noteを日々記しているとだんだんと同世代が集まるような気がしてきた
はじめに
こちらも以前に一度書いた。それでも確信にいたるまでなっていなかったのでようやくそれに近いかたちで触れておきたい。
なるべく年齢や住んでいる地域(西日本とだけ案内)にふれないのに、どういうわけかどこかに類似点のある方、同世代の方がコアな読者層がコアな層になっていないかと感じる。
きょうはそんな話。
ふと思う
毎日、PCのキーボードに手を置いた瞬間に思いついたことを、間をおかずに頭に浮かんだまま入力する。15分ほどの作業。数日置いて見直して投稿。熟慮を重ねるわけではないのでこの程度の出来にすぎない。
見直し時にもうすこしだけ推敲するのは休日だけ。平日はしごとにとりかかるまでの時間にてにをはを微調整する程度。それを準備運動としてモチベーションをあげてしごとに着手。
こんな生活を2年あまり毎日つづけている。なんとなくリズムができた。すくなくとも15分ほどはさびついたあたまの運動になっていそう。
すると…
最初のうちは反応も多くなく気づかなかった。そのうち読者のプロフィールを拝見するように。くわえて文章を読ませていただく。やはりひととなりが行間にじんわり感じられる。
ひるがえりはたしてわたしはどうだろう。客観視しづらいもの。ヒトにどう見えるかなんてほとんど気にしたことはない。なるがままにいちばん気楽な場所としてnoteをつかう。ふだんの生活のありのままを書いている。
本名でないけれど
本音を記したいし、各所に迷惑をかけるわけにはいかないのでペンネームをつかう。おかげでわりと自由に立ちまわれる。もちろんまちがいは残せないので数字などは一次資料を確認したうえで引用しつつ使うし、気づいたところは訂正を入れたり、注意書きをいれたり。
noteの読者の方々はいずれの方々も寛容でこころがひろいなあといつも感じる。いごこちのいい場所。それだけになるべくやんわりとことばをえらんで、とげとげしくならないようにこころがけているつもり。
わたしの文はつたないし辞書をひきつつ書きあらわすがなかには誤用もありそう。きもちとはうらはらにいらぬ誤解を生み、まちがったふうに伝わりかねない。もしも違和感を持たれたり、きもちを乱されたりされた方には心から申し訳ないとあやまりたい。
おわりに
こうしてつづけているとおそらく読者の方々の傾向があらわれてくるのかもしれない。なるべく広い世代の方々に伝わるのがわたしの理想でもあり願いでもある。とくに若い方々にこんなへんなニンゲンもいると気づいてもらえたらと儚い望みをもちつつ書いているのだが。
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