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【第2回社説】安倍政権下での社会運動の委縮、また「安倍さん」という忖度

 7月19日に編集部内で第2回目の社説議論を行った。安倍元総理の死を受けて、安倍政権とはなんだったのかだ。統一教会や民主主義についてなど、多くの論点が話された。その中で出た、「為政者のさん付け」問題の議論と筆者の意見をまとめた。(編集部 朴偕泰)

戦争法採決以降 運動の萎縮の中で

 第二次安倍政権が長期化するにつれ、為政者への批判の委縮が強まったと思う。これは大手メディアだけではなく、私たちの社会運動の手法にもある。
 国会前抗議をしていたメンバーによると、15年の戦争法案強行採決以降、政権批判の運動現場や言説で、「安倍さん」等と敬称付けで言うことが増えたという。それが象徴的だ。
 デモなどで「安倍やめろ」と叫ぶと、体制側からネットで「呼び捨てとはけしからん」と批判される。一般常識では問題かもしれないが、相手は為政者であり一般人とは違う。しかるべき政治的立場の安倍晋三たちは、政治力を行使してより生きやすい社会を作れたのだ。にもかかわらず諸問題を放置し、社会的弱者の命を残酷に奪い続けた。その頂点に立つ人物に、「さん」付けは不要だろう。そんな体制側からのイチャモンが、この10年間で何度も繰り返された。

 だがそれに抗していた運動側も、「安倍さん」という呼び方がかなり定着してしまったのではないか。
 これは、日本社会のノンポリ層が市民運動に忌避感を持っていることに対する、活動家の怯えの表れだと思う。政治的無関心層にどう見られるかを過度に気にし、「極左」や「アベガー(なんでも安倍のせいにする人)」と言われないよう、一挙手一投足に注意を払う。
 一方海外の報道では、呼び捨ての方がスタンダードだ。ドナルド・トランプ、アンゲラ・メルケル。メディアは自国の為政者であっても、フルネームかつ呼び捨てで扱う。日本のみが異質だ。

 編集部員の中からは、そもそも知人でもない公人を「さん」付けで呼ぶことがおかしい、という意見も出た。この「さん」付け文化は、為政者に一定の良識があり、誰もが自分と反対の意見も受け止められるような成熟した民主主義国家であるなら、あってもいいと思う。だが今の日本はそうではない。政治に対する無関心や諦めが広がり、為政者のやりたい放題が許されている。そんな中で「さん」付けを行うことは、「反対勢力からもリスペクトされるまともな為政者だ」と箔をつけることにしかならない。左翼・リベラルの一方的な従属だ。
 会議では、人民新聞として政治家の敬称をどうするかについても議論した。
 近年では、校閲を丁寧にする過程で一般紙のように「氏」などの敬称の追加が増えた。だが以前は「運動紙」として首相などは呼び捨てにしており、安倍晋三などの「悪辣な」政治家は呼び捨てに戻すべきではないかという意見が出た。それに対し、メディアを自認するなら、政治家によって敬称を使うか否かで差を作るのはおかしい、というさらなる異論も出た。どちらも利があり、早急に結論を出すのは難しい。
 人民新聞を運動媒体と捉えるか、小さくとも一つのメディアと捉えるのか、両方のハイブリッドなのか。転換期が来ているとも感じた。議論を重ねたい。

(人民新聞 9月5日号掲載)

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