集落の長老の話はわたしのルーツの当時のくらしを想像するのにヒントになるかもしれない
はじめに
数日前にべつの話題のなかで先祖の話をちらりと。
はたして5代まえよりむかしの先祖たちがどんなくらしをしていたか。こちらに着目してみた。いまになってはだれひとりそれを知らない。そのもっともしぜんでてがかりとなりそうな話をじつはすこしまえに聞いていた。
きょうはそんな話。
ルーツをさぐる
みずからの父方の先祖をどこからきたのかについていろいろしらべた。わたしのひいじいさんが農業をしていたことは田畑のやりとりなどからわかっている。このことは先週記事に書いた。ところがそれ以前についてはこつぜんとしてなぞ。ぷっつりてがかりがない。興味をもち各地をたずねて歩かれた親類もいる。
いちばんのてがかりは姓。noteでつかっているのはHN。本名はべつ。その姓をてがかりにしらべた親類がいる。するとあるはなれた地域の字名に行きあたった。ここには字名を冠した城がある。その城跡は古跡として地元の歴史書などにあげられている。
城の名前にその場所の地名がついていたら、後世の方々が通称として呼んでいただけかもしれない。わたしの先祖、あるいはその場所になにか因むかどうか、関連するかどうかさえさだかでない。たまたま姓とおなじだっただけかもしれない。
しらべた親戚の方のはなしによると、そのあたり一帯は低い山々のふもとののどかな畑作地帯だったという。
姓の意味
そこで姓の漢字のしめす意味を地理の用語との関連からしらべてみた。やはり地形などと関連がありそう。農民として明治以降に姓をもてるようになり、住んでいた字名などからつけたとしてもおかしくない。たとえば「〇〇字にくらす太郎」ならば、そのまま「〇〇太郎」とか。
100名ほどのおなじ名字でくらすこの地域の特徴がそこにあらわれているのかも。そういえばうなづけそうな話を以前に聞いたことを思い出した。
長老の話
はたけしごとをさかんにしていた6,7年前のこと。おとなりの畑でみごとにやさいをつくられる方。いまもお元気な女性で御年はそろそろ大台をむかえる。当時はわたしのまだまだおぼつかない畑での作業をみていつもやさしく声をかけていただいた。
ある日。あぜでおたがい休憩。お若いころのお話をうかがえた。このあたりは中山間地。70~80年まえ、まだ峠越えの県道はなくもちろん自動車は通れない。むかしながらの街道すじの山道を徒歩で行き来するしかなかった。せまい畑をたがやすだけではおおぜいの家族がたべていけず、十代も後半には山道をやまほどやさいやしばかりした木々を背負い、となりまちまで運んでいたという。いまのトラックのやることを人力にたよっていた。
このあたりの山々にはいり、雑木を集めて背にしょい炭焼小屋まではこび、炭焼き。できた木炭をとなり街で売って生計をたてていたという。お話を聞きつつ学習サポートにあつまる高校生たちをイメージしていた。昨年はこちらの山、ことしはこちらの尾根までと順番に雑木林に炭小屋を設けつつ毎日はたらいていらしたとのこと。
このころのしごとのおかげで、からだだけはじょうぶとわらっておられた。
おわりに
このお話からおそらくわたしの直接の先祖たちもこうしたくらしを山間で連綿とやっていたのだろう。うかがえたこの方とわたし。このあたりの地名そのままの共通の名字。そこにはルーツのやっていたことをさぐる手がかりがのこっているのかもしれない。
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