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【アフリカ最後の植民地】モロッコの占領地・西サハラ問題から考える民主主義と教育、行動の大切さ

ウータン・森と生活を考える会 石崎雄一郎

 「西サハラ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 恥ずかしながら何も知らなかった私は、知り合いの勧めによりスウェーデン活動家サナ・ゴトビさんとベンジャミン・ラドラさんの講演会に招かれて、大きな衝撃を受けた。
 西サハラは、モロッコ、モーリタニア、アルジェリアと国境を接するアフリカ北西沿岸部地域で、「アフリカ最後の植民地」と呼ばれる。1973年に、この地域に暮らしてきたサハラーウィがポリサリオ戦線を結成し、植民地の宗主国であったスペインからの独立を求めて運動を開始した。その後、国際司法裁判所が民族自決権の行使を勧告し、国連現地調査団も「ポリサリオ戦線が西サハラ住民の代表組織だ」と報告した。しかし、75年のスペイン撤退直後にモロッコが軍事侵攻し、以来、占領状態が続いている。
 76年にポリサリオ戦線は、サハラ・アラブ民主共和国の樹立を宣言、アフリカ連合にも正式加盟国と受け入れられているが、欧米や日本を含む国々からは認められていない。サハラーウィの多くは、アルジェリア領内の難民キャンプに半世紀近くも政治難民として暮らしながら、民族自決と独立を求め続けている。日本も西サハラと無関係ではなく、「モロッコ産」として西サハラで取れたタコを輸入しているという。
 サナさんは、小柄な体に大きな情熱を宿した女性で、政治活動を行うイラン系クルド人の両親のもとに生まれ、自身も難民出身だ。21歳で最年少市議会議員となり、移民や難民の問題にも取り組んできた経歴を持つ。ベンジャミンさんは、大柄で包み込むようなオーラを発する元ミュージシャンの男性だ。パレスチナ問題を訴えるため、スウェーデンからパレスチナまで数千キロを数カ月かけて歩いたことがある。

赤い地域が「西サハラ」


「すべての人々の人権を気にしないなら、人権を気にしているとは言えない」

 西サハラの問題を知り、「何とかしたい」と思ったサナさんは、ベンジャミンさんを誘って自転車で世界を巡り、支援を訴える旅に出た。昨年5月に欧州をスタート、今年3月には韓国からアジアツアーを開始した。G7広島サミットでは記者会見を行い、現在は日本を北上して各地で講演を行い、その後は東南アジア、南アジアを目指すという。
 「問題を世界に伝えたい」というエネルギーに脱帽した。問題意識を行動につなげるよう促すスウェーデンの民主主義と教育の素晴らしさを実感せざるを得ない。サナさんが行動できるのも、難民である両親を受け入れた土壌と、21歳の女性を当選させた有権者の意識の高さによるのだろう。かたや日本は、外国人の収容・送還のルールを見直す入管法改〝悪〟案が可決され、命の危機にある外国人の人権問題に向き合おうとしない姿勢が示されてしまった。
 会場でも、「民主主義が軽視されている日本に、なぜ問題を訴えに来られたのか?」という質問があったが、「すべての国、すべての市民に問題を伝えたい。かつて奴隷制度廃止も女性の権利拡大も、運動により勝ち取ってきた。どこであろうとも成し遂げられると思う」と答えた。
 サナさんとベンジャミンさんのメッセージを伝えたい。「西サハラは日本から遠く離れた国であっても、関係しています。日本政府は西サハラから盗まれたタコを購入しています。私たちは、彼らを人間として気遣う必要があります。すべての人々の人権を気にしないなら、人権を気にしているとは言えません。世界中のすべての人が自由にならない限り、私たちは自由であるとは言えないのです」。

トップ写真:ボルサリオ前線の兵士たち(Wikipediaより)

(人民新聞 7月20日号掲載)

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