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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2023年12月の記事一覧

十数年つづけてきたひとつの教室のかぎを本日お返しした

はじめに 一時期は5つあった学習サポートの教室のうちのひとつを本日とじた。さまざま関わりをもてた方々のご好意によってひとつずつ開設してきたが、昨今の状況中のなかでやむなく閉じていった。 本日、そこに立ち寄り最後の荷物のほうきとちりとりをくるまにしまい込み、借りていた部屋のかぎをお返しした。 ながくつかわせていただいた教室だった。 きょうはそんな話。 昨今の状況下で 自重する行動をほぼそのままつづけている身。昨今の状況への対応を4年つづけたことでしごとがさまがわりした

しょうがを料理にくわえあたたまり、うこん(ターメリック)の風味をカレーなどでたのしむ

(2024.1.1加筆) はじめに これまでしょうがを風味がいいからという理由でなにげなく料理につかってきた。よくよくかんがえると冬によくつかう。霜が降りるまえにはたけで収穫するからあきらかにそう。 あたたまりたいからだが無意識のうちにほしがったのかもしれない。これはわたしにとり好都合。 もうひとつのしょうが科のうこん。こちらはそだてやすく掘りあげた根茎はかおりがよく、カレーの風味をより深いあじわいのものに変える。 きょうはそんな話。 よいかおりとともに しょうがを

例年のごとく暮れから正月にかけてふだんどおりカレーをつくりつつ、これからの身の処しかたをかんがえる

はじめに いつも基本的に正月に特別なことはしない。今回はこのあいだに研究パートの論文づくりと1月2日からのいつもどおり学習サポートの予定。 すこしでもリラックスできるように例年どおり食事をちょっと楽にする。その料理はカレー(もちろん減塩で)。これは数十年来そうしてきた。ほっとひといきつけるのは年度末の3月かな。こちらのほうがどちらかというと正月にちかい。 きょうはそんな話。 特別なことはしない 年中とおしていつもの調子をコンスタントに維持する(おなじ意味のことばを4つ

けっこう深刻な状況を回避するために手堅くたべものについてやっていかないと

はじめに 技術不足でつくれていないのかと思いつづけていたが、じわりとやさいづくりについて温暖化の影響をうけているようすはありそう。だが温暖化ばかりではないらしい。 それ以上にやっかいな状況なのは農業に従事するヒトがこのクニで急激にへりつづけていること。 やさいづくりと販売をやめたわたしが主張するのはたいへん気がひけるが、現状からなにも手をうたないと、このところの世界情勢をみても食べるものが急速にひっぱくする状況がすぐそこまできているかもしれない。 すでに手に入りにくい

まわりのわかいヒトややさいたちのようすからエネルギーをもらって生きている気がする

はじめに 最近よく思う。どうして生きていられるのだろうと。おかげさまでなんとか日々をすごせている。そこはなんとかなっているのはわかる。それだけじゃない。前向きにいようと思いつづけるのにはそれなりにエネルギーがいる。それはどこからくるのかって。 きょうはそんな話。 思いかえすと 以前ならば丘のうえのやさいばたけに海風をほおにあてながら上がりつつ思うことがよくあった。いまくらす家ならば窓のむこうの支援施設の準備のあかり。まわりがしんとしずまりかえる夜明けまえ。食事などの準備

アルフォンス・ミュシャ のように息づいているかのような人物を描けたら

(2004.1.1加筆) はじめに どの図柄にもためいきがでてしまう。しかも初見でもあっ、ミュシャだなと気づく。それだけ独自の世界。 さまざまなところで目にする。たしかに大きなポスターでみると迫力がある。堂々としていてバランスやなめらかな描線などまなびたいところばかり。 きょうはそんな話。 魅了されて 人物を描きはじめてさまざまな作家の作品を意識した。どんなふうに表現するのか。風景ばかり相手にして実際の人を描くとなると、とたんに目のまえの息づく人物を線であらわすことの

うまくへやの暖気を循環させるとあたたかさがちがう:そのための模様がえをした

はじめに きのうにつづいて気軽にできるさむさ対策。以前の家とくらべると12月前半まではあきらかに寒さを気にせずにすごせた。さすがに今週の寒波のなかのひとりぐらし、暖房していてなんとなくうすら寒い。じゅうぶん目的の室温に達しているかにみえる。 なぜだろうとかんがえると足もと。この雪のちらつくなかでも、しごとでうごいているかぎりはよいのだが、室内でデスクワークをはじめるととたんに足もとに意識がいく。そこでふたつ対策をした。ひとつはきのうお伝えしたかさばらない重ね着、もうひとつ

寒波にむけてうまくかさね着するとあたたかさがちがう:そのための衣料品を買いたした

(2023.12.25加筆) はじめに 以前の家とくらべると12月前半までの服装はちがい、あきらかに身軽になった。さすがに先週後半の寒波のなかのひとりぐらし。暖房していてもなんかうすら寒い。 なぜだろうとかんがえると足もと。この雪のちらつくなかでも、しごとでうごいているかぎりはよいが、デスクワークをはじめるとしばらくして足もとに意識がいく。 きょうはそんな話。 あきらかなちがい これまでくらしていた家はじぶんで建てたにもかかわらず、温暖地の夏を意識した。その目的ははた

めぐりめぐってわたしの胃ぶくろに:いのししカレーを賞味

はじめに かなり古い日記が出てきた。8年まえの11月初旬。はたけにさかんにむかったころ。できたやさいを販売し、のこりを自家消費。買うのはほぼ肉・さかなだった。 それがひょんなことから知りあいから正式のてつづきにのっとっり狩りをしたいのししの赤身の肉をいただいた。 これはめずらしいものをということで、カレーにひとくち大にいれた。いのししカレー。 きょうはそんな話。 やさいの収穫のあいまに このところあたたかで、ちょうどいいころあいで雨が降りはじめた。やさいたちにはめぐ

やさいを店でみるときの鮮度に関するふたとおりの買いかたについて

はじめに きのうにつづいてやさいを買うときに価格とともにもうひとつえらぶうえでのポイントがあると思いだした。それは鮮度。じつはこの視点でやさいをえらぶとき、無意識のうちに鮮度のよくないものといいもののふたとおりにわけていずれも買っていた。それにはわけがある。 きょうはそんな話。 (タイトル写真はきのうの昼の食事) やさいをたくさんたべる やさいづくりをやめて4年になる。これはきのう記した。それ以降、買う立場になり週に1回は店にむかう。ことしほどやさいのねだんがあがり、

年の瀬にむかいやさいをあつめてまわる買い物をした

はじめに やさいをつくらなくなって4年。買う立場になり、つくづくこんなに食べるのには費用がかかることを思い知る。立場がかわると現金なもので、見てくれはわるくともすこしでも大きなものに手がのびる。 歯医者に通うのをはさんで午前と午後で2回、買い物にむかいおもにやさいをあつめてまわった。年末年始は店がけっこう長く開いていない。そのための食料としてのやさいをきらすといけない。 きょうはそんな話。 いつもどおりのしごと 学習サポートのしごとをながくやっていると年末年始(つまり

はたけのやさいがぐんと生長するかんじと成績ののびる瞬間の生徒のようすとの相関

はじめに これは古い記述。8年まえ。やさいづくりと学習サポートの兼業のなかからの気づき。このふたつのしごとについて思えたのかも。当時の日記をふりかえる。 きょうはこんな話。 やさいづくり ほぼ毎日、はたけの作物たちをながめているとその変化におどろかされる。順調に生育する一方で、根つきがよくなくてしおれてしまう苗。 なるべくはやめに見つけて中耕したり、水やりをしたり世話をするが、生育の差は開いていく。見ているといたたまれない。 話はかわるがそれまでゆっくりの成長だった

はたけをつくっていてたまたま豊作になること:今回は白菜だった

(2023.12.17加筆あり) はじめに これは7年まえ。日記をみるかぎり暖冬だったらしい。12月のあるやさいが豊作だったと記してある。何倍もの失敗をくりかえすなかでのようやく得られためぐみ。 きょうはそんな話。 いちばん端のはたけでは ひさしぶりに畑Cに一輪車を押して上がる。あたたかだったせいか、ずいぶん野菜が大きく育っていた。 ほんのすこし収穫したつもりのやさいたちを一輪車にのせたところで気づいた。すでにけっこうな量。どうにかのせおわる。車をつかえばいいのだが、

身のまわりのもので手にはいる入浴剤をいろいろとためしてみた

はじめに 以前くらしていた家は木造の平屋のつくりで、現在のような断熱性に関してはあまり考慮していないつくり。床下から冷気が畳のすきまからすぅ~と抜けるのを感じるぐらい。 冬の室内の寒さは身にこたえた。足さきがいつもつめたく、寝るにもくつ下が欠かせなかった。いまはどうだろう。賃貸の住まいに移り住んだうえにことしは暖冬。長年の冷えを感じずにすんでいる。これはありがたい。 以前の家でいちばん気をつけていたのが湯ざめ。風呂からあがると家自体がさむいので、早々にふとんにはいらない