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「怒られて伸びるやつなんかいねぇよ!!」と全力で思っているお話

よく「褒められて伸びるタイプ」と「怒られて (叱られて) 伸びるタイプ」みたいな話がありますよね。

「俺は怒られたほうが『ちくしょう!』って思えるから伸びるぜ!」
「ぼくは叱られるのいやだから、褒めて伸ばして欲しいな…」

とまぁこんな感じで話が盛り上がるわけですけれど、もうここで断言します。

怒られて伸びるやつなんかいません。

100歩譲って、もしいたとします。そいつは褒められても伸びます。というかまわりから何をいわれても勝手に伸びます、きっと。

ここが今回特に言いたいところなんですけれど、とくに「教育」においてはぜったいに怒っちゃだめです。行動基準が「怒られる」or「怒られない」になってしまうからです。


怒られないように行動してしまう

ぼくの父はそりゃもう絵に描いたような「九州男児」でした。頭のてっぺんから足の爪先まで体全体で、戸愚呂(弟) もびっくりするぐらい、100%中の100%の九州男児でした。

もちろんたまに優しいところとかもありましたし、何不自由することなく育ててもらって、そりゃあもう筆舌に尽くし難いほどの感謝はしているのですが、印象的には父と一緒にいる時間の「95%」ぐらいは怒られてました。

ほんとなにしても怒られちゃうんです。

部屋が少しでも汚いと「さっさと片付けろ!」と怒られます。

テレビを見ながらご飯を食べてると、テーブルが地面にめり込んでブラジルまでいくんじゃねぇの?って勢いで「ばんっ!!」とたたき、「ごはんに集中しろ!」と怒られます。(後日マンガ読みながらラーメン食べてる父をみました)

家の真横にある物置に向かってボールを投げて遊んでいると「うるせぇ!」といわれて怒られます。

小学校低学年のとき、あそびにきた友達が2段ベッドからジャンプして遊んでおり、「そんなどんどんしたらお父さんに怒られちゃうからやめてあわわ」みたいになっていたら、友達が照明に頭をぶつけて照明を割るという想像の遥か上をいく事態を引き起こしてしまい、3時間、友達と二人で正座させられました。

これまた小学2年生くらいのとき、晩御飯を食べている途中、体調がわるくて吐きそうになり、トイレに向かうも間に合わず、畳で吐いてしまって死ぬほど怒られました。

もうほんとなるべく怒られたくなかったので、べつに「勉強しろ!」といわれたことはないんですけど、勉強だけはある程度がんばってました。勉強している間は怒られることが少なかったからです。

と思いきやある日、父が機嫌を損ねていたのか、「勉強さえやってりゃいいと思ってんじゃねぇぞ!」といわれ、怒られました。

喜怒哀楽のバランスまちがってるんちゃうかってくらいほぼ毎日怒られてました、ほんとに。

で、ここまで怒られると、子供はシンプルに怒られたくないので、「父に怒られないかどうか」というのが行動の判断基準になります。

これは行動の判断基準としてはめちゃくちゃまちがっています。

成果につながりにくいし、主体的に行動もできなくなるんです。

たとえば「甲子園にいきたい」という夢を持つ高校球児が、「どうやったら試合に勝ち続けられるか」ではなく「監督に怒られるかどうか」という判断基準で行動を決めちゃうと、行動がずれちゃう可能性が高い。

「監督が怒る基準」が「甲子園に行くための基準」とまったく一緒だったらまだいいかもしれません。それでも「主体的な行動」はなくなります。

勝手に行動すると怒られるかもしれないからです。

こどものときに染み付いてしまった「怒られるのが嫌すぎるから怒られないように行動する」というこの刷り込みは、大人になってもかなり抜けにくいんです。

上司の目を気にするようになったり、同期や部下から「嫌われないように」行動を選択しがち。

これ、めちゃくちゃかっこわるいですよね。

こどものときにどんな教育を受けていようが、「おとなになったらすべて自己責任」と思ってる派なので、なんとか勇気を出して少しずつ変えてはいますが、それでもまだ完全に抜けきっておらず、やっぱりちょっと苦労しています。



「怒り」は受け継がれてしまう

「怒って育てる」が誤った行動基準を植え付けてしまうのもかなりまずいんですが、おなじくらいまずいのが「怒って育てる」が伝染してしまうこと。

これめちゃくちゃ不思議なんですが、怒られて育てられると「怒られる」ってことがネガティブな体験だというのがよくわかるので、反面教師にして「自分は怒らないようにしよう」ってなりそうじゃないですか?

でもそうじゃないんです。自分も「怒る」に感情が向いてしまいがちになっちゃうんですよ。

よく聞く「虐待されて育った人は、大人になると虐待する側になる」と同じ理論だと思うんですが、たぶん「支配欲」的なのがついてしまうんだと思います。

これまで支配されてきただけに、支配されるのがいやすぎて、支配する側にまわろうとしてしまう。で、支配するための手段として「怒る」を選択する、みたいなロジックになるんじゃないかと。

実際、友達や過去にお付き合いしていた彼女とかに対して「怒る」ってことをすごい多用してしまった経験があります。いまはすーごい気をつけていますが、過去の自分を思い返すと、なんかもうなんともいえない気持ちになってしまったりします。


というわけで

「怒る」っていうのは基本的に最悪の手段なんで、ぜったいやっちゃダメです。

「状況によってはあり!」みたいな意見もありますが、スペシャルハイパーミラクル信頼関係が成り立ってる間柄ぐらいではじめて手段としてありかも?ぐらいです。

たっちゃんとみなみちゃんの間柄ぐらいで、なんとか、、、みたいなレベルなので、それぐらいの信頼関係がないなら怒らないでください。

自分にとっても、相手にとっても感情任せに怒っていいことはひとつもないので。

まぁとはいえ人間なんで、どうしても怒っちゃうことはありますけどね。そのときは「ごめんね」でいいと思います。

大事なのは、かんたんに「怒る」っていう手段をとっちゃダメだよってこと。

最高レベルの「愛」を持って育てることができれば、たぶんかんたんに「怒る」っていう手段は取らなくなると思いますし、育てられた側も「愛」をもって育てるようになると思うので、それが一番じゃないかなぁ。


P.S.
父の名誉のために言っておきますが、たまーに優しいところもありましたし、愛を感じたこともありました。父よ、あしからず。。

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