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歴史的思考が紡ぐコロナ後の世界~ジャック・アタリ『命の経済』

世界は、「命の経済」を早急に駆動させなければならない。現代ヨーロッパを代表する知性はそう叫ぶ。

2020年に始まった世界規模のパンデミックは、現代社会が抱える構造的なもろさを白日の下にさらした。日常が死の恐怖に取り囲まれるという近年ではまれに見る状況をきっかけとして、われわれの持つ経済システムを大きく方向転換していかなければならないと、著者は迫る。

問題とされているのは、「国家権力」と「資本主義」、そして「人民の自由」の三者の間に元来あった複雑で動的な緊張関係であり、パンデミックが生み出しつつある三者のまったく新しい均衡状態において国や国家がどう考え振る舞うべきかについてである。

それらを解き明かしていくために、本書ではまず「疫病の人類史」に光が当たっていく。

疫病との共存史

人類が鍬を手に取り農耕をはじめるのとほとんど同時に、集落が生まれた。人が集まって暮らすということ、それは現代でいう濃厚接触の誕生でもあった。家畜から人へ、人から人へ病気が伝染するようになる。人間と疫病の長く悲惨な共在の歴史は、「共同体」という発明品の誕生と時を同じくして始まっていたのだ。

著者は、人類と疫病の関係の変化を大きな歴史の中に位置付け、時代を追って丁寧に追跡していく。

疫病は生者を死者へと変えていくことで社会を揺り動かしてきたが、それと同時に、疫病に立ち向かう「権威」を生むことで、歴史に影響を与えてきたという。

古代ギリシアのアテナイでは、住民の1/3を葬ったチフスが民主政をも壊滅させた。その機に乗じて力を増した三十人政権による圧政が数千人のアテナイ人殺戮へとつながっていく。古代ローマも疫病に倒れ、大規模感染を抑えられなかったキリスト教が徐々に信用を失う過程で世俗化とともに近代が始まった。ペストを鎮圧したフランス王国が手にしたのは、歴史上全く新しい形での大々的な国民管理の権威である。人民の上に絶対的に君臨する近代的な「国家」が、現れてくる。

このようにパンデミックの歴史を眺めると、そこでは常に治安当局や支配権力が力を強め、大衆を管理する社会が繰り返し登場していることが分かる。

疫病が自由を弄ぶ

本書で繰り返し示されているのは、われわれが日々謳歌していると感じている「自由」が、人間ひとりひとりの自然権として生まれながらに保証されてきたものでは決して無く、固有の時代状況に応じた社会的なものにすぎないということだ。

時の支配者がそれを尊ぶかどうかは偶運に左右され、またある場合には、人民の集合的な無意識がそうした抑圧に加担する。自由は伸びもすれば縮みもする。軍事力に支えられた政権によってであれ、有事の国民感情に便乗した利口な政府によってであれ、いとも簡単に制限されてしまう不安定な土台の上に、われわれが日々謳歌していると感じている暮らしのひとつひとつの選択がある。

中でも、共同体の全体が命の危機に晒されたときほどに、人々が自分や隣人の行動に自信が持てなくなるときはない。マスクをつけていない通行人を見るたびに憎悪の感が首をもたげ、旅行で他所へと感染を広めた人を激しく糾弾する。こうした激しい攻撃性は、ここ数年、そこかしこでごく当たり前に観察される日常的な光景となった。

平時の寛容さは、全方位的な不信へと取って替わる。人民が国家にあらゆる管理を委ねたくなるのは、そういうときである。

民衆の不安な精神状態と、その機を逃すまいと跋扈する政府の動きを、アタリは強く危惧している。

自由が持つ危うさへの不安、怖さ。いっとき、それを手放して得られるかもしれない安堵。守り、かくまってくれる「父」としての国家。そこになびいてゆく世論の傾きの積み重ねが、長い年月を経る中で目を覆うような悲劇を生んできたとは、過去に暗黒の淵に沈んでいった幾多の社会が雄弁に語っててきたことであった。

正しい歴史認識を手すりにして、不安から顔を背けることをせず、今後数十年の未来に思いを馳せながら、危うい自由を我が身にいま一度引きつけなければならない。ほんの少しの自由の外部への委託にも、最大限の注意を払わなければならない。

こうした事情を踏まえ、個人が、国家が、世界的感染病にどう相対していくべきか。これが本書のまずひとつのテーマである。

効用としての命

国家/世界レベルでの感染症との戦いにも、注意が払われなければならない。ここにもまた、人類が対処しなければならない構造的な問題が横たわっている。

自由放任主義レッセフェール的な資本主義は、ながらく外部不経済、共有地の悲劇などの問題を抱えたまま社会を動かしてきた。資本のシステムは、利害関係者の経済的利益に短期的/直接的に還元しにくい定性的な効用を、或いは市場の外部にある(と容易にみなしても当座の問題が生じない)ものを、うまく認識できない。

ここにおいて、パンデミックを契機にしてあらわになったもう一つの問題は、「「命」の価値を経済にいかに組み込むか」というものである。

これまで疎かにされていた、経済の本当に必要な部門への投資。アタリは、今回のパンデミックを通して、他者/他国の健康への投資の重要性に世界は気づくべきと言う。

動物由来の感染症ウイルスの近年での急激な増加、グローバルな人の移動や物流網の拡大などにより、世界的な感染病の流行は今後も不可避である。それを前提に考えれば、途上国の公衆衛生への投資は、先進国にとってもはや他人事として済ませられるものではなくなってくる。

制度的でバーチャルなつながりでなく、リアルで物的なつながりが張り巡らされた現代のグローバリゼーションにおいて、彼我の貧富の差はある程度までは先進国が生み出したものであり、その意味で先進国に支援の義務があった。その理路のもとで、ODAなどの制度が運用されていた。

しかし今後は、と著者は言う。支援の義務ではなく、それを自らの利益(健康)のためにする他者へ投資という合理的判断へ昇華しなければならない。本書のタイトル通り、経済に組み込まれた形での命の判断が必要なのである。

命と自由

本書では明確に論じられてはいないが、ここにおいて前述の自由もまた、命の経済の問題と複雑な形で混ざり合っていくことになる。

パンデミックに際して、急にわれわれの目の前に突きつけられた課題は、「社会を生きながらえさせるために自己の自由を律する義務」と「個人が自由に死のリスクを取れる権利」とのせめぎあいであった。

感染爆発を防ぎたいが自分の店を閉めると首が回らなくなる飲食店経営者がごまんといる社会では、他者の命と自己の命、自由と義務、権利と責任といういくつもの天秤が複雑に絡まりあって振れている。

このような非常に込み入っていて判断が難しい倫理問題が、観念的な机上の議論ではなく、個別具体的な明日の生活のことがらとして、世界中の食卓で真剣に議論せざるを得ないテーマとして問われたのだった。世間的にも議論が百出し、さまざまな断絶を生んだことは記憶に新しい。


命の"経済化"?

本書は、具体的な政策提言の本ではない。歴史を紐解き、豊富な事例をもとに「命の経済」という新たなコンセプトへの視点の転換を迫るものだ。

過去の事例を丁寧につなげて解釈していきながら、現在の我々の立ち位置と今後の展望をクリアに論じている著者の理路に触れるとき、読者は歴史的思考というもののアクチュアルで活き活きとした用例を学ぶ

それぞれ緻密とは言えないまでも史実を押さえてバランスが取れた論考と、明快で説得性のあるコンセプトの打ち出し。国家規模でのコロナ対策の提言と未来予想に関する部分は今振り返ると正誤半々という感じではあるが、本書が2020年半ばに書かれたという点を加味すると、優れた予測といって差し支えないだろう。


他方で、速報性を重視して駆け足で出版したであろう本書、肝心の「命の経済」の明確な定義や施策の具体化などもっともっと突っ込んで論じてほしい箇所が多々残り、尻切れ感は否めない。

或いは、『資本主義リアリズム』のマーク・フィッシャーが存命なら、本書のタイトルを見た瞬間に嘆息するだろう。命と経済成長が根源的に相容れないものとは思いもつかないといった調子で語られる本書は、後期資本主義に頭まで浸かった「不安で、思いやりのある賢い買い物客」のモチーフど真ん中を意図せずに捉えてはいるのだ。

フェアな投資の促進がほんとうにそれ自体で格差や感染症を止める力を持つかどうか、本腰を入れて論じられていないとは先に述べた通りだが、そもそもそれ以前に、市場と国家型資本主義に命を委ねるという枠組みが既存の制度と価値観をほとんど超え出ていないという批判は的外れではないだろう。筆者の記憶が確かなら、若き日のアタリは、アンチ市場主義の名うての論客だったはずだが。

コロナ禍でもすでに多く見られたような、命を確率統計的な分布値として効率管理の下に回していく姿勢が、「死」を単に忌み物として隠蔽する文化的貧困へ帰着するのは想像に難くないのだし、そうした姿勢は医療”市場”ととても相性がいいのだ。「それ以外にはありそうもないもの」としてのマスク着用、ワクチン接種、治療、そして死。さらなる人間疎外の深淵へようこそ。


ただし、そうした圧倒的"リアル"を前に無力感に屈してしまわずに、なんとか踏みとどまって目の前の事象を鋭く眺める目つきを養うために、本書でのアタリのように歴史の古層を召喚し舐め尽くすつくす思考がなお必要不可欠でもあると感じる。第四章での死の文明論―死は隠され、予見不能な死は忌避されるようになった―に見られるような、ポストモダン的言説のみを追っていても気づきにくい素朴な歴史的文化的「生」の次元への眼差しもいくつもあった。方法論的に、本書は良書である。

資本制度以前の文化の豊かな意味を汲んでいくアタリの視点は、パンデミックを経て一層膠着極まった現代の、ひとつの脱出口となるかもしれない。

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