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耳新しいはなしはヒトに半分伝わればいいほうかもしれない 「伝言ゲーム」のリスク


はじめに

 むかし小学生のころ、クラスでやったあそび。伝言ゲームと言葉あそび。「だれが」「どこで」「なにをした」。

いずれもことばをつかったあそび。なかなか奇想天外でぐうぜん生じる意表をつくことばが真をついていて。

でも、そこにはふだんわたしたちがくらし、言葉によるコミュニケーションをするうえでだいじなことがあると思えてきた。

まずは伝言ゲーム

 伝言ゲームはいろいろなやり方がありそうだが、ここでは適当に選んだ文章をまずおぼえて、つぎにつたえる。聞いたヒトがつぎへとクラスメイトに伝えていくやり方。

そして最後のヒトが発表。どのくらいもとの情報が正確につたわったか、あるいは変化したかを伝言途中のやりとりともどもたのしむあそび。長い文章をつたえようとするとなかなかもどかしくうまくいかないもの。

もとの用意された文章をおぼえてつぎのヒトへ。おぼえるだけでも難渋するが、さらに聞き手につたえるにはかべが。相手はなかなか理解してくれない。くりかえし反復確認しながらOKといい、第3者へ。するとおぼえていたはずのことばが脱落したりおきかわったり。これをはたから聞いているとなかなかおもしろい。

そして言葉遊び

 こちらも実際にわたしが主宰する学習サポートでこどもたちとよくやるあそび。
①「だれが」
②「どこで」
③「なにをした」
①~③のそれぞれを紙片に各自がひとつずつかく。これをクラス全体であつめて①から③をそれぞれシャッフルする。そして各自へ①~③を1まいずつくばる。ふつうはほかのヒトが書いたものが手もとへ。

それを①➡②➡③とよみあげていく。たいてい意表をついた文章ができあがる。妙味は意外性。クラスがどっとわく。コントやお笑いのネタにつうじるかな。いわばボケとツッコミのうち「ボケ」の自然発生。

またやろうとこどもたちがもっとふだをふやそうとか、①に「だれと」をふやそうとか新たな提案がでる。どんなふうに書いたらおもしろくなりそうか、「どこで」をくふうするとか。文の基本要素をつかめるし、なかなかもりあがる授業。

ところが

 このふたつのあそび。どちらももりあがる。そして「ああ、おもしろかった。」でおしまい。

でもかんがえてみてほしい。これ、わたしたちのはたらく現場でやってしまったら。「伝言ゲーム」のもうひとつの意味は根が深い。

出どころの過去のメールや録音をたどっての責任追及など、さきほどの遊びと正反対の、胃に穴のあきそうな状況に陥りかねない。けっきょく何がいいたいかというと、ヒトにあらたなことがらを伝えようとすると言葉だけでは半分も正確につたわらない可能性があるということ。

これは言葉だけでなくメールとておなじ。もともと相手が誤解しないようにことばをえらんで打つのは至難のわざ。ちいさな誤解がおおきな亀裂になりかねない。

それでじかに会って、おなじ内容であっても早合点しないでなんどもことばのやりとりをくりかえす。言いかたをかえたり、表現をおぎなったり。これでやっと8割かな。100%にするなんてまどろっこしくとてもたいへん。

ある種の会議ってこのためにやるんだな、きっと。「あいさつ」とか「顔合わせ」だけでないかも。

目の前にしあがった文章ですら、まだまだあとになってすりあわせが充分でないことが露呈したりもとにもどったりしがち。

おわりに

 伝言ゲームはわたしたちの生活のなかでごくふつうにやりがち。でもそのあいまいさのなかでどうにかこうにか、つじつまをあわせる。

誤解されそうだなと一瞬でも不安がちらついたら、気をきかせてさらなる確認の1報を


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