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【「LGBT理解増進法」採決に抗議】男女雇用均等法・参画法と同じくマイノリティの現実を無視(Feminism for the 99%)

ジェンダー研究者 菊地 夏野

今年6月、大きな抗議を受けながら「LGBT理解増進法」が成立した。 政府に性的少数者らへの理解を進めるための基本計画の策定や、実施状況の毎年の公表が義務付けられる。行政や企業、学校などの相談体制の整備も目指されるが、罰則規定のない理念法だ。
最近の国会における他の法案と同様、十分に審議が行われず、スピード可決で決められたことは残念だ。
多くの当事者や当事者団体が、反対の声を挙げた。反対の理由は主には、まず「不当な差別は許されない」という表現の「不当な」という部分についてで、あたかも「正当な差別」と「不当な差別」に分けられるかのようだ。正当な差別などあるわけがない。
次に、「性自認」という言葉が、「性同一性」に変更された。本人の意思を反映する「性自認」という言葉が避けられたことで、当事者の自己決定の認められる範囲が縮小されかねない。また、「多数派への配慮規定」が設けられたことで、LGBTの権利促進のための取り組みが制限される恐れがある。

しかし、当事者も含めて、中には、「法律ができたこと自体は歓迎すべきだ」という論調も耳にする。「何もないよりはあったほうがいい」という。本当にそうだろうか?
実は、法案に反対する当事者や専門家の議論の中に、気になる部分があった。「女性や障がい者には、男女雇用均等法や男女共同参画基本法、障害者差別解消法などの差別を禁止する法律があるのに、性的少数者には何もない」という指摘である。このことにも関連している。
男女雇用均等法や男女共同参画基本法は、女性差別を禁止した法律ではない。前者は「男女の雇用機会の均等」を、後者は「男女の共同参画」をめざしたもので、それぞれ1985年と99年に制定された。どちらもそれぞれ女性運動やフェミニズムが盛り上がり、法律面で女性差別を禁止し、男女平等を目指す法が求められた機運の中で、運動側の主張がゆがめられ、切り縮められたものである。
その結果、均等法は「コース別雇用」という間接差別を構造化し、男女共同参画法は共同参画というあやふやな概念を生み出した(詳細は、拙著『日本のポストフェミニズム』を読んでほしい)。
つまり、性的少数者だけではなく、女性についても本当の差別禁止法は存在していない。

また一旦曖昧な法が作られてしまうと、そこからやり直すのは至難の業だ。「差別増進法」だと今は批判されているが、時間が経つとその批判は消されていき、法律という権威性により問題性は見えにくくなる。
男女の「雇用機会」を「均等」にすることが、平等であるかのように思われているのと同様、多数派の「理解」が進むことが平等だと思われていく。そこで見失われるのは、マイノリティの現実だ。

支配に従う生き方の克服 共に求める中で差別は見える

差別とは一体どんなことなのか、それ自体が難しい。女性の経済的自立の達成はそれほど容易ではないし、自立が「孤立」を意味してしまう社会だ。
家族の世話に明け暮れながら会社でも貢献を期待されるか、家族から自由になって一層「キャリア」を追い求めるか、の二択が、今の日本の女性が置かれた立場だ。
もちろん男性の多くは仕事も家族も手にしているが、彼らも精神的・社会的な自由を得ている、と言えるだろうか。
つまり、支配に従う生き方をしている限り、「差別」は見えてこない。人々の間にある格差や分断に気づき、その克服を共に求める中で、「差別」は初めて見えてくるのである。

ひるがえって、性的少数者の問題といえば、トイレやお風呂のことばかり議論されるような世の中である。この議論は突き詰めれば、それこそ「多数派の快・不快」にしか注目しない論であり、マイノリティをはなから切り捨てている。理解増進法は、マジョリティのこの現状に「忖度」して成立した法律であり、それは差別を根本的に解消するためのものではない。
そもそも自民党の支配が続く限り、マイノリティの立場に立った法律実現はほとんど不可能だ。小手先のことではなく、根本から変えていく必要がある。

(人民新聞 2023年8月5日号掲載)

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