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世の中に置いてきぼりになりながらも引き継いだほうがいいスキルを活かそうとする自分がいる


はじめに

 最近、自意識が強い。取り散らかして書きなぐった最近のわが記事を見ているとそう思う。「自分」というキーワードが痛いほど目につく。熟年性中2病(そんなのない)かも。

 年齢を重ねるにつれて世情に疎くなってきたと感じる。その一方で若手の方々へここだけは伝えたいとか、受け継いでもらったほうがいいなと思うことがらがある。この両方のきもちを今の自分は抱えていると自覚。

自分を売り込むパフォーマンスが目立つせいか、まわりも心配してわたしへ若い人々を支援する仕事を依頼してくださる機会が多くなってきた。

そのあたりのジレンマとともに考えたなかで見えてきたことについて、従来のメディアを自分にたとえて記す。(ほら、やっぱり「自分」が多い。)


情報の洪水のなかで

 Phythonをもうすこし理解したいなあとか、知り合いの話のなかに「AIが…。」と出てくるとああ勉強しないとなと資料を集めはじめる。

さらに深層学習やブロックチェーン技術など、今後も社会に根ざすであろう分野のことぐらいは理解した上で会話についていきたい。こちらも周囲に聞いてみる。

3Dアニメーションやプログラムを自宅でふつうに操っているわが子たちを横目で見つつ、もっぱら手書きの世界に遊んでいた自分も描いてみようという気になる。若い頃にはいずれも周囲のPCの性能不足でできなかった。そそくさをはじめてみる。

たとえば四半世紀前の国内留学先。日本でも指折りの2スパンほどの部屋全体を占めるサイズの電子計算機(この表現すら古めかしい)で演算したことがある。共同利用施設ではあったが当時はめったなことでは利用できなかった。

ところがいまや10万円程度のPCですら同等作業以上のことをすらすらやってのける。

大量の情報をシャワーのように浴びながら、取捨選択して取り入れて自分のものにしていく作業。難なく取り入れて活用できる人はその先にチャレンジして新しい視野からながめている。はるか高み。やはりうらやましい。脳の吸収力と適応力の備わった若い人々にはできる時代。

ところがそうした環境にいながら同時に閉塞感をもったり未来への期待を感じにくかったり。何がそうさせているのか。すでに世の中はわたしが教えてきた生徒たちが活躍する時代。つまり教えてきた私たち世代に責任があるのではと最近よく思う。


テレビの世界

 話は変わるがテレビをほとんど見なくなった。昼と夕方の天気予報の解説が中心。ネットよりわかりやすい気がするから。それ以外は知りたいニュースの詳細かサッカーの試合を見る程度。かわりにネット上のある程度信頼のおける海外サイト(国内でないのが寂しい)から取り寄せる。

こうした生活をつづけていると、テレビについては壊れれば買い直す必要性はないかとの位置づけ。つまりお役御免。リタイヤを現実に考えないとならないわが身をテレビに例えると、背すじが凍る思いがする。自分自身をテレビ同然ではないかと捉えてしまうから。

テレビは固定された時間に決まった番組を流すという「タガがはまった」情報伝達手段といえそう。もちろん録画すれば済むことだが、それさえうっとうしいしあらためて見なおす時点で欲している情報の旬を過ぎている。

良し悪しはべつにして、いつでもどこでものスマホとはやはりちがう。自らのあるがままの時間に生きたい若い人々が、生活時間を固定されがちなテレビを見なくなっていることに納得してしまう。

それは紙の新聞にもいえそう。テレビとすこし似ていると思う。もちろん詳しい情報を得たり自分のペースで咀嚼したりする上で新聞の役割は大きい。しかし複数の新聞を読み比べるというわたしにとって贅沢なくらしはなかなかできない。長年親しんだメディアだったが数年前にやめた。

そして「タガがはまっている」のはテレビや新聞だけでなく、自分自身ではないかと自問自答してみる。

引き継ぐべきは・・・

 それではわたしが余生で果たすべき役割はなんだろうか。テレビや新聞とてその存在意義を終えたわけではない。それなりに情報伝達の手段として形を変えて一部は残るだろう。

一方でそれらが担ってきた役割で欠いてはならない後世に残していくべきところは「正確な情報の提供」だろう。

情報の良し悪しを見極める力はやはりそれにしっかり向き合い、提示するメディアの特性を知ったうえでの利活用で養われると思う。新聞をやめた自分の主張としてある意味矛盾しているが、仕方がない。

つまりその力を養う場としてこうしたメディアは重要な役割を担っている。言いかえると社会のうごきを正確につかむ力だろう。それはどんなメディアにも欠くことはできないが、やはりこの力はどの世代にも必要で将来にわたってたいせつな部分だ。

わたしの残された存在意義としておなじことが言えそうだがどうだろう。

おわりに

 だからこそ自身に立ちかえると、次の世代に受け継ぎたいのは「社会や真理を正確につかむ術」だろうか。

その視点で自らの立ち位置をあらためて見直すと、やるべきことはおのずと見えてきそう。素直に目を輝かせている若い人たちは目の前にいて待ってくれている。

すぐにでも実行しなきゃ。そんなに先は長くない。


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