食べられるものがごくみじかな庭先で手にはいるありがたさをあらためて知る
はじめに
起きると食べてしごとをしてねる。生活のきほんのぶぶん。そこには家のまわりの植物がふかくかかわる。
食べものがそれとなく手をのばせば(この場合は勝手口から数歩でという意味)手にはいる。それがあるとないではおおちがい。
きょうはそんな話。
あたらしい生活に
郊外住まい。まもなくそれも終わろうとしている。これから街でのあたらしいくらしが待っている。あと数か月かな。まだはっきりしないがここでの生活を満喫しておかないと。あっさり離れてしまうと思い出したくてもポンコツのあたまではカラカラ鳴るばかりでなにもでてこなくなりそう。
きのう一日を庭まわりのたべものでふりかえるとおもに3つ。ひとつはいまさかりのびわの実。4月末にみどりの実がふくらんできたなあ、はやいなあと思っていたら、この連休であっという間にきいろく色づいた。
さっそく皮をむいて賞味。うん、ことしはバランスがいい。まだおしりのところにごくわずか青みがあるぐらいが好みの熟れぐあい。これをすぎると甘さがまさる。
先日記事に記したようにわたしは典型的なすっぱいもの好き。
ごく一般的なヒトとくらべるとおそらく収穫のタイミングが1テンポ半ぐらいはやい。あっというまに口にしてしまう。というのもこの状態から食べはじめると家族のぶんとともに、ちょうど収穫を終えられる。
ことしは裏庭に苗でいただいた茂木びわ(長崎の名産)が育ち、はじめて実をつけた。これでびわの実は2倍に。多少はやくたべはじめても惜しくないし、すっぱいさののこる状態をながくあじわえる。
それから
つぎにいまごくごくみじかい収穫のタイミングのニワウメ。あっという間に透明なガラス細工のようにあかいかわいらしい実がなる。それをすかさずもいで食べる。数日前から食べはじめた。
この時期を見落とすと葉のうらにじょうずにかくれて実るので、そばにいってようやくあかい実の存在に気づく。ちいさいだけでかたちはさくらんぼとおなじで風味もにている。
ほぼ世話はいらない。なりっぱなし。うちの庭でも最古参の果樹。おとなりのレモンよりもずっとまえからいた。腰高以上には大きくならずに手間いらず。強健で病気知らず。こんなに世話しやすくて食べられる実までつけてくれる。もちろん大きなさくらんぼほどの味ではない。むしろそぼくなあじわい。
それにしても透明感のある赤色。うつくしさを愛でられるのはこの梅雨入りまえのほんの一時。
底力をかんじる
そしてさいごはミツバ。おもしろいことに果樹や庭木の根もとに好んで生えている。日なたになろうものならいつのまにかすがたを消してしまう。木かげを好む。いまは花がおわりユニークなかたちの実のなるロウバイの木の根もとにたくさん育つ。
ほぼ毎日7,8本ずつ収穫するのに減る感じがしない。つぎつぎとあらたな若草色の葉をのばす。冷やっこや焼き魚のつけあわせ、みそ汁の具、そして茶わん蒸しなどいろんな料理につかえて重宝。
おわりに
こうしてつぎつぎに利用できる植物がはえてくる庭。これはほんとうにありがたい。植えて3年目のバレンシアオレンジはこれからだったな。惜しいけれどここを利用するヒトに託そう。
そして四半世紀のあいだお世話になったこの土地に感謝しないと。
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