見出し画像

コロナ禍明けに動き出した歴史の歯車。~我が家のファミリーヒストリー~

はじめに・・・2023年に自身でゼロから整理した「我が家のファミリーヒストリー」が出来上がるまでの話について、何がキッカケで調査を始めたか、どうやって調査したか。そして自分で家系図を作成したい方のための調査時の注意点など、数回に分けて時系列にお伝えしたいと思います。自身の家系のルーツを調べたい方のお役に立つと嬉しいです。

コロナ禍明けの一時帰国で感じた両親の状況

私は仕事の関係で約20年間、中国上海を拠点に生活をしています。

2023年6月。4年ぶりにコロナ禍が収束した上海から地元九州の路線が再就航となり、しばらく会えていなかった両親が住む実家に10日間ほど一時帰国しました。

この一時帰国が「我が家のファミリーヒストリー」を紐解くキッカケに繋がっていくとは、九州に降り立った時には想像していませんでした。

4年ぶりに玄関を入って気がついたのは両親の「老い」の進行でした。

まだまだ見た目は元気そうな両親。そうは言っても後期高齢者。
以前より記憶力が弱くなっていたり、歩きが少し遅くなったり多少の変化が見受けられました。

4年ぶりだからこそ、二人の変化が私には大きく映ってしまったのです。

そして父本人から聞いた「病気」の話。

加齢と治療の甲斐もあり進行は遅く緊急を要しないという話だったのですが、病気の話を聞いてスグに頭に浮かんだのは、コロナ禍前の父からの相談事でした。

父は「自身の父。私の祖父が戦死した中国の訪問」を希望していました。

父の相談事を叶えようと始まった我が家の歴史探索

訪問理由は私の祖父が戦死した場所が中国だったそうで、
父自身の目でどんな場所で亡くなったのか一度は見てみたかったそうです。

そして孫の私が縁あって中国に住んでいるので、私がアテンドとして祖父が亡くなった場所へ、父のきょうだい達と供養を兼ねた訪問を希望していたのです。

相談を受けた当時、戦死した場所は「吉林省」と聞いたものの、それ以上の詳細な情報を父が覚えていませんでした。

そして、きょうだいでの訪中となると、英語も中国語も分からない父や叔父、叔母のために、私が日中間の往復のためのアテンドも必須になりそうでした。

また九州から上海、吉林、そして特定箇所への移動を考えると親族の体力面、訪問に必要な費用面など正直現実的ではないと考え、話はそのまま断ち切れの状態となっていました。

現在、病気とは言え何ら変わらない父。ただ、いつまで元気なのか分からない。そんな事を思いながら考えついた一つの結論は、「父や親族の代わりに私が現地訪問して供養ができないか?」という解決策でした。

私の思いつきが我が家の家族史の歯車が動き出す瞬間になったのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?