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トゥルゲーネフ『初恋』

穏やかじゃない。とてもザワザワする。

心のなかにひやりとするものを感じ、あの日の思い出がいや〜な空気をまとって思い出される。

本書の場面設定は、こうである。

男友達が何人かで集まり、酒を飲んでいる。それぞれの恋バナを披露しているうちに、ある一人が「俺の初恋はすごかったんだけどさ」と意味深に前置いて、滔々と語り出す。

ここまでは、ひじょーによくある話。ただ、まるまる一冊が回想録として語られる本書は、ここからいきなりフルスロットルで、狂った世界に突入していく。

青年は、新たに越してきた隣人の娘に恋をするのだが、この娘がすごかった。20そこそこにも関わらず、人を魅了してやまない魔性の女、そして超ドSだった。

青年からおじさんまで、それぞれが赤の他人である男数名を自室に招集し、男全員がほとんどただ命令を聞くだけの非対称な王様ゲームに興じている。その場にいる全員この美女のことが好きで、娘の方もそれを十分わかった上で、圧倒的にマウントを取り、圧倒的に力を振るう。物理的な力も含めて、である。

経験もなく素朴な青年に、この淫靡で狂気うずまく世界から逃れるすべを知る由もない。他の男達同様に、自分に気があるんじゃないかと期待に胸を膨らませたり、そのすぐあとに突き放されて絶望したり、翻弄され振り回される。


そうした歪んだ青春にも一応の幕引きがなされるわけだが、その仕方もかなり狂気じみていて、主人公がその中で育ち培ってきた世界観がガラガラと音を立てて崩れ去るような展開が最終盤まで続いていく。

愛していたものの弱さ、信じていたものの背徳。恋愛という「他者」とのセンセーショナルな出会いの局面で、その他者の絶対性がいとも簡単に引き裂かれ、心の交通の可能性が全方位的に引き裂かれる。

人の心はわからない。相手のことを必死でわかろうとし、どこまでも手繰り寄せようと試みるのが恋愛であるなら、そこに常にまったくの理解不可能性が存在していることを最も切に感じられるのは、想いが通じなかったときよりも、それが自分の知らない裏側で、まったく別様な仕方で崩壊していたときである。

本書は、この「他者」への信心を崩す構造がとても巧妙に仕組まれていて、初恋の青春談話みたいな装いで油断していた読者にそれを思いっきりぶつけてくる、穏やかでない作品である。


他者の理解不可能性は、あの時のキレイな思い出を「実は自分が知らないだけで全然キレイじゃなかったものとしても思い出せる」可能性をつねに開いていて、それゆえ読者は、心のなかで嫌な汗をかく。

倒錯的で珍奇な作り話だったはずのものが、気づけば読み手の身近に迫って普遍性を声高に要求する。「お前のあの時の恋愛も、失恋も、実はそうであったかもしれない」と。

ジナイーダはぱっと振りむくと、両手を大きく広げて私の頭を抱きしめました。そして私に燃えるような熱いキスをしました。この長い別れのキスが探し求めていた相手はだれなのか、それは知る由もありません。でも私は、その甘さをむさぼるように味わいました。そんなキスはもう二度とありえないことを知っていたからです。



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