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寄り道は近道の時もある

昨晩、高校時代からの友人と通話をした。高校の友人の中で自信を持って1番の友人であると言える人です。そんな友人がとても素晴らしい物事の見方を教えてくれたので、今回はそのことについて書いていきます。馴れ初めとかはまたの機会に。というのも、今は彼の言葉をすぐにでも書き出したいので笑

私はここ最近、就職活動が落ち着き、心に余裕が生まれたこともあって、この自粛期間をのんびりと過ごしていました。YouTubeで好きな配信者の動画をひたすら見返したり、Prime Videoにて気になっていたアニメや映画を見たり。私自身、怠惰な人間なので、こうして休日を過ごすことは以前から結構ありました。そうしたものを見て過ごすことはとても好きですし、同じような休日を有意義に過ごしている人もたくさんいらっしゃると思います。では、なぜ私は「怠惰」な人間であるから、と言ったのか。それは、動画やアニメや映画を見たいから見るというよりも、暇だから見るというように、消極的な選択を通してその行動に至っているからです。そのため、楽しんで見ている時に、唐突に虚無感にも似た無力感を抱くことがあります。この時間は何かのためになっているのか、他のことに費やした方が得られるものはあるのではないだろうか、といったように。就職活動を通じて、子供の時に親に言われた「一部のテレビは娯楽である」という言葉の真の意味を理解したことがあるのですが、自分が見ていた動画もそれらと同じものであり、娯楽を享受し続け、成長をやめると、甚だ自分が価値のない人間であるかのような印象を持ってしまいます。就職活動で出会ってきた人たちが、何か目標を持ち、そこに辿り着くためにもがいて自分のアイデンティティを形成した人が大半だったことからも、自分の小ささを感じてしまいました。こうした経緯で自己嫌悪になっていたのです。

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お久しぶり

そんな折に高校からの友人と通話をすることになりました。彼は、大学を卒業した後、やりたいことで必要になる資格を取るため、アルバイトや勉強に勤しんでおり、この外出自粛期間中はお互いの現状確認として何度か連絡は取っていました。実は、彼とは普段一切連絡を取らないんですよ笑 彼が大学生の時は数回しか合わず、連絡は取っていたと言っても半年に一回程度で。加えて、私がいつもは寝ているような時間帯に、唐突に電話してきたりするような友人なのです笑 その電話をたまたま起きてて取ってしまうことに何かの縁を感じるわけですが笑 そんな友人と1ヶ月ぶりくらいで通話をしました。内容は、私は今何をして日々を過ごしているのか、彼は今何に熱中していて、何に悩んでいるのかなど。そこで私の怠惰な自己嫌悪の話もしました。そして奇遇なことに、彼は私と同じく自己嫌悪になっていたのです。コロナウイルスの影響もあったのでしょう。同じ感情を抱いている者同士、お互いに相手の話に耳を傾け、励まし合いました。ここで私が喋ってばかりになっていたのにも関わらず、嫌な感情を見せず、真摯に聞いてくれた彼には、頭が上がりません。話を戻すと、自己嫌悪になった理由であるアニメの話をした時に彼は一つの物事の捉え方を教えてくれました。

アニメを見終えたら、それは一つの知識になっている

「そんな考え方があるのか!」

元々私は思い込みが激しいと言いますか、一度そうだと思ったものに対しては柔軟に対応することができないことが稀にあります。ネガティブな思考をしている時は尚更その傾向が強いように感じます。俯瞰してみると、まさにこうしたご時世の影響を受けていたのですね。それでも友人はそんな別の視点からの捉え方を教えてくれました。捉え方を変えると生活が大きく変わるということは、頭の中ではわかっているつもりでも、実行するのはとても難しいですし、そもそも見方を見つけること自体が困難である場合もあります。しかしながら、友人や家族などと話すことでそれらは意図もたやすく見つかるものなのです。面白いですね。今まで学生という小さなコミュニティで過ごしてきた私にとっては、そんないろんな考えを持った人たちとこれから社会で、コミュニティサロンで、旅行先で出会えると思うと楽しくなってきます!

今回は自己嫌悪という形で、寄り道をしていました。それでも、失敗があってこそ成功があるように、自身の至らないと感じる部分に気が付かなければ、成長には繋がりません。自分にはなく友人にはあるものを、このようにして共有することで、楽しいことがググッと増えるような気がします。だからこそ寄り道って近道になるのではないでしょうか。


今回はここら辺で👋

ご精読ありがとうございました。



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