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映画「ミッドナインティーズ」に観る『ホモソーシャルの風景』

北摂ワーカーズ 鈴木 耕生

 先日、サブスク(定期的に料金を支払い利用するコンテンツやサービス)で映画『ミッドナインティーズ』を観ました。制作者の意図は分かりませんが、この作品ではホモソーシャルの実態が見事に描かれていたので、紹介します。
 13歳にしては小柄な主人公の少年スティーヴィーは、家では大柄な兄にかなわず、力でやりこめられています。
 ある日スティーヴィーは、街で大人にからんでいる年上の少年4人のスケーターグループを見かけ、仲間に入れてもらいました。でも、まだ若く、おもちゃのスケボーしか持っていない彼は、当然グループ内では一番下っ端として扱われます。ホモソーシャルはヒエラルキーとして組織されるので、彼はその最底辺です。ヒエラルキーの頂点には年長でスケボーの上手なメンバーがおり、彼らは下の人間にあれこれと命令できます。それまで下っ端で使い走りをさせられてきたルーベンという少年は、自分より下の人間ができたことを喜びますが、ホモソーシャル内の地位というものは、常に移り変わるものです。
 ある時、グループは平屋のような建物と建物の間をスケボーで飛び越えるチャレンジをしていました。年長のメンバー2人は難なくクリアし、次はルーベンの番となりました。ルーベンは滑り出したものの、飛ぶ直前になりビビって止まってしまいました。年長のメンバーから「情けないヤツだ」となじられるルーベン。「恐れ」を表現することは、ホモソーシャル内で最も蔑まれる行いです。
 スティーヴィーは励ましの言葉をかけますが、ルーベンから〝shut up, you faggot. (黙れ、ホモ野郎)〟と言われてしまいます。faggotとは、「オカマ」や「ホモ野郎」といった意味のスラングで、10代の少年たちに頻繁に使われます。10代の多感な時期の少年たちにとって、仲間内で「faggot」呼ばわりされることは、何よりも恐ろしいことです。これは日本もアメリカも変わりませんね。
 次はスティーヴィーの番です。当然、彼にできるとは誰も思っていません。ところが彼はよろよろと滑り出し、建物の間に向かっていきます。年長のメンバーたちは驚き、「待て! スピードが遅すぎる!」と制止しますが、彼は止まることなく突っ込み、地面に落下します。彼は頭にケガをしてしまいますが、「恐れ知らず」であることを示し、メンバーからの評価を得ることに成功します。
 これをきっかけに、年長のメンバーたちはスティーヴィーに新品のボードを買い与えるなど、それまでよりも優遇するようになります。「こいつはイカれたヤツ(恐れ知らずのイカしたヤツ)だ」ということです。一方で、直前になってビビってしまったルーベンは、ヒエラルキーの最底辺に逆戻りしてしまいました。
 ここでは、ホモソーシャル内での地位の変動がどのように起こるかが見事に表現されています。
 ホモソーシャルに無縁で育ってきた方にはわからないかもしれませんが、男たちの大半は、このような社会の中で少年時代を過ごすのです。

自分の心と体を大切にする権利はすべての子どもたちにある

 こうして男たちは、人間関係をヒエラルキーとして認識・構築すること、その中での地位を「男らしさ」の尺度で争って決めることを、自分たちの根源的なカルチャーとして身に着けます。スティーヴィーは地位上昇を果たしましたが、実際は死んでもおかしくありませんでした。これは幸せなことでしょうか? 度胸試しや罰ゲームで川に飛び込んで死んでしまうのは、たいてい男の子です。
 私たちはいつになれば、子どもたちに「強くなれ」などと馬鹿げた要求をやめて、全ての子どもたち(男の子も)に自分の心と体を大切にする権利があると伝えられるようになるのでしょうか? また、それを本当に伝えようと思うなら、まずは自分自身を大切に扱うことを知らなければなりません。
 「マスキュリニティの担い手としての自分」でも、「ホモソーシャルの一員としての自分」でもなく、ただそこに在る一人の人間として自分自身を扱うこと、それが私たち男が踏み出すべき第一歩です。

(人民新聞 2023年2月5日号掲載)

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