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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2022年1月の記事一覧

天の川がこんなに美しいとは 20年ちかくほんとうの星空を知らなかった

はじめに 政令都市の街なかに住む天文少年だった。サラリーマンの家に生まれ、社宅アパートの3階ベランダが観測地点。 工場地帯は目と鼻の先。歩いても行けるほど。煌々と夜どおしコンビナートの明かりがともっている。これらの反射により夜空は明るく2等星を見るのがやっと。シャッターを押しっぱなしにしてフィルムに撮影してもバックは暗くなくあかるくぼんやりしている。 そんな世界で見上げつづけた夜空。本当の夜の漆黒の暗さを知ったのはさらに10年近くあとのことだった。 工場地帯の空 こども

現金(硬貨と紙幣)を自分がほぼあつかわなくなったとふと気づいた その過程で「円」ばなれがすすみつつある感触

はじめに 昨今の状況下でわたしのまわりの生活の一部がさま変わりしつつある。数えあげればたくさんありそう。そのうちのいくつかはこの状況が終息したとしてもそのままつづきそう。 一例が現金のとりあつかい。 けっして都会でない地方でのはなし。これについて記したい。 しごとを省力化できた このところわたしは現金を見かけない。余裕のない生活で目の前のお金がわたしの手元に居つかない点はここではとりあえず棚のうえに置いておく。そうではなくキャッシュレスがすすんだというはなし。現金を目の

冬の陽ざしが地面に届く枯野の山に久しぶりに入りふと思う

はじめに きのう、山のようすを見るためにだれもいない里山に歩いてのぼった。家から山道を歩いて15分ほどの場所。行こうと思えば手前まで車で上がれる。きのうはあえて歩いて行ってみた。 それらの場所はほんの家の目の前といっていい生活圏の端。前年の草木の旺盛な茂りのほとんどはほぼ枯野となり静寂の世界。ようやく落葉して枝だけの姿になった木々の合間から薄い雲ごしの陽が弱々しくさす。 そんな明るい里山の風情をひさしぶりに感じつつ歩いた。 だ~れもいない 日曜日の昼ひなか。だれも好んで

部屋ですごすなかで2℃の気温差で寒さに対する気分がまるでちがうと感じる

はじめに あくまでも私感でのはなし。 部屋のなかが基本的に10℃以下を示したら暖房する。これは意思でそうしているのではなく、体感でどうやらそれが自分に合っているらしいと気づいたから。寒くてやり過ごせないと感じる温度。 それ以上の気温ならば家事でからだをうごかしているかぎりは寒さを意識せず支障ない。 10℃のかべ 基本的に家にいるときには家事で動いている。ただしwebで仕事に従事しているあいだは自由に動けずいちばん寒く感じる。やはりからだの内部からあたたまるのと、暖房であ

昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観をさりげなく無理なく見直すこと

はじめに 彼の病の流行により、世の中全体がさまざまな分野で影響を受けている。 わたしのなかでは流行前には「持続可能性」についてはいくぶん漠然としたイメージだった。ところが事態が長びいてくると、こつぜんと具体的な事象としてあらわれてきた。目の前に姿をあらわしたと言っていい。より広範にその「持続」の意味を具体的に考えるきっかけになりつつある。 こうした機会は一生のなかでそれほどあることではないだろう。一度ここで整理してみようと思う。 彼の病をきっかけとして 一昨年の12月に

家の改修にむけて 縁側の陽だまりのあたたかさを夕方〜夜間まで活用できる方法についてあれこれ考えてみる

はじめに  「家は3度建てればやっと満足できる。」とむかしの人は言ったらしい。それは1度しか建てていないわたしでも、実際に住んでみて使い勝手を知ると、やっぱりこうすればよかったとか、ここはこうしたほうがいいなど思いはじめる。 たしかに的を射た言葉かもしれない。ただし、家を2度、3度建てられる人はまれ。 それではどうするか。改修の機会があるかもしれない。住みやすい終のすみかになるべくしたい。まだ思案中のところを紹介。 家の改修 木造一戸建て新築から25年過ぎた。やはりそれ