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これだけながく生きていて、ふとした場所であらたな情報に接するチャンスについて


はじめに

 研究パートのしごと場にむかうついでにこの文章をnoteにあげた。その途上、ふとエレベーターの目的階のボタンを押してななめ上に目をむけて気づいた。

そこには文字の列。おもわず目にして「へえ~」とおもわずつぶやいた。ささいな知らなかったこと。

きょうはそんな話。

職場にむかいながら

 朝はやく起きておもむろにnoteの記事を書く。記事をネット上にあげるタイミングはまちまち。時間があれば出勤まえ。まだ練れてないと思うときは車でラジオで英語の講座を聴きながらもうひとひねり。時間がないと始業前のじぶんのPCとネット環境で。

朝にめざめてうごきはじめのいちばんに思いつきそれをほぼテーマにする。たいてい起きてすぐのあたまのスイッチ(稼働までに時間がかかる)がはいりあたたまってくるぐらいでうかぶ。

PCをひらいて原稿用紙およそ3枚分。うかんでくるままを文字におこす作業。

そこに資料をくわえたり、助言を得たりはまずやらない。たまに辞書をひくぐらい。漢字をわすれたり、熟語の使いかたを確認する程度。読みなおしてもう一度手直ししてネット上へ。

あたまのなかを整理する

 文をつくる作業でじぶんのなかになにができるのか考えた。

いちばんは日常のささいなできごとをふくめて、ごちゃごちゃのあたまのなかをとりあえず身のまわりだけかたづける作業だろうか。なにもあたまのなかぜんたいをみわたすかぎりではなく、ほんの手をひろげたぐらい、とどく範囲だけ。そのごくちいさな作業で考えが整理できてうごきやすくなる。

ようやく表題へたどりついた。ふだんつかうエレベーター。いまだかつて見たことない内容が右上の表示画面に出た。「行き先階ボタンを停止中に2度押しすると取り消しできます」とのこと。

へえ~知らなかった。半世紀あまり生きていくたびとなくエレベーターを利用したけれど、こんなことができるとはまったくつゆ知らず。

世のなかにはこの機能にかぎらず、積極的に知ろうとする行動をともなわずしてぐうぜん得られる知識がある。たいていやりがちな失敗や不便だなとその場では思っても「まっ、いいか。」と自己解決の行動をおこすまでにいたらないまま。

おそらくは

 きっと、この機能をくわえた方は、行きさき階のボタンを押しまちがえてあらぬところへつれていかれて、これはよくないなんとかしようと行動を起こされたんだな、きっと。あるいは指摘されて、じゃあくわえようかとされたのかも。いずれにしてもそれはのちの方々にとっての福音となる。

ただしそれを知らないまま不便やめんどうをやりつづけている方もいるだろう。そこでわたしの見た表示がさらにくわえられ、見あげて画面の方向に目をむける(よく人々はエレベーター中ではななめうえのあらぬ方向を見あげがち)とこの表示に気づいて知識を得る。ぐうぜんの産物。

わたしたちは「エレベーターのつかいかた」と称するマニュアルなどわざわざ積極的に見ない。ぐうぜんの機会にたよるしかあらたな知識は増えないもの。

おわりに

 こうしたふとした行動にともない、あらたなメリットになる知識を得られるのはいい。しかもほかになにもしようがない空間内。この「空き時間」にあらたな知恵をつけるとはなかなかの発想。これも積もればそれなりの知識になっていく。

まだまだ知らないことだらけ。まさかエレベーターが教えてくれるなんて。世のなかの進歩と発想のゆたかさにつくづく感心するばかり。


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https://note.com/jin_kiyama/n/n91e46d3859ab


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