連載 東京五輪 返上 廃止へ①延期のツケ300億円は市民の肩に(神戸大学大学院国際文化学研究科教授 小笠原博毅)

――遅すぎた五輪延期決定 返上し、五輪自体も廃止へ。

◆五輪開催費用は、当初予算から4倍に増加した

 コロナ災禍により、五輪は延期や中止を議題にしていいのだという認識が広がった。五輪は「選択」の問題となったのだ。この五輪の転換点は同時に、IOCを頂点とする五輪レジームが新たな方向性を模索する実験場として、開催都市=東京を位置づけ直すことを意味する。この実験の只中に、継続により避けられてきた「五輪廃止」という選択を浮かび上がらせることができるのではないだろうか。もちろんレジーム維持の頑強な勢力が、より柔軟な対応策を練っていることも明らかだ。本連載はその分析と検証を行う。(筆者)


 オリンピック/パラリンピック(以下、五輪)を中止にし、開催権を返上しなければならない理由は、コロナ・ウイルスによる新型肺炎の流行以前に明らかなことだった。


 安倍首相による「アンダー・コントロール」発言の嘘から、新国立競技場やエンブレム策定をめぐる不透明な混乱、竹田恒和JOC(日本オリンピック委員会)会長の賄賂疑惑とその後のIOC(国際オリンピック委員会)委員辞任、競技施設周辺の過度なジェントリフィケーション(都市再開発)、突貫工事による作業員の事故やストレス自殺。なによりも、膨らみかさんだ税金の投入と、五輪教育やボランティアも含めた市民生活の統制など、五輪招致活動から今に至るまでの数々の疑惑、事故、不祥事、問題点。


 まず強調しておきたいのは、延期によってこれらの責任の所在がうやむやにされてはならないということだ。竹田元会長はすでにフランス検察当局から起訴されており、捜査は続いているのだ。「延期」を、本来徹底的に追求されるべき問題の「免罪符」にしてはいけない。


 しかし一方で、この延期決定は五輪の根源的な問題をあぶり出した。それは、政治、経済、社会のあらゆる領域に無理を強いなければ、五輪を実施できないということだ。


 身体運動競技を通じて友情と平和を作り上げることが、五輪の目的だったはずだ。興行目的でも、利益創出でもなく、競技会を開ける最低限のコストと施設で実施されるはずのものだった。 


 1984年のロサンゼルス大会を機に五輪がビジネスチャンスとして成立してしまったというのが「通説」だが、五輪はそもそも最初から平和を作るのではなく、一方では平和であることを演出するための、他方ではスポーツを通じて強靭な肉体を持つ兵士を幅広く育てるための、政治的「道具」であったことは、昨年の本紙での連載初回で明らかにした。


 今回、中止ではなく延期になったことで、五輪を内在的に成立させている矛盾が先送りになっただけではなく、選手には身体的精神的負担が、都民・市民には税という経済的負担と、一度リセットされた「盛り上がり」を再び演じなければならない情動的負担が、協賛企業や関連団体には、「本当に1年後を期待していいのか」という先行き不透明感が、課されることになった。

◆賄賂と既得権益保全で得た開催権市民・選手にとっては社会的災害


 3月24日を境に公式発表されたコロナ感染者数の急上昇、小池都知事による「感染爆発の重大局面」発言、安倍首相による感染症対策本部設置が、五輪延期の発表を待っていたからかどうか。延期を提示したのは安倍首相なのかバッハIOC会長だったのか。これらはさしたる問題ではない。東京都とIOCが交わしている開催都市契約文書には、延期にかかる保証や分担金などの具体的な事務的規定は書かれていないからだ。延期負担金はごっそりと市民の肩に乗りかかり、一業種一社の原則を破ってリスク分散をしなかった協賛企業が予算の見直しを迫られることに変わりない。


 問題は、中止ではなく延期としたことだ。それも根拠なき希望的観測に基づいて、来年7月23日に開幕するとしたことだ。 この間、暑さへの警告がこれだけ発せられてきたのに、結局は選手たちのことなど何も考えていないことが再確認された。そしてこの事態は、国際陸連のセバスチャン・コー会長のみならず、北米大陸やヨーロッパの一部の国々の現役選手や競技団体からの明確な圧力を受けて延期決定したという事実に深く関わる。

 
 延期決定までにこれほどの時間がかかったのは、もはや五輪のお得意先である日本や最大の資金源である米国のTVネットワークの顔色を伺っていたIOCと、高度な外交や政治交渉能力ではなく、賄賂と既得権益の保全を条件として開催権を獲得した日本とが、双方の機嫌を損ない尽くさぬような妥協点を見出そうとしたからだ。それが選手や競技団体に少なからぬ不信感を植え付けたということだ。「本当に東京でやって大丈夫なのか?」。ウイルス不安をきっかけに、JOCと日本政府の五輪運営能力への不安が生まれてきた。


 肥大化する開催規模、巨額の予算、環境破壊や都市再開発などを鑑み、招致に尻込みする都市が増えるなかで、五輪への投資がそれほど利益を生まないことを理由に、世界企業がぼちぼちと公式スポンサーから撤退し始めている。こうしたなか、ますます放映権料への依存を高めなければならないIOCは、中止という前例を作りたくはないのだ。だが今後の1年間で、市民や選手にとって五輪が社会的災害であるという現実が、五輪を続けることの歪が、さらに明らかになるだろう。(続く)

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