JINKO

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☞ 平成元年生まれの雑誌編集者/歌人集団かばん会員 ☞ こころがふわっと軽くなったり、人生のドキドキを思い出させてくれたり、日々のスパイスになる本と映画について、自身のエピソードとともにつづるエッセイ「本と映画。それとわたし」を発信中 IG@jinko.d/TW@jinko.dd

最近の記事

KIRINJIの歌詞から「短歌」のヒントを得るわたし

魔法みたいな言葉でつづられている日常の風景や感情の機微。 わたしは大人になるまで「歌詞」というものに注目してこなかった。というのも、例えばJ-POPを聴いても、メロディや伴奏しか入ってこないのだ。おそらく、子どもころからピアノやオーケストラで演奏していたこともあって、基本的に歌詞のない世界で音楽をたのしんでいたからだと思う。そもそもテレビっ子でもなかったし、同世代で懐メロの話になっても、ほとんど話についていけないし、カラオケに行っても歌詞を覚えていないので、レパートリーが乏し

    • つられて夜中にバターごはんを食べたわたし

      どんなに食に対して神経質で鈍感すぎてもやっぱりおなかは空く。いろいろと落ち込むようなことがつづき、気がついたら最後の投稿から2カ月も経っていた。それでも短歌づくりは続けていて、1月から数えて100首を越え、今月から某同人誌にわたしの作品が掲載される。この長いコロナ禍の冬、わたしを支えてくれたのは、まぎれもなく短歌だった。そしてきょう、短歌にハマるきっかけとなった歌人・穂村弘のエッセイ集を再び開いてみることにした。 本人は美食家でもなければ、料理が上手なわけでもない。食べるこ

      • 詩の朗読と、呼吸してなかったわたし

        声に出して読むうちに、だんだんと呼吸が整うのをおなかから感じてくる。詩を読みたい。昨年末、そう思ってわざわざ日本から取り寄せたのがこの本だ。今わたしが住んでいる国は日本に比べて日照時間が少なく、毎年クリスマスが終わると同時に長く暗い冬がはじまる。そんなときに出てきた感情が、詩を読みたい、だったのだ。 この国では、10人に1人が「冬季うつ」というものにかかる。倦怠感と無気力な状態がつづき、なんでもかんでもマイナス思考になるという厄介な病気なのだが、春になるとなにごともなかった

        • 時空を超えて同じ悩みを抱える、ジョーとわたし

          150年前を生きるジョーと今を生きるわたしの悩みが、ぴったりと重なるその瞬間。昨年公開された新しい「若草物語」には、正直あまり期待していなかった。筋金入りの90年代育ちのわたしにとって、ジョーは永遠にウィノナであり(ジョニー・デップのタトゥーかよ)、誰も代わることができないと信じていた。ところが、いざ観に行ってみると、なんとわたしは劇場で号泣してしまうのだった。 シアーシャ・ローナンが演じるジョーは、とにかく落ち着きがない。うれしいことがあったときの瞳の輝きにドキドキさせら

        KIRINJIの歌詞から「短歌」のヒントを得るわたし

        • つられて夜中にバターごはんを食べたわたし

        • 詩の朗読と、呼吸してなかったわたし

        • 時空を超えて同じ悩みを抱える、ジョーとわたし

          いつの間に、すーちゃんと同世代になっていたわたし

          歳を重ねるほどわかっちゃう30代女性の「リアル」に、いつだって寄り添ってくれる。 新卒で採用された出版社で雑誌編集者だったときのこと。映画好きにはこの上なくありがたいことに新着情報欄の担当を任されていて、編集部宛の新作試写会の招待状はまずわたしのデスクに届いた。誌面で紹介する映画はもちろん、合間を見つけては気になった作品の試写会に足を運び、それはそれは夢のような時間を過ごしていたのだった(もちろん仕事はそれだけではないので、激務ではあったが)

          いつの間に、すーちゃんと同世代になっていたわたし

          傑作SFと、宇宙の話が苦手なわたし

          時空を超えた父と娘の愛の物語。初鑑賞が父と一緒だったのは偶然ではなかったのかも。この作品のおもしろさを伝えるのは至難の技だと思う。まず長い。そして、一度観ただけでは理解できない。わたし自身、映画公開時はおろかDVDレンタル開始後もこの作品になかなか興味が持てなかった。というのも、SF作品への苦手意識が強かったから。アクションは好きじゃないから、宇宙人と闘う系が全然おもしく感じられないし、何より宇宙について考え始めると、だんだん気持ち悪くなってしまうとい

          傑作SFと、宇宙の話が苦手なわたし

          キム・ジヨン氏と、フェミニズムに目覚めたわたし

          当たり前の日常に潜む違和感を、あのときのわたしは言葉にすることができなかった。フェミニズムに目覚めたのは、高校生のころだった。わたしが通っていたのは進学校で、それはそれは宿題が多く、部活と勉強以外に何をしていたのか、まったく思い出せない。そんなある日、自宅のリビングでちょこっとくつろいでいると、父が「ジンコ、洗い物しろ」とわたしに声をかけた。そのあとテスト勉強か何かをしようと思っていたわたしは、隣りでゲームをして遊んでいる当時小学生だった弟に目をやり、「◯◯にやらせてよ」と返

          キム・ジヨン氏と、フェミニズムに目覚めたわたし

          わたしの故郷の、近いようで遠い物語

          これからもずっと続いていく戦争の延長線上の人生に、共感した人はどれほどいたの?自称映画好き……といいながら、ものすごい本数を観ているわけでもないし(少なくとも1000本くらいは観ているかもしれない。予想)、むしろものすごく偏っているほうだと思う。そんなわたしは、小津安二郎や黒澤明を観ないまま30代になってしまった。今回は、小津安二郎作品の記念すべき1本目「東京物語」を。 まず見入ってしまったのは、1950年代の東京の景色だ。わたしの母は1960年に東京下町で生まれ、ちょっと

          わたしの故郷の、近いようで遠い物語

          ほむほむに、短歌を詠まされるわたし

          限られた文字数で表現する。編集の仕事は短歌を詠む作業とちょっと似ている。ほむほむ(穂村弘)に魅了されて早くも3週間が経ち、わたしの短歌歴も早くも3週間となった。わたしの「ほむほむワールド」の入り口はエッセイ(『もしもし、運命の人ですか。』)だったのだが、そもそも穂村弘は歌人なので、短歌を詠めばもっとほむほむのことを理解できるに違いない! と思い、短歌への興味がむくむくと湧いてきたのである。そんなこんなで、ここ3週間は毎日1〜2首ずつ短歌を詠んでいる

          ほむほむに、短歌を詠まされるわたし

          南極のおじさんたちと、料理するわたし

          どこにも行けない日は、自分のためにおいしい料理でも作ったらいいじゃない。最低でも10回以上は観ているこの作品を、わたしは台所に立って、料理しながら観ることが多い。数年前のクリスマスイブの夜、せっかくのクリぼっちを堪能すべく自分にとびきりおいしい料理をつくってあげようと思い立ち、その料理中のお供にこの作品を流したのがことのはじまりだ。そして、「南極料理人」はわたしのお気に入りクリスマス映画として殿堂入りを果たした。 主人公は、海上保安庁から南極のドームふじ基地にやってきた料理

          南極のおじさんたちと、料理するわたし

          高校生のわたしと、遠きパリの書店

          やっと訪れたその書店で、何人もの作家と同じように窓からノートルダムを眺めた。高校2年生の冬くらいのこと。いつもは淡々と話すクール女子だった親友Hが、やや興奮気味で「これ、あげる! ジンコにも読んでほしいからもう一部もらってきた」と手渡してきたのは、パリのおしゃれな写真で飾られたフリーペーパー。そのなかでもとりわけわたしのこころを踊らせたのは、子どものためのカフェをやっているパリジェンヌと、当時シェイクスピア&カンパニー書店の店主だったジョージ・ホイットマン氏の記事だった。

          高校生のわたしと、遠きパリの書店

          トニ・エルドマンと、父とわたし

          お父さんと喧嘩したら観たくなっちゃう映画。すべてのわがままな娘たちへ。ティーンエイジャーになってから、父とはしょっちゅう喧嘩していた。負けずぎらいのわたしは何か父にいわれるたびに言い返したくなり、口論に発展するのだが、結局言葉では父を言い負かすことはできず、最終的にわたしが泣いて終わるパターンがほとんどだった。母はよくわたしの味方をしてくれたけれど、それでもたびたび衝突し、それは27歳で実家を出るまで続いた。 本作に登場する、父ヴィ

          トニ・エルドマンと、父とわたし