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白山中居神社での、とある体験

2018年某日、岐阜県の白山中居神社に参拝に行った時の事です。日常の色々な事が心の重荷になり、心身ともに疲れてまたふらっと癒やされに行ったという感じです。山奥にある白山中居神社はたいていほとんど人がおらず、大木と川に囲まれて静かで清らかな空気が流れていて本当に癒やされるのです。その日も僕一人だけでした。

日の出からしばらく経った頃に拝殿の前に立ちました。参拝を終えたまさにその瞬間、木々の間から太陽の強烈な光が差し込んできました。この時の太陽の光はなぜかいつもとはまるで違いました。あたかも10メートル先に小さな太陽が出現したような、奇妙な感覚でした。その光はとても暖かく、手を伸ばせば太陽に触れられそうな気さえしました。夏の日差しのように…いやそれ以上に強烈なのに柔らかで、包まれるような不思議な光。白山中居神社の神様が僕を見てくれているように思えて、深く感動したのを覚えています。
下の写真はその時撮ったものです。

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白山中居神社と集落を隔てる川は朝日添(わさびぞ)川という名で、おそらくは朝日と水流が同じ方角だからこの名がついたのだと思いますが、僕の中ではこの日から朝日添川は「朝日に寄り添ってもらった」という意味になりました。感謝の気持ちを心の中で念じ、もと来た道を戻ろうとしました。ここでなんとなく、そのまま帰るのではなく朝日添川を太陽の方向に向かって歩いてあの光の余韻にもう少し浸っていたい、という気持ちになりました。

どれくらい歩いたかあまり記憶がありませんが、5分か10分くらいでしょうか。その先には大小ふたつの岩がありました。夫婦岩という名がついているようでした。どちらが男でどちらが女という説明書きはありませんでしたが、誰かに言われなくても感覚的にすぐ大きいほうが女岩だとわかりました。

女岩は半分以上川に浸かっています。注連縄も無く、とくに御神体として祀られているような感じではなかったのですが、僕はこれも神の依代、磐座だと直感しました。女岩はあたかも子供を大切に抱いた女性のように見えました。そしてまた不思議なことに、女岩の上部に一瞬だけ、小さな仏様のような姿が見えたのです。「えっ?」と思って近づいていくと、何もありませんでした。後から考えると、仏様が見えた時、おそらく視覚で見えていたのではないんですよね。だから目をこらしてよく見ようとした僕は愚か者ですね…。神様も「こいつはいつまで経っても成長しないな」と呆れているかもしれません。まあ、屋久杉だって成長が遅いからこそあのような大木に育つんですしね(開き直り)

後からこの岩のことについて調べてみると、御手洗大岩とも言い、縄文の水神である瀬織津媛が祀られているそうです。日月神示では注連縄は古の神を封印するものだと書かれているので、注連縄がないこの御手洗大岩こそ、ある意味で本当の御神体なのではないかと思います。一応恐れながら写真も撮りましたが、これは公開しません。ネットで公開するようなものではない気がするからです。こんな気持ちになったのは御手洗大岩がはじめてですね。
もしこれを読んで気になってこれから行かれる人は、朝日添川は堤防など特に無くて雨の日の後などは水量が増しているかもしれないので、水難事故にならないよう気をつけて行ってきてください。

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