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【沖縄「復帰」50年特集①】沖縄を飲み込んだ大和(やまと)を問う

5月15日は、現在「沖縄本土復帰記念日」とされている。今年は50年の節目で「記念」の祝賀ムードが演出され、ナショナリズムに利用されるだろう。では今の世界情勢や、歴史から見て、どんな「記念」と言えるのか。現在の辺野古新基地建設は、本土の基地反対運動が、米軍基地の沖縄集中に帰結したことを暴露している面がある。本土では日米安保問題も追いやってしまい、日本の米国依存はさらに深まっている。 「沖縄人として日本人を生きる」を書かれ、大阪市大正区で関西沖縄文庫を主宰する金城馨さんに50年経った今、5・15が意味したところを聞いてみた。 (編集部)

インタビュー 関西沖縄文庫主宰 金城 馨(きんじょう カナグスク かおる)さん


ーー沖縄を踏み台にした「戦後日本の平和」

あらゆる政治的表現は虚構化していくもので、左翼の政治表現も同じだと思っています。「政治は虚構」と自覚した上で事実と対峙し、虚構を減らすことが重要です。
 たとえば「戦後の日本は平和」という言説自体が虚構です。「戦後の平和」という言葉を使うほど、「アメリカの支配が平和をもたらす」ことになり、アメリカの暴力体制を容認してしまう。国民が本当に非武装を望むなら、沖縄に基地を押しつける日本の暴力を減らし、米軍を日本から追い出さないといけないのですが、日本の平和運動はその力を持てませんでした。日本の平和運動と連帯した時期もありましたが、いったい自分たちは何をしてきたのかと問い直しています。
 1972年は、日本の沖縄に対する二度目の併合だとは思っていません。併合は一度で、その後は併合が続いているのです。沖縄への基地押しつけは今に始まったことではありません。日本の政治は、国民を沖縄に対する暴力の共犯者に仕立て上げることで、沖縄支配を続け、国民の平和を望む能力を奪っています。米軍による暴力の共犯者に堕した日本人が、自身の暴力性を自覚せずに平和を叫び続けても、権力の暴力に立ち向かえません。
 復帰50年の今年は、日本政府が併合強化、新たな暴力を仕掛けてくる年だと思っています。「同じ日本」という言葉は悪気がなくても、「沖縄がヤマトと違うことを言ってはいけない」という圧力になり、沖縄の独自性・主体性を奪います。
 今の権力は、沖縄の自立を不安視して、併合を常態化させます。日本人の意識の中に沖縄に対する暴力を蓄えさせ、平和概念を弱めることで、権力側の暴力は維持されます。併合を続けると、それが普通になってしまいます。

ーー日本の左翼運動の偏狭さを超え多様性と共存性の平和運動へ

日本の左翼運動は、「社会主義は平和に結びつく」という幻想を元にしたイデオロギー闘争で、具体的な平和は望んでなかったのではないでしょうか。運動体の中にも、多数派のイデオロギーを少数派に押し付けるという暴力性がありました。
 1995年の少女暴行事件の後、大阪集会の準備会がありました。主催者が「沖縄と連帯しよう」「少女の痛みを分かち合おう」と言い出されたので、私が「日本人が沖縄と連帯できていたら、こんな事件は起こらなかった」という意味で、「なぜ連帯できていなかったのか?」と問題提起しました。すると、「金城くんは連帯を拒否している」「日本人を嫌っている」と言われることになりました。
 私は、「連帯できている」という虚構を壊そうとしただけで、連帯を拒否した訳ではないのに、圧倒的多くの日本人参加者に非難されました。
 違う考えを持つ人を排除して良いと言う考えが、平和運動側にあると思います。自分の考えが本当に正しいのか、悩み立ち止まって考えようとしない人の集団は、軍隊と同じ暴力装置に近いのです。考えない分、一つの塊として組織しやすいのですが、そんな集団が望んでいる平和が平和であるはずがないと思います。「平和を望む」とは、違う考えの人が共存しようとすることで、同じ考えの人が集まっている状態を平和だとは思いません。
 私にとって「迎合」はコミュニケーションの一部です。日本社会の中で、沖縄人は圧倒的多数の日本人を相手に生きていかないといけないし、迎合せずに生き延びる方法はありません。しかし迎合し続けて生きるのは危険です。
 日本の左翼に十数年間期待して合わせている間に、沖縄の状況は悪化し、少女暴行事件が起きてしまいました。迎合してきた自分の責任を感じ、少女とその家族の勇気に応えねばとの思いで、1995年は「今までのように日本人に迎合しない」と決意した年でした。

ーーひとまず基地を戻して、そして

沖縄人が、「これ以上日本人の間違い・暴力は受け入れない」と宣言したのが県外移設の主張です。
 「全ての基地をなくす」ではなく、一旦本土で基地に関する議論を引き取って考えるべきです。
 それが沖縄への暴力を減らす選択になると思いますが、「どこにも基地は要らない」と言い張る多数派が持つ「正しさの暴力」によって、県外移設を求める沖縄の小さな正しさは押しつぶされ、暴力は継続されています。
 ヤマトの民衆の平和運動は、目の前で起こっている暴力の除去、目の前の米軍基地をなくすことには成功しましたが、沖縄も含めた平和とどう繋がっているか、問わなかったと思います。
 民衆は、「自分たちは不完全だ」と自覚し、自分たちの暴力を排除することに絞り込めば良いのです。勝手な正しさを繋げると、自分たちの間違いや限界性を受けとめきれなくなるからです。基地がどこに移動されたかを考えず、沖縄で起こっている現実への想像力を喪失しています。アメリカは基地を沖縄に移すことで、日本人が沖縄に対して持つ植民地主義的意識を利用し反米感情を抑え、基地闘争の成功に酔いしれた平和運動はその共犯者になりました。

ーー自分たちの「正しさ」を疑い暴力を減らす

「平和」など実現できた試しはないし、百点満点の平和運動などあり得ません。平和は近づく対象で、掴んでしまうものではありません。戦争に協力してきた人間は暴力を持っていて、平和を掴めば平和の息の根を止めてしまう。私に平和の定義は判らないので、「平和とは何か」考え続けるしかありません。できるのは暴力の継続性を絶つことと、新たな暴力を許さないことです。「正しさ」がぶつかりあうと、強い方の「正しさ」が弱い方の「正しさ」を押しつぶします。「正しさ」が、多数派の暴力性を隠す虚構となっています。
 暴力の排除のためには、お互いの「正しさ」を一枚だけの壁で直接敵対させないことが重要です。それぞれにあるもう一つの壁を置いて、壁と壁の間にスキマを空けること。左翼は壁が一枚だけのイデオロギー闘争で相手を叩き潰してしまいますが、そのスキマで間違いを共有し議論すれば、暴力は機能しなくなります。民主主義はそのスキマがあってこそ機能します。

ーー私たちは次世代の運動の土台になりえるか

 私は、「沖縄人でもない、日本人でもない」かつ「沖縄人でもある、日本人でもある」存在です。だから、スキマの存在を明確化する生き方をしています。「日本の左翼運動は正しさを主張しすぎだ」と気づいたので、若い人に自分たちの失敗と左翼の問題点を伝えることにしました。
 上の世代が、自分たちの失敗を明らかにすれば、未来につながります。上の世代の運動を引き継ぐとは、同じ運動を続けることではありません。間違いを正すことを引き継ぎ、上の世代を土台にして、同じ間違いをしないことです。
 国家にとっての未来は暴力の拡大ですが、自分たちの未来は暴力を減らし分散させることです。それぞれの左翼が果たした役割は重要な意味はあったと思うし、否定してはなりませんが、歴史の一部として捉えるなら、積極的に敗北宣言をした方が次に繋がります。それができない運動側のレベルの低さが、今の日本社会を作っています。
 国家のみを敵として位置づける表現スタイルなら、決して自分自身を問わないので、結果として国家の暴力を止める力にはなりません。国家が暴力的なのは当然で、そんな国家と向き合い、どういう社会を自分たちが作るかを同時に問う表現が必要です。
 運動の担い手に主体性がないかぎり、運動の盛り上がりが衰えるなかで各人の政治的問題意識も消え、政治と生活は乖離します。人民新聞が人間を対象にするメディアを称するなら、人間とはどういうものか、きちんと押さえた上での表現を模索すべきだと思います。人間は決して政治だけで生きているわけではないし、政治以外の面での表現活動を豊かにすることも大切だということを認識すべきです。

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