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世のおおかたの嗜好とは逆のあまのじゃく的味覚・すっぱいもの・種子のあるものをもとめる希少なはずの存在として


はじめに

 先日の「はしっこ好き」の記事は好評だった。

その記事に書ききれない内容がある。いかに世のなかの嗜好とずれているか、わたしたち家族が絶滅危惧種でかわった存在たちか知れる。

きょうはそんな話。
 

あまいよりも

 このところ毎日、あまなつとはっさくを口にする。1日に家族とふたりで3つほど消費。わが家のみかん畑に実る果実。文字どおりの自家消費。基本的にこれをこのむご近所さんは数すくない。さすがにさしあげるのはどうかともっぱらじぶんたちで食べる。いやいやたべるのではなくよろこんで。というのも家族はすっぱいもの好き。

もともとそうで、わざわざすっぱい種類のみかんのなかまの苗木をそだててきた。齢をかさねて甘いみかんをこのむ両親は甘い新しい品種の苗木をさかんに植えて一時は口にしていた。ところが昨今のみかんの広域にわたる枯死にこうした新しい品種はのきなみやられて畑にのこっていない。

もはや、ひとむかし前の品種のあまなつ・はっさくなどがのこるのみ。これらはなぜか枯死ぜずになんとかいきながらえてくれた。あっ、それからゆずとぼんたんがあった。そして庭にはレモン。これらは酸味とともにかおりも個性がありたいへんおいしい。

家族ともども

 おかげで家族ふたりでせっせと消費。それでたべきれるように算段すると1日にふたりで3つ食べればいい。これでもさんざんもらっていただける方をみつけてはさしあげている。それでこの数。たったの2,3本の苗からこんなにたくさん実るなんて。それもそのはず。ひとむかしまえは1本から5ケタの収入をえていたぐらいだから。

もはやこうしたみかんのなかまは、販売所に出したとしてもあまい品種から売れていく。むかしは温州みかんの時期をすぎるとこうしたすっぱいなつみかんのなかまを「しかたなく」食べていたようだ。

ところがわたしたち家族はちがう。甘い品種でもはやめに収穫をはじめるとすこし酸味がのこり「おいしい」と知ってしまった。それ以降は早採りして甘くなるまえにあじわいつつ食べる。

まわりから

 酸味と甘味のバランスのとれた状態がいい。このんでいただく。たいていまわりのヒトビトからは「まだ、すっぱいよ。」とアドバイスをいただく。「そうですよね。」と返事をするが、こちらはいたって平気で、しかも片頬はニマニマしつつ収穫。こうした「香り高い酸味>あまみ」の状態を「至高のみかん」とこころえているから。

いちばんにがてなのはあまいだけで水っぽいもの。なかにはたいへんお高いものもある。そうしたものはくだもの店でも通り過ぎて見向きしない。わたしたち家族はそうした消費嗜好のないいわゆる「もうからない客」だと思う。なにしろ自家消費していてしかもすっぱいものをさがしているのだから。

たねをとりとり

 それにくわえて、あまなつ、はっさく、レモン、これらはいずれも種子が多い。それを木からもいで食べる。これがまたいい。きっとわたしの思いこみだろうが、たねのまわりがとくに濃厚な風味にかんじる。

手しぼりでもじどおりの100%生ジュースもいい。びっくりするほど濃くとろりとしてあじわいぶかい。しぼるとわかるが種子がたくさん。

いずれも生命をつないでいこうとする親木の懸命の結果。捕食する動物たちにえらんでもらい種子をちらしてもらおうと意図した結果にちがいない。おいしくないはずはない。

ぶどうやすいかもきっとそうにちがいない。進化のおかげでこうした「知恵」を身につけたんだろう。きっと。

おわりに

 はしっこ好きでしかもすっぱいもの、種子のあるものを好むわたしは世のなかの傾向とはおそらく真逆だろう。アンケートをとったらほぼかならずマイナーな存在。そのすくない層のなかでもさらに希少。

こんなニンゲンがいたってかまわないはず。そのおかげであまなつもはっさくもたびたびのわたしの父親の電気ノコの襲来にSTOPをかけられたのだから。このところの「みかんの集団枯死」に耐えて生き残る両者に感謝している。


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