人生のピンチ① 大学院生、ブラックに気付かずうつ病に!
1. 22歳の私が気付けなかった心のサイン:うつ病と出会うまで
22歳の夏のことでした。
めまいと頭痛で布団から起き上がることもできず、当時半同棲していた彼女に支えられながら近くの内科を受診しました。
そこでお医者さんから突然、「脳梗塞の可能性があるので、大学病院に救急搬送します」と言われ、わけがわからないまま大学病院に搬送されました。
いろいろな検査をした結果、脳梗塞は否定されて事なきを得たのですが、それでも強いめまいと頭痛が軽減する気配は一向にありませんでした。
結局、原因がはっきりしないまま大学病院に1ヶ月ほど入院し、理由はわからないものの症状が改善したため退院となりました。
事なきを得た私ですが、実はこの出来事が、私の人生を大きく変えるきっかけとなっていたのです。
もともと、どちらかといえば社交的な性格で、勉強もそれほど苦手ではなく、スポーツも人並みにはできるような人間でした。
高校受験、大学受験でも大きな挫折を味わうことなく順調にクリアし、大学生活でも友人と飲みに行ったり、バイトをしたり、彼女と遊んだりと楽しんでいました。
周囲と比べて特別真面目ということもなく、飲み会では記憶をなくすまで飲んで、翌朝道端で目を覚ますという大失態を演じる程度には不真面目でした。
そんな私も22歳で大学の薬学部を卒業し、大学院に進学して毎日研究に勤しむ日々でした。
私が所属していた研究室は世界トップレベルの研究をしていましたが、一方でかなりのブラック研究室の側面もありました。
もちろん、私が大学院生だった頃ですから20年くらい前の話で、いまは研究の世界もホワイトになっていると思いますが。
当時は、朝から実験を始め(この「朝」という概念も曖昧でしたが)、研究室を出るのはだいたい23時くらい。
そして自宅に帰ってシャワーを浴びてからまた研究室へ。
研究室の自分の机でウトウトしながら最低限の睡眠を確保。
翌朝(目が覚めたとき)からまた実験再開。
こんな生活を送っていました。
当時はこの生活になんの疑問も持っていませんでした。
世界に向けて発表することを目指すレベルの研究ができていることが誇りでしたし、プライベートや日常生活を犠牲にして研究にハマっている自分に酔いしれていたのかもしれません。
それに、同じ研究室のメンバーには似たような生活をしている人がいたこともあり、今から考えればブラックな生活だったわけですが、まったくそのことに気付いていませんでした。
同じ年の冬のことでした。
その日は珍しく自宅の布団で寝ていましたが、朝になって目が覚めると、なんとなく頭が重く、布団から出るのが億劫でした。
ちょうど研究のスケジュール的にも落ち着いていた時期だったため、研究室に連絡して休ませてもらいました。
休んだはいいものの、布団からなかなか出られず、食欲もなく、結局その日はほぼ布団の中で過ごしました。
翌日。
まったく状況は変わりません。
布団から出られず、テレビを見る気にもならない。
食事は家にあった菓子パンを無理やり詰め込むだけ。
しかし、前日と明らかに違うことがありました。
それは「休んでいることが、とても悪いことのような気がする」という考えが頭に浮かんだことです。
研究室の他のメンバーは今日も実験をしたり、論文を書いたりしている。
それなのに自分は家でゴロゴロしているだけ。
もう罪悪感しかありません。
半同棲中だった彼女にも「実験に穴を開けて申し訳ない」と繰り返し言っていたようです。
そこから1週間、まったく家から出られませんでした。
家から出られないどころか、布団から出られませんでした。
布団から出られないくせに、夜になってもなかなか眠れず、ずっと「研究をサボっている自分」の無価値感を噛み締めて過ごす生活。
食事は彼女が作ってくれていましたが、申し訳ないことに全然食べられず、人間らしい生活といえば、歯磨きとシャワーくらいのものでした。
2. ある日突然の崩壊:うつ病と診断されるまで
22歳の冬。
布団から出られない日が1週間を超えたころでした。
彼女から「病院に行こう」といわれました。
私は乗り気ではありませんでしたが、断るエネルギーもなく、言われるままに彼女と一緒に病院に行くことにしました。
そこで連れて行かれたのが心療内科クリニックでした。
薬学部を卒業し、薬剤師の免許も持っていましたので、心療内科がどういう診療科なのかは知っていました。
私の頭の中では「なぜ心療内科なのか?」という疑問が浮かんでいましたが、彼女に促されるままドアを開けてクリニック内へ。
心療内科クリニックの待合室で待つこと数分。
「診察室にお入りください」と声をかけられ、いざ診察へ。
診察室にはカウンターのような机と椅子。
机の向こう側に高齢の男性のお医者さん。
(後に知ったのですが、このお医者さんは当時60歳で、全然『高齢』ではありませんでした)
最初の質問は確か「今日はどうされましたか?」だったと思います。
正直に、「研究室に行けておらず、迷惑をかけているので、早く直して研究に復帰する必要がある」と話しました。
それから、食事のこと、睡眠のこと、1週間の過ごし方などの質問が続きました。
小さかった頃のことから自分史を振り返って答えていくような質問もあったと思います。
結局、診察は30分くらいあったでしょうか。
最後に、「あなた医療を学んだ薬剤師さんだ。ご自身がなんの病気だと思いますか?」と聞かれました。
当時の私は確かに薬剤師の免許を持っていましたし、大学で病気のことも勉強しましたが、実際の症状や病気については全くの無知と言っていい状態でした。
そんな私ですから、素直に「わかりません」「疲れとかですかね」と答えるのがやっとでした。
そうしたところ、「はっきり言うけど、うつ病だね」「しばらく大学院は休もうか」と告げられたのです。
そのときは眼の前が真っ暗になりました。
うつ病と言われたことが嫌だったわけではありません。
「大学院を休む」ということが大問題だったのです。
なぜなら、「大学院を休む=研究が滞る=他の研究メンバーに迷惑がかかる」ということであり、誰かに迷惑をかけてまで休むなんて申し訳無さすぎるという気持ちになったからです。
それに、この当時の私の生活の中心は研究であり、それが私自身のアイデンティティなっていわけですから。
そこで、「何日休めばいいですか?」「どれくらいで治りますか?」「薬を飲めば治りますよね?」という、今考えると医療を学んだ者として失格レベルの質問をしていました。
お医者さんは優しい笑顔で「まとまった期間休んだほうがいいし、薬はあるけど、飲んだらすぐに治るようなものじゃないんだよ」と言った後、「いままでよく頑張ってきたね。ここらでひと休みして、一緒に治療していこうね」と声をかけてくれました。
このとき何が起こったのかわかりませんでしたが、自然と涙が出ました。
多分、ずーっと張りつめていた心の緊張の糸が切れたんだと思います。
3. お薬での治療だけじゃない:うつ病と出会ってから
これが私のうつ病との出会いでした。
ここから治療が始まり、色々なお薬を飲みました。
当時は薬剤師免許は持っていても、臨床経験がまったくない大学院生でしたから、薬の知識も教科書レベルでした。
いまは精神科を専門領域とする薬剤師になったので、当時の薬のことを振り返りながら色々と考えることができます。
ただ、お薬での治療についてはその人その人の症状や環境、体の病気など様々な視点からお薬が選択されます。
このnoteで特定のお薬の名前を挙げて私の治療を振り返ることは、様々な誤解を生じたり、適切な治療に悪影響を及ぼしたりする可能性があるので控えたいと思います。
その代わりというわけではありませんが、私自身の治療経過の中で、お薬以外で回復の役に立ったと思うことについて今後の記事で書いてみようと思います。
キーワードは「没入」です!
→没入についての記事は以下からご覧いただけます。
最後までご覧いただきありがとうございました。