法


 「悪い習慣」をやめられないのは、長期的にドーパミンを高く保つことができていないからだ。
 それは、群れの中での立場が低いからだ。
 重要なことは、どのような行動が群れの中で立場を高めるかは、群れによって違うということだ。
 もしあなたがチンパンジーなら、オス同士のケンカで強いことが群れでの地位を高める。
 もしあなたがボノボなら、相手の雄雌を問わず気持ちよくいっぱいセックスできることが地位を高める。
 では、もしあなたが人間なら?
 
 群れ?
 自分は群れに属しているという意識はあるだろうか?

 ヒトは無意識にいくつもの群れに属している。
 多くのヒトにとって最初に属する一番基本的な群れとは家族であることが多い。
 他にも国という群れ、企業という群れ、企業の中の部署という群れ、趣味仲間という群れ、友達という群れ、などなど無数の群れがある。
 ドーパミンを持続的に高めるためには、その人が属する多くの群れの中のどれかで優位な立場になればいいということだ。

 誤解してはいけないのは、「優位な立場」と言っても肩書きの話ではないということ。
 ドーパミンには「社長」も「大臣」も関係ない。
 ドーパミンが分泌されるのは、その人が属する群れで人に認められること好かれること、注目され笑顔を向けられることだ。
 SNSの「いいね!」は覚醒剤以上の依存性を持つというのもうなずける。


 群れによって注目され好かれる行動は違う。
 他の人に商品をたくさん売れば喜ばれる群れもあれば、自転車を速く走らせると喜ばれる群れもある。
 どの群れでドーパミンを出しても、ドーパミンに変わりはない。
 自分のドーパミンを高く保ちたかったら、自分が喜ばれやすい群れを選んで属することだ。
 人間でさらに特殊なのはどの群れに「属する」かは本人(の潜在意識)次第ということだ。
 例えば、家族に属すれば伴侶の笑顔でドーパミンが出る。日本人に属すれば被災地にボランティアに行ってドーパミンが出る。地球人に属すればアジアの子どもの笑顔で、地球の生命に属すれば海亀の子を助けてドーパミンが出る。

 群れで「地位が高いかどうか」も本人次第(無意識に感じている)。
 マラソンなどで完走できたらドーパミンが出る人もいれば、2位になって悔し泣きしてる人もいる。
 お金を稼いでドーパミンが出る人もいれば、人を笑わせてドーパミンが出る人もいる。
 ドーパミンが高い感覚は「自信」「自尊心」「自己重要感」とも言われる。
  
 例えば私は医学界での地位は低いし、そこで優位になろうともしていない。医学界からのドーパミンを期待していないのだ。しかし実際に人を救けたり(患者に感謝されるとは限らない)、生命の真理を探求したり(この場合賞賛してくれる他人は必要ない)、家族やトライアスロンやSNSなどで愛されたり完走したり「いいね!」してもらうことでドーパミンを保っている。(ありがとね)
 それによって私はタバコは吸わず、アルコールもあまり飲まず、薬物にもギャンブルにもハマらずに済んでいる。
 逆に仕事で認められず家庭でも蔑まれ趣味もなく、自分が属するどの群れでもドーパミンが出せない人は、一時的な撹乱刺激に依存せざるを得なくなりやすい。
 
 自分以外の誰かの依存症を断つのを手伝いたかったら、その人の存在を喜んでくれる群れに入れるようにするのが一番だ。
 その人が自分の群れの一員なら、その人の存在に注目してあげよう。喜んであげよう。
 わざとらしく褒めたり心にもないお世辞を言う必要はない。
 ありのままのその人を認めるだけでいい、ありのままのあなたとして。
 なぜならその人がそこにいるのは事実であり、あなたがそこにいるのも事実だから。
 もしそれが難しいとしたら、あなた自身のドーパミンが下がっているのかもしれない。
 ドーパミンが低い人は、溺れる者が何にでもしがみつき相手を沈めて自分が浮かぼうとするように、人にマウンティングしたがる。
 嫉妬心や支配欲、他者への憎悪はそんな欠乏症状だ。
 子どもを虐待する親は、病院などに子どもを奪われると必死で取り戻そうとする。
 それは愛情ではない。子どもを虐待する時に感じられる優越感から得られるドーパミンに依存しているからだ。だから取り戻して虐待を続ける。
 ナチス政権がユダヤ人を虐殺することでドイツ人に優越感を感じさせたのも、学校やストレスフルな組織でいじめが起こるのも同じ仕組みだ。
 人は安定したドーパミンを得られる群れには、長くいたいと思う。
 お互いがドーパミンを高く保てる関係は長続きする。
 逆にドーパミンを得られない関係や一方的な関係は「寂しさ」「屈辱」「不安」などを引き起こす。
 離婚や子どもの家出から企業・組織の離職・造反まで、そんな関係は遅かれ早かれ破綻に向かう。
 虐められる方はもちろんだが、虐める方も実は極度に「不安」で「寂しい」のである。
 だから、もし妻に小さいことであまりにガミガミ言われるなら夫は
「だってよ〜...」
 とか自己弁護するよりも、奥さんのことをよく見て、いいところを見つけて感謝する方がいい。(おいしいものをつけるとさらによい)
 奥さんはあなたを責めたいのではなく、ドーパミンが下がって溺れかけているだけかもしれない。(と自分に言い聞かす。あと低血糖かもしれないが、根っこは同じだ)
 
 子どもに
「どうして〇〇しちゃいけないの?」
 と聞かれたら、スマホを見ながら生返事をしてはいけない。
 悪いことした時だけ注目されて一時のドーパミンがもらえることを学んでしまいかねない。
「悪いことをしないと僕は注目してもらえないのかな?」
「僕はドーパミンが下がっているんだ、自尊心が感じられないんだ」
 と言っているのかもしれない。
 そんな時は、
「〇〇しちゃいけないのは、長期的には社会的地位(あなたの自尊心)を落としてドーパミンを低下させるからだよ」
 と教えるよりも、その子の目をよく見て、一緒に遊んだり、抱きしめたり、
「あなたはとても大切だよ」
 と言ってあげる方がいいだろう。
 子供だけじゃない。夫がタバコを吸っている時も、スマホばっかり見てる時も、かみさんの話を聞かずに文章ばっかり書いてる時も(←私だ)。
 そうしてドーパミンが高まれば自信が生まれ、高めてくれた群れにとって生産的な「良いこと」に安心して取り組むことができるようになる。
 取り組んだことが認められればドーパミンはさらに高く安定し、「悪い」習慣による一時的なドーパミンは必要なくなる。
 その時初めて、人は依存性物質の奴隷から解放されて、自由人として生きられるようになるのである。

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