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むかしながらのメロンクリームソーダがはやりという:この面妖な飲みものについて


はじめに

 わたしが小学生当時のこと。車の運転のできる叔父がわたしたち兄弟をたびたびドライブにつれていってくれた。彼はあそびには余念のないというか人生はたのしまなくちゃというかんがえ。レジャーやスポーツなにをやってもさまになっていた。

たのしみのかんどころをつかんでおり、こどものこころをつかむすべをこころえていた。

そのなかでわたしのこころをつかんではなさなかったものについて。

きょうはそんな話。

叔父とあそぶ

 兄弟ふたり小学生なかばのころ。時間をもてあましぎみのわたしたち兄弟。当時車を持たない父は歩いていける家の周囲の散歩やキャッチボールなど、そしてごくちかくに住み運転のできる叔父はわたしたち兄弟をドライブにつれていってくれた。

車に酔いやすいわたしはつねに車内でねていて(むすめもそうだった)、着いたらわれさきにとびだしていく。たいていは埋めたて工事のすすみつつある防波堤でのつりの機会が多かった。ひととおりしかけや釣りかたをおそわり、あじ釣りなどをたのしんだ。季節のよいときには釣りや潮干狩り、海水浴。

海に出かけることが多かった。当時すんでいたのは工場地帯そば。それでもくるまで小1時間でこうした場所にたどりつけるめぐまれたところだった。

そんな夏のある日。その日は夕方からでかけるというのでいつも以上にそわそわしていた。ちがう場所に行こうと叔父のひと声。兄弟そろって遠慮なく車へ。いつもと反対に道を右折。高速道路にあがりあっというまに目的地。

そこは夜景の名所。たそがれどきの街にあかりが灯りはじめるころ。学校の遠足や子ども会の行事で来たことがある。それでもこの日のように自由行動ではなかった。

展望レストラン

 この日は希望を聞いてもらえた。おいしいものがたべたいという兄弟ふたりの望みをそのまま受け入れてくれ、ちかくの展望レストランへ。ここは夜景をながめながら食事ができ、座席がどういうしくみか360度じつにゆっくりと回転。こどもながらにふしぎなところだと思った。

夏休みの平日。レストランは適度にヒトがいた。待たずに座れる程度。こどもづれが多い。ようやくロイヤルホストなどがわたしの住む街にもできはじめたころ。高度成長のおわりごろ。なれない家族はそのオープンしたてのフォークをつかう洋食の「しきたり」にまだ慣れておらず、なにを食べたか忘れ、緊張感しか思い出せない。

むりもない。まだ外食といえば和食堂などのほうがめだつ時代だった。洋食ならば近くのデパートの上の階にあったレストランぐらい。わたしたち家族だけで路線バスででかけると、たいていみんなのおおかたの要望をそこそこみたそうとするとそういうところが選ばれがち。

クリームソーダ

 さて、話をくるくるまわる展望レストランへもどそう。わたしのたべたのはぼんやりとエビフライかなにか。そのあとのデザートのほうがなによりたのしみだった。叔父はいつものようにコーヒー。当時まだこどものいない叔父はわたしたちとやりとりしながらにこにこしつつゆっくり口にした。

わたしたちはつめたいもの。メニューにある家では見たことのないものに目がとまった。それはメロンクリームソーダ。めずらしい色あいに魅了され、「のんでみたい。」のことばがまっさきにあたまのなかにうかんだ。さいしょはあの舌のひりひりするペパーミントのガムみたいな味かなと思った。それならばいやだなと思ったが、ものはためしとえらんだ。

メロンといえば網目のあるメロンなど想像のせかいでしかない。メロンパンのほうがなじみがある。そのなまえがついたジュース。しかもうえにアイスがのっかっている。

アイスって水にうかぶの?とふしぎなばかりで想像がふくらむ。好奇心のかたまりになったわたしは、座席についたまま注文したソーダの味の空想に余念がない。エビフライだったかなにかはどんなだったか印象に残っていない。

おわりに

 「純真な」わたしはクリームソーダをストローでひと口、「ええ、メロンってこういう味なんだ。」とコロッと信じこんでしまった。それにこおり(とうめいですきとおっている)やしゅわしゅわの色つきのサイダー(のちに粉のものがあると知る)とアイス。こんなのが給食にあったらなあという突拍子もないことをあたまに思い描いていた。

当時まだ小柄だったわたし。発売まもないカップヌードルが多すぎて弟とわけあってたべるぐらい少食。この大きなグラスのメロンソーダの分量はこどものわたしにはたいへん大きく見えた。なんどか訪れたこの場所。まちがいなくうちでは絶対に出ないこの飲みもの。それ以降なんどか訪れたはずだが定番となった。


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