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「まちがえる世界」に生きていることを忘れている。

注文を間違えたとき、「注文した料理と全然違うのきたぞゴラァァァ!」ではなく「ま、いいか」で成り立つレストラン。

注文をまちがえる料理店。

思わず心から笑顔になれてしまうような素敵な動画。

本も読んだけど、お店で実際にあったエピソードがすてきすぎて、3回くらい泣きそうになった。

このレストランで働くのは、認知症の方々。もちろん、わざと注文を間違えているわけではない。一生懸命働いているのだが、認知症の症状により間違えてしまうことがある。

「注文を取りに来たけど、注文を取りに来たこと自体を忘れた」
「餃子を頼んだけど、ハンバーグが来た」

ふつうなら「もう来ません・・・」となってしまいそうなところ、来店者の90%以上が「またぜひ来店したい」とアンケートに回答したという。

来店しているのが「注文をまちがえる料理店」というお店のコンセプトを理解したお客さんであるとはいえ、なんてやさしい世界だろう、と思った。

そして、こんなやさしい世界の住人でありたい。

そう思った。



日本は「間違い」に厳しい社会だと思う。

教育課程において「ひとに迷惑をかけるな」が声高に叫ばれがちだし、学校においても家庭においても、ぼく自身おなじような教育方針のもとで育った。

この教育方針が間違っているとは思わない。

鼻の穴から「Z」が大量生産されるほどすやすやと快眠しているなか、「おまえギアの切り替え方ご存じねぇのか、コルァァァ!!」というほどにエンジンを吹かせて暴走族が走っているのを聞くと、金髪の戦士になれそうなくらい怒りを感じるし、

混んでいる電車のなか、2人分に相当する座席を大股ひろげて座っている    
やつを見ると、コナンくんのキック力増強シューズをお借りしてダイヤル目一杯まで上げた上で、大股の中心についてる2つのドラゴンボールが輝きを失うまでに股間を蹴り上げてやりたくなる。

「ひとに迷惑をかけるな」という教育方針は、このような世界をよりよくしていくためには必要だと思う。



ただ、実際には過剰解釈されがちであって、「失敗を許さない社会」を作り出す一因になっている。

おそらくバイトに入ったばかりであろう、レジを打つのに戸惑い、時間がかかっている店員さん。混雑した階段の先にいる、足が悪くて早く歩けない高齢の方。

こういう方々に、「ひとに迷惑をかけるな」というのは、あまりに優しくない。「あなた、修羅の国で育ったんですか?」と問いかけたくなる。

「わざとじゃなければひとに迷惑をかけてもいいよ。かわりに、迷惑をかけられたときには笑って許せるようにしようね」

こんな世界がいい。

イシダリアン共和国を建国したあかつきには、憲法第一条に刻み込んでおこう。きっと Love & Peace な世界が想像されるはずだ。



ただし、これはけっこうハードルが高い。

口でいう分にはかんたんなのである。詐欺師だって、口からでてくる言葉は Disney on Ice くらい滑らかで見事なものだ。

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