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#遍路01 呪縛からの解放。「すべき」から「したい」へ

「なんで焦っちゃってるんですかね?」

ちょっと前に友人に相談に乗ってもらった。8月いっぱいで仕事を辞め、仕事をせずに旅に出たり、家で時間を過ごす現状に対して、なんともいえぬ不安でいっぱいになっていたからだ。

言語化と分析が上手な友達が、現状の焦りから少しでも脱することができればと、力を借してくれた。

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友:「なんで焦っちゃってるんですかね?」

ぼく:「多分、今のぼくはまったく社会貢献できてないからだと思う。Giveができてない。それに今後の糧になるような活動ができてなくて、時間ばかり過ぎていることに焦ってるんだと思う」

友:「なるほど。じゃあ仮に今の状態が続いたとして、最悪の未来を想定するとそれってどんな未来?」

ぼく:「これがデフォルトになって、成長する意欲を無くし、投げやりになってしまうことかな。投げやりになると焦って『とりあえず就職しよう』みたいになってしまいそう。そうなると、就いた仕事をすぐ辞めてしまう可能性が高まるはず。結果として時間だけ使って何も成長できなかった、みたいな未来は最悪かな、、」

友:「失敗すると何かダメですか?」

ぼく:「多分、それって何も学んでなくて。これまでにも焦って選択をしたことはあるけど、うまく行った試しがない。なのにまた焦って就職を選択するって、何回同じ失敗するの?って話になる。前進してないし、貢献もできてない。」

友:「後退しているわけではなさそうですか?」

ぼく:「ぼくの成長レベルは変わってないから絶対指標としては後退してないと思うけど、時間が経ってるのに成長してないってことは、相対的には後退してるかも」

友:「なんでレベル上げが大事なの?」

ぼく「自分の理想とどんどんギャップができちゃうから。ぼくの理想として『かっこよくありたい』っていうのがあるんだけど、かっこいいの要素の一つに「社会貢献できてる」みたいなのがあって、、、

いろんな人への貢献度を上げるにはもっとレベル上げが必要なのに、レベルが低いままだと理想からどんどん離れてしまうじゃない?だからレベル上げを大事にしてるんだと思う。

それに市場価値で見た時に、年齢に応じた社会からの期待値があるから、その期待値を超えていけるようにレベル上げを大事に思ってるのかも」

友:「自分自身の存在価値は変わらないと思いますか?」

ぼく:「存在価値は変わらないと思う。どんな人にも存在価値はあるし、それは仕事ができるかできないか関係ない。存在価値自体が失われることはないと思う。

ただ、たとえば自分がチームを持っていて、年齢に応じたスキルを持ってない人を積極的にチームに迎えたいかというと迷うかも...。それだけの努力を避けてきたってことになると思うし、、」

友:「じゃあたとえば自チームのメンバーに年上の人がいたとして、その人に対してはどう思いますか?」

自分:「何にも思わない。実際これまでにもそういうことたくさんあったけど、学ばせてもらうことがすごく多かった」

友:「じゃあ別に年齢に応じた仕事の期待値みたいなのは、想像の中だけで、実際にはあまりないのかもね。

「すべき」と「したい」で比較した時、なるべくなら「したい」を優先できるようなれるといいかも。

もしかしたら、今は一般常識とか、人との比較に引っ張られていて、「すべき」によっちゃってるのかもしれない。

個人的に「すべき」でうまく行ったことはないし、「縛られたい」と「縛られている」は違うよ。「したい」で進んでいけるといいよね」

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コーチングをしてもらった内容をざっくり共有すると、このようになる。(実際には質問攻めではなく、クッション言葉挟みつつ優しくコーチングしてもらいました)

どうやらぼくは、ぼくの思う「すべき」に縛られていそうなことがわかった。

そしてその「すべき」は一般常識とか、誰かとの比較からくるもので、社会という他者評価に依存している。

他者評価に依存すると行動が自分軸(したい)じゃなくなり、他の人からの「いいね」をもらうために行動を選択するようになる。

twitterやInstagramの投稿みたいなものだ。マーケティングとしてはありかもしれないけど、人生の指針とするのはつらくなる。

他者評価の軸で生きるのは、「自分」ではなく「他人」の人生だからだ。

自分の人生を生きるためにも、「すべき」の呪縛を解いた方が良さそうだと思った。「したい」の軸で生きていきたいのだ、ぼくは。

とはいえ、これまでの人生で「すべき」でがんじがらめになった頭を「したい」に解放するのは簡単ではない。できるならとっくにやってる。

「どうしたらいいだろうか?」

「すべき」呪縛を解放するために考えついたのが、お遍路さんチャレンジだ。

空海師匠が歩んだ道に沿って、ただひたすら歩く。お寺に着いたら般若心経を無心で読み上げる。そしてまた次のお寺へ向かう。

これを何日も繰り返す。

そうしていくうちに、きっと少しは「したい」が強化されていくんじゃないかなと思った。

チャレンジ前には「そんなんいいからさっさと仕事しろ」と何度も「すべき」がプレッシャーをかけてきた。

まずはその「すべき」に打ち勝ち、「したい」の気持ちを優先してお遍路さんを歩いてみようと思う。

今回はすべてのお寺を回るのは難しそうだけど、回れるだけ回ってみる。

「すべき」の鎖がぐるぐる巻きになった脳みそを解放し、「したい」で生きていけるようになれたらいい。

この旅がそのきっかけになってくれることを願う。そして旅が終わったら、「すべき」ではなく「したい」で仕事を選べるようになってるといいな。

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自戒として最後にひとつだけ。

「したい」を軸に生きるのは、言い換えると「自由」を優先して生きるということ。自由の裏には「責任」が伴う。

そこは忘れちゃダメだと思う。

たとえば道が二手に分かれていて、ほとんどの人は右に行ったけど自分は左に行ったとする。

その道の先にどんなことがあるかわからないけど、起きたことがよかろうが悪かろうが、起きることはすべて道を選んだ自分の責任だ。

誰かに責任転嫁するようなことがあってはならない。

...って思ったけど、これも呪縛なのかなぁ、、、文章書き進めながらわかんなくなってしまった。

空海お師匠と歩きながら、考えてみよう。

ここまで読んでくれてありがとうございました。それではまた!

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