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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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#404美術館

いちど目にするとわすれない:長谷川潔のメゾチントの作品について

(2024.3.12加筆あり) はじめに 作品をはじめて見たのは新学期の4月の始業式後にくばられた図工のテキストの図版だろうか。こどものわたしの目に鮮烈な印象をのこした。その版画の作者は長谷川潔。いちど見るとわすれない。その作品のせかいにひきずりこまれるかのような妖しさをただよわせていた。 このところ身近なヒトの名前すらぱっとうかんでこないが、いまだに作品と名前をしっかりと記憶している。独自の世界を築き上げた芸術家のひとりにちがいない。 きょうはそんな話。 初見は… 

アルフォンス・ミュシャ のように息づいているかのような人物を描けたら

(2004.1.1加筆) はじめに どの図柄にもためいきがでてしまう。しかも初見でもあっ、ミュシャだなと気づく。それだけ独自の世界。 さまざまなところで目にする。たしかに大きなポスターでみると迫力がある。堂々としていてバランスやなめらかな描線などまなびたいところばかり。 きょうはそんな話。 魅了されて 人物を描きはじめてさまざまな作家の作品を意識した。どんなふうに表現するのか。風景ばかり相手にして実際の人を描くとなると、とたんに目のまえの息づく人物を線であらわすことの

身近に接すれば接するほど親しみの湧いてくる棟方志功の版画たち

(2023.11.13,11.14加筆) はじめに 数年まえのこの時期に取引先のかたからカレンダーをいただいた。表紙には棟方志功の版画。けっこう大きく、学習サポートのしごと場ではこれをかざるスペースがない。おとずれるこどもたちに見せたかったがやむなくわが家のかべに。 カレンダーは月ごとに変わり彼の作品をたのしめた。一見すると素朴だが力強い。見はじめからすぐになじめるうえに印象深い。1度見るとわすれないし対象の存在感がしっかりあり、せまりくる迫力にみちている。 きょうはそ

ヨハネス・フェルメールが17世紀後半にこんなにひかりをかんじられる絵を描いたなんて

はじめに はじめてみたのは中学校の美術のテキストだった。当時はフェルメールの絵に「なにかほかとちがう。」という印象。 西洋の絵画。時代ごとに描きかたのちがいや流行があると気づいたころ。彼とおなじ時代には宗教画や宮廷の貴族のようすをはなやかにえがいたバロック様式の絵がめだつ。それだけに彼の描く絵はどこか異彩をはなつ。 きょうはそんな話。 模写をして ヨハネス・フェルメールの絵にしっかりと興味をしめしたのはそんなに古くない。十数年まえのころ。ようやく美術の歴史を時代ごとに

日本画家の上村松園の描くきものの描線のえもいわれぬやわらかさに魅入られた

(2023.9.18加筆) はじめに 絵をたのしみで描いてきた。もちろん可能ならば絵を鑑賞するのにも時間をついやしたい。水彩から油絵までさまざま経験してきたが、なかでも日本画を描くのはなかなかたいへん。水彩とよくにた迅速性と技術を初心者のうちからともにもとめられる。どこか書道ににた集中力ももとめられる気がする。 きっと湿潤な風土のクニに合った画材なんだろうな。そんななか日本画家のひとり上村松園の作品の描線のうつくしいだけでない魅力を知った。 きょうはそんな話。 このク

ひとことでいうと「若さ」のかんじられる絵をいいなと感じる

はじめに ふつう展覧会にいくと複数の絵を鑑賞する。するといつのまにか印象にのこるもの、おもしろいと感じられる作品が2,3点ほどあたまにのこる。がんばろうとかもっと生きようとするきもちをもらえる。いい映画をみたときとおなじ。 きょうはそんな話。 身近なところに 街にすむようになりちょうど1か月。あらたなすみかからほど近いところに古くからある美術館がある。それだけでない。このあたりは様変わりしつつあり、おおきな公会堂やいまどきめずらしい新しい本屋、古美術をあつかう店など駅前

となりにおいた色とのあいだで相乗作用がうまれることがある

(2023.9.4加筆) はじめに 絵をえがいているとさまさまな気づきがある。絵のせかいだけでなく服の色をえらぶなど生活に身近なところでもおなじかもしれない。かたちをキャンバスの上にうつすデッサンしかり。さらにそののちの色をのせていく段階でもそう。 単色の下がきからはじめていよいよ対象の色をそれぞれの場所においていく。ここがいちばん試行錯誤の連続。ああでもないこうでもないととなりどおうしにこころもち実際より彩度のたかめの色をおいてみる。するとあることに気づく。 きょうは

もしかしたらひきたて役以上かもしれない額縁を見るために美術館にむかうこともある

(2023.8.29加筆あり) はじめに 絵を描いたり見たりでおちつける。たまに時間があると美術館や展覧会場にむかう。もちろん絵を見るのがおもな目的。それ以外に興味をしめすことがある。 きょうはそんな話。 絵とともに 絵を見るのはたのしい。風景や人物、そして身のまわりのものから空想画や抽象画まで。絵の対象はかぎりない。どんなテーマの絵でもとりあえず興味をしめして見るほう。なかにはそのせかいにひきこまれる作品に出会えることも。絵画それぞれのせかいの入り口に立ち、そこからな

ムンクの「叫び」を模写したところさまざまな描法や画材を駆使して表現していると気づいた

はじめに 油絵の模写をこれまでやってきたことは数週間まえに記事にした。さまざまな画家の絵を対象にした。なかでも描いてそれまで以上に関心をつよくした画家が何人かいる。そのひとりがムンク。 代表作といっていい「叫び」を模写。あれこれあらたな気づきがありとてもひきつけられた。 きょうはそんな話。 それまでの絵とのちがい ずいぶんまえの話になる。友人がある画家に興味があるという。その画家はエドヴァルド・ムンク。そして代表作は「叫び」一度でもみるとそのインパクトのつよさに目に焼

以前に油絵で描いた1まいの模写はあらたな住まいのかべにぴったりだった

(8月16日に追加あり) はじめに ひっこしから3日目の夜でようやくひっこし荷物がおさまるべき場所におちついた。いくつかおまけの荷物としてちいさな絵をもちこんだ。 手製の額にいれてしろい壁ぎわに。一歩さがってみつめる。この絵はここにかざるために描いたんだとおもえるほどしっくりくる。 きょうはそんな話。 ようやくおちつく つゆが明けたと思ったら、間髪入れずに台風。雨のようすをうかがいながらのひっこし。収納がどうかなと心配したがどうにかそれぞれの物品がしかるべき場所におち

パウル・クレーの絵を模写してへやに額装すると日々いろいろと語りかけてくる

はじめに  模写はおもしろい。中学の美術で画家の特徴を実習で知ろうと企図しておこなう。先日も学習サポートにおとずれる生徒たちがやったと話していた。わたしも学生時代以降たびたび、そのときどきで興味の向く画家の絵を画集から選んで模写。 そのせかいにしばらくのあいだひたる。するとその絵のなかに画家が思い入れたものの片鱗がすこしだけ見えてくる。 きょうはそんな話。 画集をかりる  できてまもないちょっとわが家からはなれた公民館図書室。このあたりはこのところ開けて多くのヒトビ

はるかむかしの生命誕生からずっとさきの未来までをかんじられるジョアン・ミロの絵画

はじめに  中学のころだったかな。おそらくいまごろの時季。新学期に配られたばかりのインクのにおいのするまっさらな美術のテキスト。パラパラとめくるとおもしろいさし絵。変わったデザインを描く画家がいるなあとしばらく目がはなれない。 図書室で画集を探しあてる。それ以来、彼の絵にはいまもって惹かれる。興味のつきない画家のひとり。 きょうはそんな話。 絵への興味  世のなかには見たとおりでない絵を描く画家がいる。中学のころにそう思った。新聞の日曜版の大きな画面で毎週ひとりずつ

空模様とともにこころのありかを見せてくれるセガンティーニの絵画

はじめに  はじめて出会ったのは高校生のとき。セガンティーニの描く世界は衝撃だった。生きるときどきに思い起こし彼の絵画はあたまから離れない。初見の絵で彼の絵画かもしれないと気づくことも。おいかけたテーマはいのちとこころのありか。そんな気がする。 きょうはそんな話。 友人と  高校生だった。自宅から遠くはなれた進学校に通うおとなしい生徒。ものおじせずに声をあげていた中学のころよりもこの高校ではまわりのなかで埋没してすごしていた。それでも類は友をよぶ。 芸術で美術を選択

油絵を描いておもうこと:こんなアプリがあるといますぐにでもつかいたい

はじめに  油絵を趣味にしてきた。かなり長くなる。ほぼ基本どおりにやってきた。その時間と手間のかかるプロセスもふくめてたのしみとすればよいのかもしれないが、描くたびにもっと作業しやすくなるといいなと思ってきた。 わたしのわがままな希望としてはデジタルの画面上で油絵の作業がほぼ再現できればいちばんいいと思う。その理由とは。 油絵のおもしろさ  油絵ではキャンバスなどの平面にえのぐを置いていく。数日から1週間ほど乾かすとつぎの作業にすすめる。乾いた油えのぐのうえにぬりかさ