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けっきょくのところ、もちがよいのはしっかりした木でつくられた製品だった


はじめに

 ひっこしをするにあたり、持っていく、処分する、保留のモノにわけている。保留の裁定は1週間ほどのち。そののちに結論がでなければ捨てる。

これでなんとかなりそう。選別の結果、もちがよくて持っていくものは何でつくられたものが多かったか。

きょうはそんな話。

持ちモノ検査

 ながく生きるとモノがたまる。どちらかというと物質にまわりを囲まれていると安心するほうらしい。ひさびさのひっこしであきらかになりつつある。

たしかに4畳半ひとまの学生時代は快適だった。へやのまんなかにいると手をのばしてほんの半歩か一歩でほとんどのものに触れられた。しかも見わたせば、ほしいものは身のまわり四方にある。ズボラなわたしにとっては安心感につつまれる理想の空間。

それがどうだろう。長年のゆめだったマイホームを建てた。両親と2世帯で住もうと話して建てはじめたにもかかわらず、途中でふたりはきもちが変わり、けっきょくとなりにはなれて住むことに。

新築なったわが家はただただ広い。これは想定外。「ものにかこまれてすごす」という理想をかなえるには4畳半どころではないだけの空間。それをうめるには何倍とためこまなければならない。忠実に実践しようとしたところ…。

ごみをカウント

 まわりをぬくぬくとした必需品?にかこまれてすごす。まさに木のむろに食料となる木の実などをたんまりためこみ、ぬくぬくといごこちのよい巣に住まうかのよう。それが理想のかたち。まさにそれを忠実に再現しようとした。するとどうなったか。今回のひっこしの機会にそれが露呈。なんとその多くはこわれかけた物品ばかり。

その材質はさまざま。ひっこしにともない分別しないとならなくなった。もっていくさきは賃貸でまちがいなくせまくなる。それ自体はなんら心配していない。せまくなると息ぐるしくなるわけではないし、ズボラな点からはむしろ歓迎したい。

世のなかはこの数十年のあいだに急速に捨てるよりもリユースやリサイクル、ごみをだすにもこまかく分別するのが常識と相なった。これらの結果、ぜんぶはもっていけない。おゆずりするものをべつとして「持っていく、処分する、保留のモノ」にわけざるをえない。

するとわが持ちものの多くは上に述べたように古ぼけたもの、こわれかけたものが多い。金属のものはさびてうごきがわるい。プラスチック素材のものは長年あかるい場所でつかい黄ばんでいる。カーテンなど布製品はほつれたり色あせたり。

異彩をはなつもの

 みわたすかぎり古ぼけたものばかりとぼやいていた。わが身こそもっとも古ぼけたものであることは自明なのに、とうぜんのごとく「かやのそと」にしている。ところがである。あることに気づいた。朗報。「みっともない、捨てなきゃの連続だ。」とがっかりしていた矢先、あるものたちの存在に気づいた。

木製品。その多くはつかいつづけて、さまざまな古色とツヤを醸しだしている。木でできているものに関してはわたしなりにこだわりがある。ほかのものはそうでもないのに木だけはこだわり吟味してよりいいものをえらんだつもり。

そのかいあって家のなかで淘汰されるなかで残ってきた。頑丈でどれもとくべつなメンテナンスをしてないにもかかわらず、買った当初のつや消しがあめ色に変化。いいあじわいになりつつある。これは予想外。


つやけしからあめ色のつやが

どうもこの頑丈さは想定以上。おそらくおおげさでなく100年もたせられそう。

おわりに

 その安定の木製品。愛着もある。ぜひ連れていきたいのはヤマヤマだが、賃貸のスペースにはかぎりがある。惜しいものもありゆずれるものならばゆずりたい。

交渉の時間はかぎられているし、これらの行き先が気がかりに。

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