見出し画像

ただ、車が怖かった—今年の #買ってよかったもの

免許を取ったのは、まだ東京にいた頃だから、20代半ば頃である。
精神病であることはもうわかっていて、地元に帰るまえ、暇があるあいだに免許を取ろうと、徒歩五分のところにあった教習所に通い始めた。
ホントにすぐそばにあったからという理由だった。
近かったので予約を取るのもすぐだし、休み時間に帰宅することもできたので、楽だった。しかし、通うのは楽だが、免許を取得するのは楽ではなかった。
学科は思ったよりきちんと行けた方だと思う。ほぼ落ちずに行けた。
行けたが、どうして運転免許の試験はあんなに意地悪なのだろうか。受験の引っかけ問題にも負けず劣らずといえるほど、引っかけ問題が多い。
この問題を日々作っている人たちはかなりな根性悪だと思いながら試験を解いていた。
無事座学は終わり、実地訓練が開始された。
そこからが、大変だったのである。

車に乗った。
初めての一時限は正方形の敷地をぐるぐるまず自分の思うように回ってみよというものであった。よほど酷いことにならないかぎり、ブレーキを押されることはない。
しかし。
私の運転は、よほど酷かった。
まずどうやればいいのかわからず、アクセルを押してはブレーキを踏む。うねうねと車は動き、住宅街の中にある教習所ゆえ、もう少しで飛び出して民家に突っ込むかと思ったら、講師がブレーキを踏んでくれていて助かった。
ぐるぐるまわる遊園地の遊具にでも乗っているのかと思うような非日常な体験を一時間して、それからは地獄の教習が始まった。
教習所の授業料は高い。一コマ50分。通っていた教習所では大体二コマ一日に取れたのだが、札がバンバン飛んでいく。少しでも間違うとすぐに点数がつきて不合格を食らう。
しかも20年近く前のことなのだから当然なのだが、当時免許はマニュアルで取るのが普通だった。オートマ限定はよほど運転の苦手な女子くらいのもので、普通免許といえばマニュアルであった。
クラッチである。何度アレのやり方が上手くできずかっくんさせたことであろうか。
運転に関しても非常にヘタクソで、注意散漫で、何度もブレーキを使われ止められた。
正直、もう免許取るのやめようかなと思ったのも一度や二度ではない。
しかし、もうここまで入ってしまった沼ならば、浸かるしかないのだ。
結局私は卒検に3回失敗し、免許場での検定も2回落ちたが、その後三度目の正直でやっと免許が取れた。
その後実家に帰り、実家の車で車に乗ったが、教習車と勝手が違うので、乗ったのは手の指で数えるほど。

そしてその日はやってきた。
従弟が死んだ。交通事故で。二十歳だった。
車が好きな子だった。ウチに来て、そして隣の隣の市の家に帰る途中のことだった。夜だった。酒気はなかったらしいが、おそらく睡魔が彼を襲ったのだろう。
その日に限って、かれはシートベルトをしていなかった、らしい。
電柱にぶつかった、らしい。
死に際のかれの顔は、覆われた頭部以外は非常に綺麗なものだった、らしい。
葬式にはもちろん出たが、当時鬱状態で実家に帰っていた私は、たくさんの若い子たちが従弟の死を嘆いていたのを見て、こんなに嘆かれる子が死んでしまったというのに、私なんかが生きているのは罪深い、と思ったのを覚えている。
車は恐ろしい。
車は怖い。
自分を傷つけるのも、誰かを傷つけるのも怖い。
そう思って私は車の運転をやめた。

それから15年ほどが経ち、りっぱなゴールデンペーパードライバーができあがった。ゴールド免許なので講習も短く、保険料も安い。
ちょっとお高い身分証明証として免許証はとても役立つ。
車の運転が上手い両親、長距離の運転も苦も無くこなす兄弟と近くに住んでいて、自分はもう一生車を運転することはないだろうなと思って暮らしてきた。
しかしコロナ禍の中で、家族が次々と倒れて買い出しなどに行くときに、私は自転車に乗るしかなかった。スーパーマーケットはさして遠くないところにあるとはいえ、自転車では心もとなかった。
非力で、無力だ。
如何に自分が人の役に立たないかを実感させられた。
それから、軽自動車でいいから、自分の車を買おう。そして運転しよう。
そう決心した。

すぐに申し込んだが、納車は4,5ヶ月待った。
車がやってきたのは今年の一月だ。
その間にペーパードライバー講習を申し込んだが、あれ、学校にとってはうまみがないのか、あんまりやってないんですね。数回行ってみたが、毎回違う人で一時間だけでは上達とは言いがたかった。
仕方ないので車が来てから自分の車でやってくれる派遣会社を探して、そこで9時間ほどみっちりやってもらった。
ふしぎな気分だった。
あれだけ苦労した運転なのに、どうにかこうにか乗れるようになっている。
運転技術的にも、判断能力的にもまだまだだけれど。
(もちろんマニュアル車ではなく、オートマ車だからだというのもある)
まだ高速には乗れないけど、私は自分で生きたいところに行けるようになった。
いままで、電車で行けるところ、バスで行けるところ、家族が連れて行ってくれるところ、友達がつれていってくれるところにしか行けなかった私は、井戸に閉じ込められた蛙のようなものだった。
そこを這い出てみた空は青く、広い。
まだまだだけれども、私はいつかこの車と旅に出ようと思う。
本当に、車を、買ってよかった。
でもまだ、若葉マークは外さずにいよう。

#買ってよかったもの

この記事が参加している募集

買ってよかったもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?