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虚無感や焦りと集団意識

育休に入ってからというもの、
というか、まさに今日、今この瞬間もそうだけど
何か虚無感というか、今日私はこのままでいいのか、という気持ちに苛まれることが多々ある。

不思議なもので、
同じような立場の人に対しては、
例えば自分と同じように二人の子どもを育てているママを道端で見かけると、
なんの背景も知らないけど
あの人はすごいな〜、頑張ってるな〜
という気持ちになる。
こと、自分に対してのみ、全く正反対の言葉をかけている。

このままでいいんだろうか。
なぜかわからないけど、すごく持て余している気がする。
何も行動できていない自分は、とても停滞している。


何かとても大きな目標があったりするわけではないし、
育児をしているから何もしていないことはないのだけど、
得体の知れない何かに追われていたり、どこかいつも焦りを感じて、
いろんなことに手を出しては辞め、辞めては手を出し、を繰り返してきた。

なんとなく今日、この気持ちをふかぼってみた。

もしかしてこの焦燥感とか、虚無感って、
集団意識的な一面もあるのではないだろうか。

世代的に、子ども時代を自由競争真っ只中で過ごしてきた私にとって
社会的に成功している人=会社で成功・お金持ち・有名
みたいな式が頭に浮かぶ。
そして、これは集団意識なのか遺伝的な固定概念なのかはわからないけど、
幸せは社会的成功の先にある、という考えをしっかり持って
学生生活を送ってきた。
そして、社会人として人格形成をしている時期では
自己実現をする人がカッコイイ、
独立して成功したら楽しくて最高の人生、みたいな風潮を肌で感じ、
(そういう会社に入ったのもあるけど)
同期では割と何人も独立する人が出て、
いつかは私も!みたいな気持ちになった。
そして育休をとっている今、SNSで、ママでも頻繁に発信して
自分のやりたいことをやっている人を目にする。
仕事から一定の距離がある今、育休は自己実現をするのにちょうどいい機会だ!
と息巻いていた私にとって、何もできていない、成果を出せていない今の状況に対してとても焦燥感だったりイラつきを覚える。

今の私の延長線上に社会的成功はない。このままじゃ幸せになれない。
このままじゃ、ただの”私”として人生を終えてしまう。

そんな気持ちをどこか感じて生きている。


本当の本当に、社会的に成功した先に幸せはあるのだろうか。
自己実現は、会社という形なのだろうか。お金になるものでないといけないのだろうか。
幸せは、特定の状態のことを言うのだろうか。
私はどこに向かいたいんだろうか。
私が私の等身大のままで生きていくことは難しいんだろうか。

この答えを身体でわかるようになるには、
いままで教わってきたり、肌で感じてきた一般的な幸せと、
私が感じる幸せが本当に一致しているのかを見極めることと、
巷に溢れている「これをしたら幸せになる!」と言う誘惑は軽く跳ね除けられるくらい
自分を信じてあげることが必須なんじゃないだろうか。

と、そんなことを感じてみた今日この頃。


とはいえ、
安心安全を感じながら、お家にいれることがこんなにありがたいことなんだな、と
感じざるを得ないお正月を過ごした。
今から娘をおんぶしながら息子を保育園に迎えにいくんだけど
せめて、交通安全に気をつけて、
息子の1日がどんな1日だったのかを楽しく聞きながら、
お家に帰ってくるこの瞬間を楽しむことから始めてみよう。






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