【嫌われる勇気】「自分のタスク」と「相手のタスク」を分けること。
「これは本当に自分がやるべきことだろうか?」
最近、なにか行動を起こすときには、常にこの問を自分に投げかけるようにしています。
「自分のタスク」かどうか判断することで、「やるべきこと / やらなくていいこと」が理解しやすくなりました。
このあたりを理解できていると、わけのわからないストレスに悩まされることが圧倒的に減るので、結構オススメです。
「自分のタスク」「相手のタスク」とは?
たとえば、自分の子どもにたいして、親がよく「勉強をしなさい!」といったりしますよね。
これは、イケてない例のひとつです。
「相手のタスク」に首を突っ込んでしまっています。
子どもの勉強において、「親のタスク」は学習環境を整えることだと思っていて、「学習環境を整える」とは、たとえば以下のようなこと。
・鉛筆や消しゴムを買ってあげる
・静かな勉強部屋を用意する
・質問がきたら一緒に考えてあげる
「勉強を頑張るかどうか」は、子どもが決めることであって、「子どものタスク」です。
そこに親が口をつっこむべきではないかなぁと思っています。
どうしても子どもに勉強して欲しいと思うのなら、勉強をした方がいいと思う理由を伝えてあげるぐらいはしてもいいかもしれません。
勉強をすることの「メリット」と、勉強をしないまま大人になったときの「デメリット (リスク)」を共有してあげる。
絶対に忘れちゃいけないのは、「勉強するかどうか」の最終的な判断は「子ども自身」に選択してもらうこと。
これが「タスクを分ける」という意味です。
相手のタスクに首をつっこんでもいいことはない
ありがたいことに、ボクは親から「勉強しろ!」といわれたことは、ただの1度もありません。
でももし、「勉強しろ!」と、ことあるごとに言われていたとしたら、
「そんなのボクが決めることでしょ?うるさいなぁ...」
と思っていたことでしょう。反発心から、勉強なんてほとんどやってこなかった可能性も大いにあります。
「相手のタスク」に首をつっこむことは、まさに「余計なお世話」になってしまいかねません。
「余計なお世話」は「自分の都合や考え方を相手に強制すること」大sと思っていて、いいことなんかひとつもないと思ってます。
いますぐやめたほうがいいです。
「タスクわけ」は仕事も一緒
「タスクを分ける」というのは、子どもの勉強だけに限らず、あらゆることに通ずると思っています。
たとえば、社会人であれば、「仕事」も同じようなもの。
もしあなたが上司なら、部下の仕事にあれこれ口を挟むのはあまり得策じゃないかもしれなくて、部下が成長できる環境づくりにフォーカスした方が部下にとってはずっとありがたいかもしれません。
相手も立派な思考力を持つ、ひとりの「ひと」です。
こちらにやれることだけやる、どうするかは相手に任せる。
「部下が成長しやすい環境づくりのために、自分に何ができるだろうか?」だけに力を入れた方が、ボクは素敵だと思います。
うまくいっても失敗しても、相手の責任
少し冷たいかもしれませんが、「相手のタスク」を「相手がやらない」ことの責任は、相手が負うべきことです。
「勉強を頑張らなかった」
その結果、将来自分のやりたい仕事ができなかったとしても、「それは勉強しなかったあなたが悪いでしょ」でいいと思います。
「仕事を頑張らなかった」
も一緒です。
頑張らずして「リストラ」にあったり、やりたくない仕事ばかりしないといけない、いたくもない会社にしがみつかなきゃいけない、などの結果がついてまわったとしても、文句をいっちゃダメ。
それがいやなら頑張ればよかっただけの話なんですから。
「タスクを分けること」で人は自立する
タスクを分けることのメリットは、自分がやるべきことが明確になり、不要なストレスが減ることだけではありません。
相手の「自立」を促すことにもつながります。
相手への「敬意」をもち、相手を「信頼」して、相手のやるべきことは相手に「判断」してもらい、出た結果の「責任」は相手に負ってもらう
相手が子どもだろうが、部下だろうが、同僚だろうが、親だろうが、友達だろうが、パートナーだろうが同じこと。
「これは本当に自分がやるべきことなのかな?」
よければ常にこの問いを持って生活してみてください。
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