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「価値観の押しつけにならないように気をつけないとなぁ」というお話。

「ぜったいにやめといた方がいいよっ!」
「ぜったいやった方がいいよっ!」

こういう言葉は、けっこう気をつけて使った方がいいなと感じています。

「自分の価値観の押しつけ」になりやすいから、です。

「良い」「悪い」は、基本的に自分の価値観に基づいて決まります。

たとえば、すごく面白いと思うマンガを見つけたとしますよね。

そのマンガを友達に、「めちゃくちゃ面白いからぜったい読んだ方がいいよっ!」とオススメしても、友達もおなじように面白いと思ってくれるかどうかは別の話。

「自分」と「友達」では、「価値観」が違うからです。


「相手が決める」を忘れると・・・

なにをいったとしても、最終的に決めるのは「相手」なので、それを理解したうえで意見を伝えるのならいいのですけれど、逆に「相手が決める」を忘れちゃうとちょっと危険です。

「相手を理解しようとする力」が衰えてしまいます。

さきほどの「マンガ」の例でいうと、自分はめちゃくちゃ面白いと思ったから良かれと思ってすすめているのに、時間がなくて相手が読めなかったとします。

すると、

「なんで読まないの?」

とか、読んだけど「ボクはあまり好きじゃないかな」といわれると、

「あれ読んで面白いと思えないなんてどうかしてるでしょ」

とか、内心こう思ってしまう可能性が高まると思うんですね。

つまり、「相手を理解しようとする力が衰える」結果になってしまいます。


成長がストップする

「理解できないことや、理解できない人がいるのは事実だし、別にそれでいいでしょ」

これもひとつの意見だと思うんですが、個人的には「相手を理解しようとする力」はなるべく高めた方がいいと思っています。

「成長がストップ」してしまうので。

ひとは、多くの人とのコミュニケーションの中で成長していきます。

これは、いろいろな価値観に触れることで、「そんな考え方もあるのか」と「視野」が広まったり、「視点」が高まったりするからです。

「相手を理解しようとする力」が衰えると、ほかの視点から物事を考えることが難しくなります。

ひとの価値観を受け入れなくなるから、結果として成長が鈍化する。

ちょっともったいないなぁ、というのがボクの考えです。


まとめ

「やる」か「やらない」かは、相手が決めること

なにかを「オススメ」したり、逆に「注意」や「警告」するときは、ここを忘れないようにしましょう。

決めるのは、あくまで相手。

「身近なひと」や「大切なひと」ほど、特に注意が必要で、喜んでほしかったり、悲しんでほしくないからこそあれこれいっちゃいがちなのですけれど、本当に大切なら相手の意思を尊重することは忘れちゃダメですね。

「多様性」、「敬意」

このあたりの言葉は、これからの時代ますます重要になってきそうです。

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