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ひふみ祝詞の壮大さと謎

ひふみ祝詞は、日本に太古から伝わる祝詞(神道の祭祀において神に対して唱える言葉)の一種です。祝詞には様々な種類がありますが、ひふみ祝詞は別格と言うか、根本的に他の祝詞とは次元が異なるものだと僕は考えています。そのことについて少し触れてみます。

ネットでひふみ祝詞について検索すると、その解釈についていろいろなパターンがあることがわかります。しかし僕にはどれもピンと来ないものばかりでした。感覚的に「違う、そうじゃない」と思えるんですよね。

そこで僕独自で腑に落ちる解釈をしてみました。

ひふみ祝詞の最初の十文字

ひ ふ み よ い む な や こ と

ひ・・・一、日、火。すべてのはじまり。
ふ・・・二、風、ふるえ、振動、素粒子。エネルギーの伝播。波動。
み・・・三、水、身、密。「ふ」が集まり実体化するさま。分子構造。
よ・・・四、世、物質世界、星々、地球。
い・・・五、命、生(い)ずる。原始生命体の誕生。
む・・・六、蟲。より複雑な構造を持つ生物への進化。
な・・・七、魚(な)。肴(な)。食物連鎖、ヒエラルキー。他の生物からエネルギーを効率よく取り込みさらに進化するさま。
や・・・八、弥栄(いやさか)。霊的に高度な生物の誕生と文明の成立、繁栄。
こ・・・九、旧(く)、究(く)、凝(こ)る。臨界点、終末。混沌。
と・・・十。死、転生、十字架。|(か)一(み)との合一。

こうすると、ひふみ祝詞はこの世のはじまりと終わりを、物理学的、生物学的な視点をもって正確に見抜いて歌っているという解釈が成りたちます。

はじまりの「ひ」の次を風の「ふ」、ふるえの「ふ」と見たのは、2つの理由からです。一つは最新の物理学の仮説で「物質の究極の最小単位は“振動するひも”のようなものである」とされていること(超弦理論)。
もう一つは、ヨハネの福音書の次の一節からです。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。

この「言」は「言葉」と理解するのではなく、もっと根源的なもの、つまり音=振動と解釈して読み替えてみてください。すると、ひふみ祝詞の上記解釈とほぼ同じことを言っていることに気が付きます。

また僕は、日月神示を読んでいると、原初の音楽(ミニマル・ミュージック)を感じます。その感覚もこのひふみ祝詞の解釈に通じています。日月神示とミニマル・ミュージックについては別記事で詳しく書くことにします。

ひふみ祝詞の謎

ひふみ祝詞がいつから伝わっているのかは不明で、一口に太古と言っても具体的な年代は誰にもわかりません。少なくとも仏教伝来前であることは確か。
二千年前か、三千年前か、あるいはもっととてつもなく古い可能性も十分あります。

文字も当然、本来は「かな」ではなく、やはり漢字伝来よりはるかに古くから日本に存在した「神代文字」で書かれていた、とも言われています。

ひふみ祝詞にはさらに続きがあり、日本語の発音の四十七音がすべて一文字ずつ使われています。

ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか 
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ

と(十)の次は、も(百)、ち(千)、ろ(万)・・・と解釈できます。

十があの世への旅立ち、または文明の終焉を意味しているわけですから、百から先は人間の三次元的な認識では想像も及ばない世界が広がっている。そしてひふみ祝詞はそれをも歌っているはずなのです。
そこにどんな意味が込められているのか、そしてこのひふみ祝詞を作った太古の人々は一体どうしてそれを知り得たのか。
それを考えるたびにワクワクします。

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